こんばんは

 

 

 

 

昨日に引き続いて

今日も少林寺拳法の

言葉です。

 

 

 

 

りきあいふに

 

 

 

 

力と愛とは二つではない

 

 

 

 

それは心の両面ということで

その本質はただ一つの愛だと

筆者は解釈しています。

 

 

 

 

今日も家内と話をしていて

平成の30年かけて

何でもかんでもパラスメントで

本当にギスギス息苦しい世の中に

なってしまったよね、と

お互い同じことを思って居たのですが。

 

 

 

 

あることを

ハラスメントと取るかどうか

そのように解釈されるかどうか

受け取る側の気分や状態にも

よるんでしょう。

 

 

 

 

でも継続的にそういう状況が

あるとしたなら、それは

彼我の関係性によることが

大きいのではないかと思います。

 

 

 

 

その時筆者が考えるのは

どこかのCMではないですが

「そこに愛はあるんか?」と

いうことなんですね。

 

 

 

 

相手を思いやる気持ち

大事な人だと思っているのと、

全く愛情も興味もなく、

ただ自分の感情だけで

相手に接するのとで

同じことを言っても

伝わり方は違うのです。

 

 

 

 

なぜなら相手に伝わるのは

内容ではないからです。

心の中にある、相手を思う気持ち

これこそが伝わっています。

そのまま、ストレートに。

 

 

 

 

なんでも同じです。

 

 

 

 

伝わっているのは

心の中に輝く愛

それだけです。

 

 

 

 

もちろん、資料として

データを示すとか

客観的な事実を示すとかだと

別に愛などなくてもいいと

思いがちですが、問題は

何のためにそういうものが

必要なのか、ということです。

 

 

 

 

結局、人間同士の

コミュニケーションとは

愛が流れるかどうか

どのような形式であれ

構造であれ、それしかない。

 

 

 

 

だから、愛がない

コミュニケーションは

例えどんなにわずかなものでも

何も伝わらない。

 

 

 

 

 

まして、それが自分の憂さ晴らし

無関心、自分の思い通りではない

苛立ち、それしか伝わらないなら

どのような行為でも

相手からしたら、ただの

ハラスメントにすぎません。

 

 

 

 

 

契約社員や派遣社員に対して

そもそも愛を持って接する

それも困難なことです。

 

 

 

 

教育しよう、  指導しよう
成長してもらいたい、
そういうふうには思えない
ことだって多いでしょう。

 

 

 

 

でも効率優先、利益優先

コスパ優先でものを考えていると

そもそも相手が人間で

コミュニケーションとは

愛情を持って行うものだ、という

人としての基本の部分

そこが欠落してしまう。

 

 

 

 

だから力愛不二

 

 

 

 

相手との相対的な関係で

力あるものは愛を持って

相手に接することが

何よりも大事だと思います。

それが忘れられたからこそ

何でもかんでもハラスメント。

 

 

 

 

効率最優先、無駄なことは

死んでもやりたくない、

利益の出ない行動一切禁止

それで間違ってはいないです。

冷徹に徹するのも結構。

 

相手が人間だということを

忘れなければ。

 

力愛不二

 

刻み込みたい言葉です。

 

 

 

 

 

さて、明日7月14日(日)

理事会になっております。

 

 

 

 

 

なお、宿直なので

明後日のご案内も併せて。

 

 

 

 

7月15日(月)の分は

海の日でお休みです。

 

 

 

よろしくお願いいたします。

最後までお読みいただき

ありがとうございます。

 

 

 

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