中也と文也=一卵性嬰児の悲劇

 

中原中也。……いったいぜんたい中也の父親は何を考えて、こんな奇妙な名前をつけたのだろう。これでは身もふたもないではないか。まるで無防備の極みとしか言いようのない、腹わた丸出しの、「私には嘘も隠しもありません」とでも言いたげな奇妙奇天烈な名前だ。漢字四文字に「中」が二つもあるという、いっさいがっさい逃げも隠れもせぬという、否、出来ぬという、正真正銘の、(はりつけ)にされたキリストよろしく、さらし者の運命を背負った、赤裸のまま世間に対峙しなければならぬ、社会人としては不幸、しかし、詩人としてはまさに天与の才を持った、言わば宿命の詩人がこの、世にも珍妙な名前とともにこの世に誕生したとしか私には思われない。

その詩人が後年、子を生むことになる。否、子が子を生んだというべきか。

社会人としてはおおよそその資質を欠いた人間が子を造ることは、そのこと自体が親にとっても子にとってもおそらくは不幸の始まりであるのに、中也はかてて加えて、自らも小児のような性格であった。むろん先に書いたように、そのことが中也の詩魂を証明し、その稀有の才質を花開かせたのだが……。

中也は殆ど愛息・文也に惑溺する。

「文也も詩が好きになればいいが。二代がかりなら、かなりなことが出来よう」と書いた中也を思うと、殆ど常軌を逸しているとしか思われない。

果たして病的な子煩悩はその(やまい)故に子の死を予感することになる。

 

一つのメルヘン

 
秋の夜は

はるかの彼方に
小石ばかりの河原があって
それに陽はさらさらと
さらさらと射しているのでありました

陽といっても まるで硅石か何かのようで
非常な個体の粉末のようで
さればこそ さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に

今しも一つの蝶がとまり
淡い それでいてくっきりとした影を落としているのでした

やがてその蝶がみえなくなると

いつのまにか

今まで流れてもいなかった川床に

水はさらさらと

さらさらと流れているのでありました

 

この詩が文也の死のふた月前に書かれたことは異様なことである。すでに詩(言葉)は生者と死者の間をさ迷って、さながら魔界にいるかのような錯覚を読者に覚えさせる。しかし、魔界というには、いや、魔界だからこそか、この詩はあまりに美しい。それを私は喪失を予感した者の、その怯えの、あまりにヴィヴッドな感性ゆえの切ない美しさだと思う。

 

春と赤ン坊

 
菜の花畑で眠っているのは

菜の花畑で吹かれているのは

赤ン坊ではないでしょうか?

いいえ 空で鳴るのは電線です 電線です
ひねもす 空で鳴るのは あれは電線です
菜の花畑に眠っているのは赤ン坊ですけど(以下、略)

 

この詩も同様である。文也が生まれて、ほぼ半年後に発表されたこの詩はすでに赤ん坊(文也)の死を予感している。菜の花畑で=死んで=眠っている赤ん坊は中也の幻影であるような気がしてならない。目の前にいる愛らしい我が子はその愛らしさ故にむしろ喪失を予感し、死の連想へと(いざな)うのである。すべて愛しい者はその愛しさ故に、言わば脅迫観念として、我れ=己れ=を離れねばならぬ。それは理屈ではない。自然の摂理なのだ。要はそれを感じるか否かの詩人の資質である。否、それ故に詩人になるのだ。欠けたるものを埋めるために詩人は渇いた咽喉を潤すように、あえぎあえぎ喪失の予感の、震えるような哀しい悲歌(エレジー)を歌う。

そうして悲しければ悲しいほど喪失の予感は当たり、彼(詩人)はまるで見事に自らの運命を予定調和のように的中させ、的中させたことが恰も天命であるかのような過程を辿るのだ。

果たして文也は死ぬ。そうして詩人は歌う。

 

また来ん春

 
また来ん春と人は云う
しかし 私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

そうして歌った果てにさらに詩人は深く傷つき、天命のような予定調和の、悲劇の極まりのような悲しい結末に堪えられず、子を失った悲しみを、絞り出すように歌い、祈るのだ。

 

春日狂想

愛するものが死んだ時には
自殺しなけあなりません

愛するものが死んだときには
それより他に方法がない

けれどもそれでも業が深くて
なほもながらふことともなったら

奉仕の気持ちになることなんです
奉仕の気持ちになることなんです

愛するものは死んだのですから
たしかにそれは死んだのですから

もはや どうにもならぬのですから、
そのもののために そのもののために

奉仕の気持ちにならなけあならない
奉仕の気持ちにならなけあならない

 

この詩にある種の宗教性を嗅ぎ取ることは自由だろう。しかし、まるで奴隷のように囲われ、教義に狭められ、自由に感じ、自由に考えることが恰も悪徳であるかのような既成の宗教ではこの詩はもちろんない。中也が自由に感じ、自由に自らの精神を傷めた果ての、行き着いた意識世界なのである。

中也が奉仕(●●)()気持ち(●●●)になっている対象は既成の神ではない。中也が傷つき、苦悶した果ての、何ものでもない、存在の根源の、いや、それでもない、それでもない何か、中也が感じた、ある不可避の、生きるからには逃れ得ぬ、自らの存在の意識を(コア)から規定している何かなのである。

文也は奉仕の気持ちにならなければなくなったきっかけであって、対象ではない。文也の死がなければ、中也は奉仕の気持ちにならなかった。中也を後押ししたのは文也であった。文也のために中也は額づき、その何ものかに自らを投げ出さねば生きられぬかのような、無償の奉仕の精神を感じたのであった。それは畢竟、生き、(再生する)るためであった。しかし、それは同時に、精神の死と引き換えることでしか成り立たなかった。詩人、中原中也はこのとき、すでに死んでいた。

その後の中也について、もはや識者はご存知だろう。精神病院に入り、ほぼ一年後、結核性脳膜炎で亡くなる。文也が死んだとき、中也も死んでいた。二人は嬰児であった。一卵性嬰児であったと言ってもよい。但し、それは中也の一方的な過多愛であって、文也は中也の異常なまでの愛情の中で、押しつぶされ、踏みしだかれ、揉まれ、果ては母の胎内で息絶えたのであった。それは無理心中であった。しかし、嬉しく、喜ばしい無理心中であった。二人は微笑んでいた。微笑みながら、息絶えた。それ以外の連想を私はすることが出来ない。