「擱筆」という言葉を知ったのは、
佐藤紅緑の小説『ああ玉杯に花うけて』を読んだ時だった。
結びに、
「読者諸君、回数にかぎりあり、この物語はこれにて擱筆します」とある。
辞書で調べると「筆を擱く」の熟語だという。「書き終える」との意味だ。
似たものに「筆を折る」があるが、こちらは文筆活動そのものをやめる、
との意。「擱筆」には、続きの物語があるとの響きを感じる。
小説『人間革命』第12巻に、山本伸一青年が一高寮歌
「嗚呼玉杯に花うけて」を歌おうと、青年たちに提案する場面がある。
後継の「3・16」の儀式を終えて間もない頃。
病床にあった戸田先生に「『広宣流布は私たちがやります』との、
力強い歌声をお聞かせできれば、先生にご安心していただける」と。
『人間革命』の擱筆後、池田先生は、
すぐさま『新・人間革命』の執筆を開始した。
恩師との誓いを貫き、筆を走らせ続けて25年。
読者の中には、毎日の連載の記事を切り抜いたり、
ノートに書き写したりしてきた友も多いだろう。
山本伸一の言葉をわが胸に響かせる時、自分が今、
何をすべきかが見えてくる。
「擱筆」の対義語は「起筆」。
師の擱筆の日は、弟子が「起つ」日である。
自身の姿で、新たな「人間革命の物語」をつづる旅立ちの時が来た。(之)
名字の言>2018.9.11
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御書と歩む 池田先生が贈る指針
「三沢抄」日蓮大聖人御書全集P1487
生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・
雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す
~通解~
生死(しょうじ)を出離(しゅつり)して仏に成(な)ろうとする時には、
必ず影(かげ)が身(み)に添(そ)うように、雨の時に雲があるように
三障四魔(さんしょうしま)といって七つの大きな障魔(しょうま)が
現(あらわ)れてくるのである。
~池田先生のご指導~同志への指針
広宣流布の前進とは、常に障魔(しょうま)との戦いの中にある。
魔の本性を鋭(するど)く見破(みやぶ)り、
立ち上がるのが仏の智慧(ちえ)である。
ゆえに障魔を越えてこそ、広宣流布は拡大する。
自身の人間革命もできる。
正法を実践して競(きそ)い起こる難は、
全て一生成仏の推進力(すいすんりょく)となる。
「なぜ自分が」などと嘆(なげ)く必要はない。
「今こそ宿命転換(しゅくめいてんかん)の好機(こうき)なり」と、
勇気ある信心で断固と打ち勝っていくのだ。
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「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人御書全集P1185
敵(てき)と申す者はわすれさせてねらふものなり、是(これ)より後(のち)に若(もし)やの御旅(おんたび)には御馬(おんうま)をおしましませ給ふべからず、
よき馬にのらせ給へ
~通 解~
およそ敵というものは、(その存在を)忘れさせて狙(ねら)うものである。今後もしも旅に出られる際は、馬を惜(お)しんではならない。
良い馬にお乗りなさい。
~池田先生のご指導~同志への指針
門下の無事を願い、乗る馬のことまで案じられる。
これが御本仏のお心である。
油断(ゆだん)と慢心(まんしん)に魔(ま)は忍(しの)び寄(よ)る。
「信心即生活」とは観念(かんねん)ではない。
惰性(だせい)を排(はい)して、具体的に勝ち取るものだ。
張(は)りのある勤行と教養ある生活リズムで健康管理を!
交通事故や火災に注意し、
悪縁(あくえん)を寄せ付けぬ鋭(するど)き用心(ようじん)を!
栄光の人生を飾りゆく創価の賢者(けんじゃ)たれ!
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