三島由紀夫への二十年目の手紙⑤
―豊穣なる不毛とは何か?―
七、
三島さん、あなたの作品の中に「詩を書く少年」という小品があります。私はかつて少年の頃、この小品を愛しました。そこにはひどくオシャマな、そうしてそんなオシャマな少年にありがちな大変ナイーブで瑞々しい感受性を持った少年が登場し、詩の才能(言語の才能)によって世界を千変万化させ、そしてそれを愉しみ、愉しむと同時にその未だ知らない未知の大人の世界を睥睨し、しかし、やがて(僕は詩を書かなくなるだろう)とつぶやく少年が登場します。
この少年の在り様は、またこの短編の在り様は短いながらも全編これその後のあなたの作品や行動のすべてを予知しているようで怖ろしくなります。この短編は劇画で言えば恰も萩尾望都の「ポーの一族」や「トーマの心臓」のようであり、同じ小説で言えば堀辰雄の「燃ゆる頬」を思わせて秀逸です。少年美という、ひょっとしたら、あなたの思わぬ副産物がここで展開されているのです。あなたはこの作品で、おそらく少年時の自分の自画像をおそらく臆面もなく書き、そして、それと同時に自分のその後の感性や価値観のもととなるものを書き現わそうと思ったと思われますが、ここには意外にあなたのそういった思惑とは別にあなたの本来の資質である少年美に対する微妙な感覚が殆どナマな形で書き現わされているのです。これはあなたの資質を解く上で非常に微妙なキーワードになるものと思われます。私はあなたを生来のぺデラストと思い、疑いませんが、この小説にはそのペデラストぶりがいかにも清潔に発揮されているのです。
さて、では何故、この作品が小品ながら、そうしてこれほど魅力ある作品ながら、その後のあなたの未来を暗示し、告げ、予感を成立させてしまったのか、述べましょう。この少年は天才詩人と自分を思っており、自分の言葉によって世界はいかようにも変容する。即ち「毛虫たちは桜の葉をレエスに変え、投げ打たれた小石は明るい樫を越えて、海を見に行き、クレーンは曇り日の海の皺くちゃなシーツを引っかき回して、その下に溺死者を探しており、黄金虫の近づく桃の実は薄化粧をしており、疾走する人のまわりには像の背の火焔のように空気が乱れ、わだかまり、へばりついている」といった按配です。そして、この少年は言葉さえ美しければいいのだと考えます。そして、自分を天才だと思いながらも、どういうわけか自分に関心がなく、さらには詩的酩酊が訪れて来ないときには無理にも詩的酩酊を呼び出そうとし、それを可能にし、(花火みたいに生きよう)と思い、詩の製作については必要に迫られて書くのではなく、詩が(やって来る)のであり、この詩の作りかたについては(感情の元素の組み合わせ)によって作るのであり、とうとう、僕は詩を書かなくなるだろうとつぶやくのです。
三島さん、私はこうして語っているだけで涙が出て来ます。この少年のいきさつは何とあなたの人生に似ているでしょう。そして、何とあなたは自分の人生を演出したでしょう。そしてそれを完成し、それを観客に見せ、そして、見事な成功を収めて退散したでしょう。それは見事な覗きカラクリのようで、あまりにも見事すぎます。そして、完成品すぎまい。そして、完成品すぎるということは三島さん、当然ですが、人工だということです。あなたが自分の人生を演出し、デザインし、それを見事に生かし、成功させたのは勝手ですが、しかし、それを国のためだとか、国を憂えてだとか、そんなことを言っちゃいけません。あんた、嘘でしょう。国のために死んだなんて嘘でしょう。ホラ、ほんとのことを言いなさい、三島さん。マア、いいでしょう。今はこれぐらいにしておきましょう。
さて、そんなわけで、この少年は(言葉さえ美しければいいのだ)と考えたところは言葉から出発したあなたに似ていますし、自分を天才だと思いながらも、自分に関心がなかったというところはおおよそ自我から出発する文学者の常であるにも拘わらず、それが殆どなかったあなた暗示していますし、詩的酩酊が訪れて来ないと、無理にもそれを呼び出そうとしたところはあなた、平和な平和な、それゆえあなたが気に入らなかった戦後とよく似ています。そして、(花火みたいに生きよう)と思ったのは文字通り老醜を嫌い、美しい(かどうかは知りませんが)見事に鍛え上げられたボディービルの肉体を駆使し、見せ場にして、自衛隊市ヶ谷総監室壇上に消えたあなたと似ています。そして、詩の製作については考えなくても小説がスラスラと出来たあなたと似ていますし、その詩の作りかたについても、(感情の元素の組み合わせによって出来る)ということはその後、あなたの文体を批判した大岡昇平氏の(既成の言語からいくらでも作られる)というう評にそっくりです。まぁ、批評家は作家の仕事について、その文学の作業をアレコレと言うのが仕事ですし、それが当たったところで何の自慢にもなりません。それにあなたはそんな批評ぐらい死ぬ前からお見通しでしよう。
しかし、三島さん、これだけは言っておきますが、世界に冠たる日本を相手にして、その国中の国民をあなた、日がな一日、テレビの前に釘づけにして、(天皇陛下万歳)と何やらわけの分からぬことをほざいて切腹するにしちゃ、あまりにも作品が冗談すぎてやしませんか。つまり、あまりにも人工的すぎてやしませんか。私はこの「詩を書く少年」の中にあまりにも言語の才能を持ち過ぎてしまった少年のある種の不幸を嗅ぐ。少年にとって大切なのは言葉であり、自我ではなかった。つまり、人間の感情そのものではなかった。そうなると、少年はどのような方法で人生に対処し、文学に対処して行くか。そこには人工しかありません。もちろん、人工けっこう。私の大好きな吉行淳之介氏、川端康成氏、それぞれある意味では人工的な作風の大家です。しかし、彼らが人工を通して、世界に、或いは人間に近づいて行ったのと対蹠的にあなたは近づいて行かなかった。それはこの作品に現われた作品への方法、姿勢が如実に示しています。そして、こうして取られた作品への方法があなたをあの自裁へと導いて行くのです。何故なら、人工の作品が人生と、或いは実生活と、または実社会と乖離し始めたとき、また乖離しながら、行動を始めたとき、それは危険な兆候をはらむからです。そうして危険な兆候をはらんだ結果があなたと戦後の問題かと思われます。そうして、あなたと日本の戦後の問題をある意味で端的に現わしたのが小説「金閣寺」かと思われます。次の項ではこの金閣寺に触れて行きましょう。 (続く)
三島由紀夫への二十年目の手紙⑥
―豊穣なる不毛とは何か?―
八、
さて、三島さん、私は「花ざかりの森」、「仮面の告白」、ひいては「詩を書く少年」といった作品を通して、あなたのあのときの自裁がどうだったか、どういう意味を持ったかということを四十年後の今日、おぼつかない文章でたどたどしい足取りながらも書いてまいりました。そして、やはりあなたと国家の間、ひいては天皇との間、ひいては民衆との間、つまりは日本文化との間には重大な齟齬があると睨んでいます。つまり、二十年後の今日、あなたのあのときの死がそれほど重大な意味を持って見られていないことが示す通り、やはりあなたの死は個人的な死であり、日本国の文化に殉じて、憂えてといった愛他的なものがあったとは思われません。右翼馬鹿の中にはあなたの死を「キリストの死」と途方もない言い方をする方もあるようですが、とんだ大馬鹿です。キリストは万人のために死んだのですが、あなたはたった一人、個人のために死んだのです。そこに大きな違いがあります。
さて、こんな論議はするだにアホらしいと思いますから、先へ進みましょう。あなたは「詩を書く少年」などが書かれた中期、「愛の渇き」といった佳作、また、「禁色」といったある意味での駄作を書き連ねながら、三十代に入り、「金閣寺」という、傑作というよりもむしろ、一大問題作を完成させます。あなたの死を論ずる上で、この作品に触れないわけには行かないでしょう。
この作品「金閣寺」はおそらく、あなたの晩年の大作「豊穣の海」を除けば、あなたのデビューから中期までの作品の集大成と思われますが、それと同時にもちろん、太宰治にとっての「人間失格」や「斜陽」のような集大成と呼ばれる作品が持つある種の宿命、つまり、その作家のすべての感性、価値観、世界観、作品への姿勢などが如実に現われる結果となっています。つまり、先ほど触れた「詩を書く少年」が雛型なら、この「金閣寺」はさしずめ立派な鶏、いえ、地鶏といったところでしょう。さて、つまらぬ比喩はさておいて、この作品に触れて行きましょう。
あなたはこの作品で、自分と美との関係、つまりは世界(あなたにとって、美とは世界ですから)と書きたかったと思われますが、これは小林秀雄がこの作品について「何も対象は美でなくても、よかったんじゃないの」と言っている、つまり、揶揄している通り、明らかに失敗しています。というのも、あなたはその見事な分析的な文体で自分と美との関係、ひいては世界との関係を描写していますが、いかんせんその対象である(金閣寺)が皮肉なことに小林氏も言っている通り、美とはなり得ていないからです。あなたのお師匠さんであり、また、あなたがあの壮絶な切腹をなさったときに「自分が自衛隊に乱入すればよかった」と、あの細い体で何を血迷ったか、そう言われた川端康成氏が覚めた眼で対象を見つめ、美と同一化する眼を勝ち得たと対照的に、また、あなたの大好きなあの谷崎潤一郎氏が冗漫な文章ながら、美に無節操に耽ったために美と同一化できたのと対照的に、あなたの文体はここでは美と同一化していません。何故なら、ここでもやはり、あなたの世界に対する感性、価値観、世界観が問題になり、それを通したトータルな意味での文体というものがやはり、「認識する眼」、「視る眼」、「他者の眼」、「疎外された者の眼」、「第三世界者の眼」、つまりはそれは「拒まれている」と同時に「拒んでいる」眼であり、い゛すれにしても「参加していない眼」であるからです。
三島さん、おおよそ参加しない眼に美は可能でしょうか。三島さん、あなたはこう言えば「川端さんがいるじゃないか」と言うでしょう。その通りです。川端さんは今も少し触れましたが、参加しないながら、美を可能にした達人です。しかし、川端さんは参加しないながら、それは幾人かの評論家が言っているように「自国にいながら、異邦人であり続ける」眼を持ち得た方だったから、可能だった。つまり、「現世にいながら、現世を仮の宿として、寂しく、しかし強靭に視続ける」眼を持ち得た方だったから、可能だったのです。しかし、あなたのように自国を、つまり現世をもへっぴり腰でしか視続けられないような人に美は可能でしょうか。そして、それは参加していると言えるでしょうか。答えはノーです。
三島さん、美とは美であり続けるとは「志しを高うして」と言うとお笑い草ですが、決して逃げず、同一化することです。谷崎潤一郎氏は決して鋭い美観の持ち主とは私には思えませんが、しかし、氏は確かに美と同一化しました。それは氏の文体がいわゆる「参加していた」からです。彼は「刺青」を書くときには刺青になりきり、痴呆症の女「痴人の愛」を書くときには痴呆症の女になりきり、「細雪」で日本の美の滅びを書くときには日本の美の滅びになりきったのです。だから、美と同一化できたのです。(谷崎氏が作品を書くときにその生活までも作品化、つまりは作品と同一化させたという事実はここら辺りにあるかも知れませんが、ここではテーマから外れますので、敢えて触れないでおきましょう)。
さて、三島さん、あなたは参加しないながら、美を描いた。少なくとも、美との関係を描いた。しかし、今も言ったようにそれはあなたの文体の抜き差しならぬ宿命、つまりはあなたと世界との関連の欠如、つまり、参加しないことによって見事に破綻しました。では、破綻しながらも美に執着し、美を描かざるを得なかったその作家が、或いはその作品が描き出す軌跡とは、或いはその結果とはいったいどういうことになるのでしょうか。それはドンキホーテの悲劇です。いや、ひいては喜劇です。三島さん、あなたは「金閣寺」でそれを書いたのです。
三島さん、考えてもみましょう。ドンキホーテにとって、風車は彼の美学の中では大魔神でした。そして、その大魔神に向かって彼は突進して行き、果てました。結局はその行為が彼の中では真剣でありながら、まわりからは失笑を買う、つまり滑稽文学になる所以ですが、どうでしょう、三島さん、あなたの「金閣寺」に似ていないでしょうか。私は「金閣寺」を世界的であり、古今東西の中でも日本文学を代表する優れた作品の一つであることを疑いませんが、しかし、この作品を読んでいて、ときどきあなたの描写が美を捕らえきれず空回りするとき、思わず笑ってしまいます。これは罪でしょうか。あなたの文学を理解できないという私の罪なのでしょうか。おかしいと思います。それは罪ではなく、正当な判断なのです。溺れてもいず、さりとて熱狂的な、かつての私のような、三島の言うことなら、何でも信じてしまうアホな文学少年などではなく、冷静な大人の、冷静な文学愛好者の冷静な判断なのです。
三島さん、「金閣寺」は美を捕らえきれず、失墜してしまったという意味で、恰も風車を大魔神と捕らえ、失墜して行ったドンキホーテの悲劇によく似ています。そうしてその構造はあなたが現実には変え得ず、あなたの観念の中でしか変えることができなかった日本の戦後とあなたの失墜に奇妙に似ているのです。
どうでしょう、三島さん、私は今、こう言いながら、あなたが十四歳の折りに書いた詩、「私は夕な、夕な、窓に立ち、椿事を待った・・・・」の詩を思い出します。あれはあなたの根源的な、無意識の渇望かと思われますが、椿事を待ちながら、椿事が来なかった、つまり椿事に恵まれなかった少年が次に行うのは何でしょう。それはどうしても人工的、かつ人為的な椿事を起こすことであり、それがあなたの戦後、ひいてはあなたの中の観念の戦後だったのです。あなたはその観念の戦後と心中したのです。私はそう思います。従って、あなたは国家、少なくとも私たちが接する、国土があり、人々があり、歴史がある、その質感(マティエール)を確実に持った国家を巻き沿いに心中したのではないと思います。あなたが心中したのはあなたが仕立て上げ、育て上げた、あの壮大な観念の中の国家です。あなたの中の実に幻想的な幻の国家です。その幻の国家とあなたは心中なさったのです。そう思います。 (続く)
三島由紀夫への二十年目の手紙⑦
―豊穣なる不毛とは何か?―
九、
三島様、あなたは「花ざかりの森」で言葉から出発した少年を書き、「仮面の告白」で人工的な世界から人間の世界をへっぴり腰でしか視続けられない気弱な少年を書き、「詩を書く少年」で、こうした作品への姿勢を自己の声明として如実に現わし、そして、そうした作品への態度から美をも捕らえられず、その人生や実社会から遊離せざるを得なくなった作品「金閣寺」の必然として、あなたが大事にした日本の戦後からも離れて行くという劇(ドラマツィルギー)を演じてしまいました。この感覚の軌跡は実に明快ではっきりしていて、あなたがこうした人工の文学を規定するとき、それが行動に移ればどのような事態を引き起こすかということを如実に示していますが、さて、蛇足としての「豊穣の海」はどうだったでしょうか。私は率直に申し上げまして、あなたは「金閣寺」を書き、それから幾年か経ち、「豊穣の海」を書くその数年前から自殺を決意していたと実はにらんでいますが、もし、そうだとして、自殺を決意したあとの作品がどうだったでしょうか。「豊穣の海」は作品の出来不出来とは別にこうした問題、或いは私にとっての興味も有していると思います。
「豊穣の海」は言葉から出発し、その才能が異常であったために自我を喪失せざるを得なかった文学の天才少年がその必然として人工の文学をたどり、その実人生との遊離から自殺騒ぎを引き起こし、果ては荒涼無惨な徒花にたどり着くというあなたの、実に悲劇的な過程の終着駅としての体裁をよく整えた作品です。と言いますのも、ここにはもはや現世に執着する、つまり(日本がどうなろうとこうなろうと、知ったこっちゃない)という破れかぶれの果ての諦めが漂っており、そして、これは生きている者の物語りではなく、輪廻転生というすでに死んだ者の物語りという設定があるからです。この作品はすでに死を決意した作者が(しかし、肉体は死んでも、精神は死なぬ)という作者一流の高邁な精神を証明するためのものだったと思われますが、しかし、作者の精神はすでに死んでいます。そして、作者の精神が死んでいるために言葉は豊穣ながら、何ら豊穣な精神は伝わって来ないということです。この作品には「仮面の告白」で見られた少年らしいノスタルジーも、「詩を書く少年」の初々しさも、「金閣寺」の失敗しながらもあえぎあえぎ美に昇ろうとした執着も見られません。そして、大事なことは川端康成さんのような東洋的な諦観もないということです。そして、もう一つ言うなら、これは輪廻転生を書いた物語りではなく、輪廻転生について書いた物語りだということです。あなたが「金閣寺」で美を書いたのではなく、美について書いたようにここでもまた、あなたは対象たり得ていないのです。それはやはり、美と同一化したり、対象と同一化したりすることが適わぬというあなたの宿命的な感性、或いは作品に対する姿勢によっています。奥野武男氏はあなたを「評論家としての才能は認めるが、小説家としての才能は認めない」と言っていますが、どうでしょう。ここにもその片鱗はうかがえるのではないでしょうか。小説家ではありながら、しかも当人は当代一の小説家であることを自負しながら、また、世間も国際的に通用する一流の小説家であることを認めながら、それでも「どこか小説家たり得ていない」小説家、それが三島由紀夫、あなただと思います。小林秀雄は「金閣寺」について、「僕はしかし、あれは小説だと思わないんだな」と言っていますが、どうでしょう。私も厳密にはそう思います。そして、その小説たり得ていない所以は「あなたが美たり得ていない、対象たり得ていない、つまり、いつでもただ対象を見つめているだけ」というその眼に由来していると思います。そして、大事なことは三島様、ひょっとしたら、あなたは死ぬ前にそれに気づいていたのではないかということです。私はどうも、あなたが自分のやって来たこと、その徒花ばかりの人生、荒涼と咲き誇らせて来たドライフラワーばかりの人生、その作品連、その徒労に実は気がついていたのではないかと密かに疑っています。そして、もし、そうだとしたら、その作家、つまりあなたはどうするでしよう。もはや書く理由がありません。その作家は技巧だけを身につけ、心のない、精神のない、徒花ばかりの、ただの言葉を羅列したケンラン豪華な作品を相変わらず生み続けることは可能でしょうが、もはや書く精神を失っています。三島様、あなたが三十年に垂(なんな)んとする文学人生の中で培って来たもの、そうしてたどり着いて来たものは案外こういう徒花ばかりの荒涼とした風景だったのではないかと私は疑っています。これは罪でしょうか。罪でしたら、お赦し下さい。私は先頃、クリスチャンになりましたので、へりくだることにも、また、簡単に赦されることにも慣れています。三島様、お赦し下さい。失礼がありましたら、どうぞ、どうぞ、平にお赦し下さい。しかし、三島様、私はもう一つ知っています。それはこうしたあなたのたどり着いた徒花があなたをもはや生きて行く気力のない、或いは意味のない荒涼たる風景(つまり、死)へ誘ったということです。 合掌。
さて、三島さん、私はこうして、あなたの作品を追いながら、あの四十年前のあなたの自裁を考え、あれがやはりあなたの作品とそぐわない、意味をなさない、奇妙奇天烈なグロテスクな自裁であると思いました。しかし、どうでしょう。そう思いながら、胸の中になにがなし、涙を禁じ得ないのは何でしょう。それは他ならぬあなたの愚かさと、しかし、その愚かさの持つ不思議な純正のゆえです。その不思議な純正に打たれるのです。立原正秋氏が「三島由紀夫氏の自裁は弱者の自裁だが、しかし、その少年のような純粋性は動かしがたい」と言っていますが、どうでしょう。私もそう思います。あなたはまるで少年のように「部屋で繭をつむぎながら、ご自分の夢を育てていらした。しかし、その夢は適わなかった。しかし、適わないながら、その夢と心中せざるを得なかった」。そうも考えられます。そして、そう考えられることは三島様、確かにあなたの死は愚かに違いないのです。
しかし、三島様、私は今、思います。この愚かさは何という美しさでしょう。何という純粋さでしょう。そして今日、私たちがどれほど失った心情であることでしょう。私はそのことだけは認めます。そして、その心情のゆえにあなたをアイします。三島様、往生なさって下さいませ。どうか迷わずに往生なさって下さいませ。そして、日本を守って下さいませ。あなたの愛した、間違いながらも愛したこの日本を守って下さいませ。お願いいたします。後生です。私はあなたをアイしております。この手紙を書きながら、そう思いました。私はやはり、あなたをアイしているのです。三島様、もうすぐ逝きます。私も逝きます。この日本を離れ、地上を離れ、あの世へと旅立ちます。それまで、ごきげんよう。どうか、ご健勝でありますように。蓮の花の傍でお会いしましょう。天国はきっと美しうございましょう。きっと、きっと、美しうございましょう。
文武両道院憂国居士殿
あなたの愚かな不義のセガレより
平成二十三年七月一日記す。
敬具
(文中の引用は「批評と研究・三島由紀夫」(白川正芳編)を参考にしました)。作者。