俳句で「花」といえば「桜」を指す。

「花を待つ」と詠めば「桜の開花を待つ」ことを意味するという。

 

「待つ花や藤三郎が吉野山」と松尾芭蕉が詠んだのは、

奈良の桜の名所のことだった。

 

紀行文『奥の細道』で知られる俳聖の足跡は、

東北だけでなく京都や奈良、滋賀から兵庫まで関西各地にも及ぶ。

 

春を待ち、開花を喜ぶ歌が少なくない。

京都は特に“桜の都”ともいうべき様相だったようで、

芭蕉もその光景を愛でる俳諧を残している。

 

吹きさらしの裸木を眺めると

春をただ待っているだけのように見えるが、そうではない。

 

桜の花芽は冬の寒さにさらされることで、眠っている状態から目覚める。

 

よく知られた「休眠打破」である。

 

ある桜守が言っていた。

 

「桜は、敢えて寒さを受け入れて開花の力に変える。

冬は耐えるというより、一人戦う季節なんです」

 

日蓮大聖人はある年の冬、門下への手紙に、

 

「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」

(御書1492ページ)と記された。

 

苦難が打ち続く中にあって、“あのゴツゴツした木からも、

やがて美しい花が咲くではないか”と励まされたのである。

 

「花を待つ」は春の季語。

喜びの季節を確信し、自らができる挑戦を重ねる人の心には、

すでに勝利の春が訪れている。(之)

 

          名字の言>2020.2.22

          聖教新聞「SEIKYO ONLINE」

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2020年2月22日(土)の聖教

 

~わが友に贈る~

 

 「法妙なるが故に 人貴し」御聖訓。
 妙法を持つ皆様は 世界第一に尊貴なり。
 共々に大福徳の道を!

 

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​​​​​​​​「顕仏未来記」日蓮大聖人御書P508

 

​​​​​​​​仏記に順(じゅん)じて之を勘(かんが)うるに既(すで)に後五百歳(のちのごひゃくさい)の始(はじめ)に相当(あいあた)れり仏法必ず東土(とうど)の日本より出(い)づべきなり

~通解~
釈尊の未来記にしたがって、これ(私〈日蓮大聖人〉の未来記)を考えてみると、(今という時は)すでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに当たっている。(末法に弘まるべき真実の)仏法が必ず東の国の日本から出現するはずである。

~池田先生の指導~同志への指針


全世界の同志の偉大な奮闘と団結で、

「仏法西還(ぶっぽうせいかん)」、そして、

「一閻浮提広布(いちえんぶだいこうふ)」の未来記は現実となった。


大難を覚悟(かくご)の上で、

全人類の幸福と平和のために立宗を宣言された、

御本仏の御賞讃(ごしょうさん)はいかばかりか。


妙法広宣の不二の旅路は続く。

どこまでも仲良く朗らかに、地涌のスクラムを広げようではないか!

 

はるか末法万年尽未来際(まっぽうまんねんじんみらいさい)まで。

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「秋元殿御返事」日蓮大聖人御書P1070

 

南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、

法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり


~通解~

南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。

現世(げんせ)は安穏(あんのん)であり、

後生(ごしょう)は善処(ぜんしょ)に生まれることは

疑(うたが)いないことである。

法華経の行者を一切の諸天が、

不退(ふたい)に守護(しゅご)することは経文に明らかである。

~池田先生 同志への指針~

 

法華経の行者の祈りほど、強いものはない。

 

我らの不屈の題目と行動に呼応して、

一切の諸天善神も不退の誓いで護(まも)りに護る。

 

御本仏は全てを御照覧(ごしょうらん)である。

 

妙法に完璧に則(のっと)った創価の行進は、

自身はもとより縁を結んだ眷属(けんぞく)も福徳安穏で包み、

現在から未来へ幸福勝利の大境涯を開いていくのだ。


悔(く)いなく朗(ほが)らかに、祈り切り、語り切り、走り切ろう!

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「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人御書全集P1185


​​​​​​敵(てき)と申す者はわすれさせてねらふものなり、

(これ)より後(のち)に若(もし)やの御旅(おんたび)には

御馬(おんうま)をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ

 

~​​​​​​通 解~
およそ敵というものは、(その存在を)忘れさせて狙(ねら)うものである。今後もしも旅に出られる際は、馬を惜(お)しんではならない。

良い馬にお乗りなさい。

~池田先生のご指導~同志への指針


油断(ゆだん)と慢心(まんしん)に魔(ま)は忍(しの)び寄(よ)る。

「信心即生活」とは観念(かんねん)ではない。

 

惰性(だせい)を排(はい)して、具体的に勝ち取るものだ。


張(は)りのある勤行と教養ある生活リズムで健康管理を!

交通事故や火災に注意し、

悪縁(あくえん)を寄せ付けぬ、鋭(するど)き用心を!


栄光の人生を飾りゆく創価の賢者(けんじゃ)たれ!

 

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