ゴッホとキリスト教

 

  ゴッホの自画像を見ていると、絶えず問いかけられているように思われる。勿論、自画像の方から、ゴッホ自身に対してである。
 得てして、自画像はナルシズムの匂いを帯びている場合が多い。或いは強烈な自意識を孕んでいる場合が多い。
 ゴッホの場合はそのどちらでもない。明らかに突き放している。自覚的か無自覚か定かではないが、結果的にゴッホの自画像は「もう一人の他人のゴッホ」が絵を描いているゴッホに対して、「お前は何をして来た」と、問いつめているように見えるのだ。
「医師・ガシエの肖像」や「郵便配達夫」など、他人を描いた人物画と比べて見るがいい。その眼差しの強烈さのあまりの違いには目を見張らざるを得ない。自分に対しては明らかに厳しい。それはゴッホ自身の生き方に対して、疑問符を付け、「お前は何者で、今まで何をして来た」と、描いているゴッホ自身が描かれた自画像を通して語らせているようなのだ。
 このゴッホの厳しさは若年の頃から、あった。彼は牧師を目指し、牧師になり、貧しい人たちと生活を共にし、共にするうちにとうとう自分の持ち物も彼らに分け与え、無一物になり、あまりの所業に伝道師協会から、牧師を首になった。
 彼は言う。「宗教は移ろい、神は残る」と。おそらく、ゴッホの厳しい眼には実際の十字架の精神を反映せず、組織の運営に汲々とし、結果として、イエス以前の旧態然とした律法的で形骸化した教会は我慢がならなかったのだろう。

妥協の出来ないゴッホの、本質を直ぐに見通してしまう精神には教会はむしろ、反イエス主義の窮屈な、俗物そのもののような組織に見えたのではないか。そういった批判精神も想定して、つい観てしまうゴッホの自画像ではある。

 ひいては、妥協しない自分の精神を反映しながら、それはまた、「お前も俗物ではないだろうな?」と言っているような、厳しい問いかけを思わせる、すっかり「もう、一人の自分を造ってしまった」ような、強烈で過剰な、それだけに結果として、時を超えて我々の感覚に訴えかけることが可能になったゴッホの痛々しいほどの自己認識が(なま)に見えて來る「自画像」なのである。

 

ゴッホは何故、イエスを描けなかったのか?

 

レンブラントを崇拝し、ミレーを師と仰いだゴッホは自らも宗教画に挑戦したが、全て模写であり、オリジナルは一作も残っていないとされている。私が注目したいのはイエスの肖像を何度も描いては失敗し、画布を破り捨てたという資料に残っているエピソードだ。
 密室の中で、イエスの顔を思い浮かべながら、画布にデッサンを描き、構成を調(ととの)え、下絵を塗り、ディテールを施して行くゴッホを思い浮かべると、私は後のゴッホの作品と比べ、想像することができない。
 キリスト教はキリストの教えであって、キリストではない。キリストを源とした枝流のようなものである。レンブラントもミレーも枝流を描いた。決して、キリストそのものを描いたわけではなかった。枝流だから、成功したのである。ミレーは「晩鐘」や「種まく人」を描き、レンブラントは「放蕩息子の帰還」や「イサクの犠牲」を始めとする傑作を描いた。しかし、それは全て聖書をテーマにした作品であったり、信仰深い人々の生活や横顔(プロフィール)であった。ミレーもレンブラントもそうした人々を描くことで、イエスを想わせる、言わば、間接的疑似イエスの像を描いたのだ。  

しかし、妥協を赦さぬゴッホの精神は違った。イエスそのものを描こうと試みた。しかし、叶わなかった。描いても描いても、イエスそのものには成り得なかった。ゴッホが是とするイエスの像は画布の上に実を結ばなかった。ゴッホは幾度も幾度もイエスを描きながら、「こうではない。こうではない」と、怒鳴った。神など、描けるわけがないのである。やがて、ゴッホはそれに気づいた。しかし、その激情が或る傑作を描かせた。燦然と輝く「ひまわり」である。不自然なほど黄金色の光に輝く「ひまわり」はこうして生まれた。あの光はゴッホがイエスの肖像を描こうとして、描けぬ苛立ちから、或るとき、イエスの肖像の周りに不意に現われた恩寵のような光だったのである、と私は思いたい。