ピアニストのフジコ・ヘミングさんが、

交響楽団との協演で録音に臨んだ時のこと。

 

若い指揮者が“ヘミングさん独特のテンポの技法と、

オーケストラの演奏が融合していない”と苦言を呈した。

 

それでもヘミングさんは自身の音楽を貫いた。

 

すると、休憩時間に日頃見られない光景が。

練習を続けるヘミングさんの周りに楽団員らが寄ってきて、

彼女の音楽を心身で吸収するように耳を澄ませた。

 

その後の録音は大成功だったという(『たどりつく力』幻冬舎)

 

「芸術作品は、各人の自己を目覚めさせる事によって、

人の和を作り出す」と言ったのは文芸批評家の小林秀雄氏だった。

(『考えるヒント3』文春文庫)。

 

とすれば、

楽団員は自身の奏法を安易にソリストと合わせたのではなく、

その心を感じた上で、演奏における各自の役割を全うしたがゆえに、

両者の音楽が調和したのだろう。

 

釈尊の十大弟子は、智慧第一の舎利弗、頭陀第一の迦葉など、

各人が類いまれな資質を備えていた。

 

それらは全身全霊で仏道修行に励む中で、

おのずから個性と磨かれ、弘法の最強の武器となった。

 

偉業の達成に団結は欠かせない。

 

その団結とは、なれ合いや群れることではない。

 

「一人立つ」精神を胸に、

使命を果たし抜く中で、真の団結は生まれる。(代)

 

          名字の言>2019.12.10

          聖教新聞「SEIKYO ONLINE」

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「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人全集P1143

 

苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや

 

~通解~
苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても

南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。

これこそ自受法楽ではないか。

 

いかなる時にも、唱題し抜いていくことこそ

最高の幸せである、との仰せです。

~池田先生のご指導~


「苦をば苦とさとり」──なんと深い仰せでしょうか。

 

生きている以上、苦しみは避けられないのだから、そう覚悟して、

悩みを見下ろしていきなさいと 励ましてくださっています。

 

いかなる現象も、信心の眼(まなこ)から見れば、

自身の成長の因にしていける。

 

そして、一つ一つ眼前の壁を打ち破りながら、

境涯を開き、福運を積んでいけるのです。

 

「楽をば楽とひらき」とは、

ありがたいな、うれしいなと喜びを見つけ、

感謝していく心でもありましょう。

 

どんな状況でも、そこに喜びを見出せる人、

感謝できる人は、幸福です。

 

人生の「楽」を自他共に広げていけるからです。
「苦楽ともに思い合せて」題目を唱えながら、

何ものも恐れず、前進していくことです。

 

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「松野殿女房御返事」日蓮大聖人全集P 1395

 

法華経は初は信ずる様なれども後(のち)(とぐ)る事かたし、譬(たと)へば水の風にうごき花の色の露(つゆ)に移るが如し、何として今までは持(たも)たせ給うぞ是(これ)・(ひと)へに前生(ぜんしょう)の功力(くりき)の上、釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし


~通解~

法華経は初めは信じるようであっても、最後まで貫き通すことは難しい。

例えば、水が風によって動き、

花の色が露(つゆ)によって変わるようなものです。

すべて が移ろいやすいのに、

あなたはどうして今まで持ち続けておられるのでしょうか。

これは、ひとえに前生において積まれた功徳の上に、

釈迦仏(しゃかぶつ)が護られているか らでしょうか。

まことにたのもしいことです。

~池田先生のご指導~同志への指針

広布に尽くし抜いてこられた功労者の皆様方の大功徳は、

 

絶対であり、無量である。

 

三世十方の仏菩薩の守護と賞賛は厳然である。

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「当体義抄送状」日蓮大聖人全集P519


経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在(あ)るが如し地より而(しか)も涌出(ゆじゅつ)す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり


~通解~
法華経従地涌出品(じゅうじゆじゅつぽん)に

「地涌の菩薩は、世間の法に染まらないこと、

あたかも蓮華が泥水の中にありながら、

清浄であるのと同じである。
しかも、この菩薩は大地から涌(わ)き出た」と説かれている。
これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。

~池田先生のご指導~同志への指針


人生は悩みや宿命との戦いである。

 

しかし、蓮華が泥沼の中から尊貴な花を薫らせるように、

必ず自他共に、幸福と勝利の大輪を咲き誇らせていける。


それが、「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」の

法理に生きる地涌の菩薩にほかならない。


現実社会の真つただ中で、

真剣に妙法を唱え弘めゆく命に即、

仏菩薩の大生命が躍動する。


尊き同志の皆さま一人一人が、

妙法蓮華経の当体である。

 

いずこにあつても、そこが

久遠よりの使命の舞台であることを忘れまい。

「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人御書全集P1192

 

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、

「諸余怨敵(しょよおんてき)・皆悉擢滅(かいしつさいめつ)」金言むなしかるべからず、兵法剣形(へいほうけんぎょう)の大事も此の妙法より出(い)でたり、ふかく信心をとリ給へ、あへて臆病(おくびょう)にては叶(かな)うべからず候


~通解~
どのような兵法(へいほう)よりも、

法華経の兵法を用(もち)いていきなさい。
 
「あらゆる怨敵(おんてき)は、皆ことごとく滅びる」
(法華経薬王品第23)との金言は、決して空(むな)しいはずがない。
 
兵法や剣術(けんじゅつ)の真髄(しんずい)も、
この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。
決して臆病(おくびょう)であっては叶(かな)わないのである。

~池田先生のご指導~

いついかなる時も、勇敢に「法華経の兵法」で道を開く。
 
これが、大聖人直結の学会精神である。
 
ゆえに、どんな戦いも 強盛なる祈りから始めるのだ。
妙法には、一切の魔(ま)を打ち破る大功力がある。
 
諸天善神(しょてんぜんじん)を揺(ゆ)り動かし、
十界のあらゆる衆生を 味方に変えていくことができる。
 
この最高の兵法も、臆病では役に立たない。
どこまでも「勇気」だ。
我らは勇気ある信心で、すべてを勝ち開いていくのだ。

 

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「教行証御書」日蓮大聖人御書全集P1279

 

一切は現証(げんしょう)には如(し)かず​​

 

~通解~

一切(いっさい)は、現証(現実の結果)にすぎるものはない。

 

現証(現実の結果)を見れば、正邪は明らかである。

 

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