荻窪、阿佐ヶ谷の思い出①

 

              同人誌・非世界掲載

 

荻窪は井伏鱒二が住んでいた街である。三鷹に住んでいた太宰治がよく通った街でもある。二人して、よく飲み歩いたようだ。確か山岸外史が「評伝・太宰治」の中で書いていたのを記憶している。その中にこんな話しがあったのも記憶している。

あるとき、二人して小料理屋で酒を酌み交わしていた。そこへやくざ風の男が何人か絡んできた。太宰はたちまち縮み上がった。縮み上がって、逃げたようだ。ところが、逃げる途中で井伏を残してきたことに気づき、慌てて引っ返し、それでも、悠々と呑んでいる井伏へ「井伏さん、ここは一刻も早く逃げましょう」と急かしたようだ。ところが、井伏はヤクザ者に絡まれているのも構わず、泰然とした(たたず)まいで、悠々と日本酒を傾けていたそうな。そして、こう言ったそうな。「もったいないから、待っていろ」。見ると、井伏のお猪口に酒がまだほんの一口残っていて、そのことを言ったらしい。ヤクザ者はいよいよ絡む。太宰は気が気でなく、井伏を残して逃げて行くことを決心し、こう言い放って逃げたという。「井伏さんの、ケチ!」。

荻窪はそんなことがありそうな、確かに泥臭い、人間的な妙味のする、どこか鄙びた、しかし紛れもなく大都会東京の片隅の、或る田舎町である。

阿佐ヶ谷南一丁目、ゴールデン街の一角に、太宰治所縁(ゆかり)の店がある。所縁といっても、ほんとかどうかは知らない。女将がそう言っているだけである。女将といっても、もう八十を過ぎている。過ぎているから、太宰が戦後、この店へ来たといっても時代的に合わないことはない。

私は信じた。二、三度、いや、三、四度通ううちに、女将の口ぶりがリアリティーを通り越して、真実味が出て来た。

「治さんがね」などと言う。

「貴方がほら、腰掛けているそこそこ、そこの椅子に腰かけて」と言い、

「グローブのような大きな手で、カウンター越しに私に向かって、お銚子を手でブラブラさせながら、お代わりって言うのよ」などと言うのを聞くと、もう目に見えるようで、確かに写真などで見ると、大きそうな太宰のゴツゴツした、意外に荒々しい無骨そうな手が目の裏に浮かんで来る。

ただ、私は女将の話がもし嘘であっても、女将の「そうでなくてはならぬ」という、もう太宰が本人に憑依した、いや、本人が太宰に憑依した、もはや嘘とも本当ともつかぬ、人霊一体となった、ふわふわした奇妙にこの世ならぬ風情が好きだった。

女将と別れ、夜の街をアパートへ帰りながら、フフッと心の裡で、苦笑とも何んともつかぬ微妙な可笑しみと笑みが心の裡に浮かんで来るのをどうにも禁じ得なかったものだ。

そしてそんな折り、流しのギター弾きがちょっとドアの開いた一杯飲み屋の玄関口から、「男純情の、愛の星の色、冴えて夜空にただ一つ、溢れる想い、春を呼んでは夢見ては、嬉しく輝くよ。思い込んだら命がけ、男の心~」などと弾き、歌っているのを耳にすると、もう終戦直後の太宰の時代に戻ったような錯覚に陥って、吹き来る風も変に冷えて、わざともったいぶって安っぽいコートを襟立てて着流しながら、流しの歌の続きを口ずさみつつ、「俺は時代のアウトロー、被害者にして、犠牲者、キリストだ。この世の不幸はすべてしょった」などと呆れるほど軽薄な、デカダンスとも言えぬ安っぽいペンキ絵のような軽い悪酔いに自ら酔いしれるのだった。

太宰の年譜を見ると、昭和二十一年三月、腸捻転を起こし、阿佐ヶ谷の篠原病院に入院する、とある。

ある日の夕暮れ、私は篠原病院と聞いて、ふっと何がなし心に通じる思いがあり、アパートの窓の外を見た。確かに篠原病院。青いレンガ造りの屋根に白い壁の立派な堂々とした病院があって、その病院を私はむろん、始終目にしているけれども、若くて何とか健康を保っているせいか病院に特に興味はなく、気にすることもなく、きょうに至っているのだった。

しかし、改めて、太宰が入院したとなると、その病院をためつすがめつ、全体の立ち姿まで変に目で嘗めまわすようにあちらとなくこちらとなく眺めてみるのだった。

そのうちに太宰の姿が浮かんで来て、駅から徒歩一分。繁華街に近いこの病院の、当時もおそらくは賑やかであったろう界隈が目に浮かんで来ると、そこに太宰が運び込まれ、それも担架の中でウンウン唸っている太宰が思い為され、あの哲学者めいた気取った憂い顔で知られている太宰が、衆人環視のもとで、いやはや恥じも外聞もなく「腸捻転」という、何やら滑稽な名前の病気で唸っていると思うと、太宰には悪いけれども、何ともおかしく、さらには太宰の作品の一部の滑稽な小説連すら思い返されて、その太宰が時代の寵児、含羞の人、悲劇の文人、哀愁の黄昏(たそが)れ人などとは思えず、思わず笑ってしまうのだった。

窓の外、夕暮れとあって、行き交う人は忙しく、三々五々、それぞれの日々の生活に(せわ)しない。そんな中「太宰の腸捻転」などという年譜の事実を私は何だか可笑しいばかりでなく、奇妙な人生の哀歓と捉えて、芭蕉の、「面白うて、やがて悲しき鵜飼かな」という句を思い出したりもするのだった。(続く)

 

荻窪、阿佐ヶ谷の思い出②

 

太宰の入った篠原病院で、私は笑うに笑えぬ、何とも奇妙な滑稽たんがある。

ある暑い夏の日の夕べ、ビールを飲みに外へ出た。アパートから右へ三軒ほど隣り、小さな居酒屋へ入った。女将が一人、他にカウンターの席に先客が三人ほどいた。カウンターの隅に腰掛けて、ビールを注文した。

すると、「ウチはそんなの、やってません」と女将が言った。

ウッというふうに私は腰掛けたその腰をもう一度浮かしかけて、女将の方を見た。他の客も胡散臭そうに私の方へ目をやっている。どうしたのかというように私は再度、女将の方へ目をやるが、女将は首を横にやって、相変わらず拒否の姿勢を示すのみだ。私はさっぱり、分からない。居酒屋へ入って、ビールを飲ませてもらえないというのは初めてだ。

私はまるで卵を産む寸前の鶏のように目を白黒させた。女将を見、客を見、それから、自分の姿を顧みるといった按配だ。

そのうちに女将が(あっち、あっち)というように窓の外を指差した。その指の先には何がある?

私は()()()といっても、扉の開いていない窓の外をうかがうようにした。もう一度、女将の方へ目をやって、それから、私、というように自分を指差し、自分と何?というようにもう一度、窓の外を見る。そこへやはり、客も胡散臭そうに私の方へ三人揃って目を向けている。

「そんなの、やってません」

女将がもう一度、言った。

「そんなのって?」

私は堪え切れず、抗議するように、ちょっと唇を歪めて尋ねた。

「そんなのって、そんなのよ」

四十過ぎと見られる、ちょっと小太りの女将は煙草を吹かしながら、そう言う。あくまで、断固拒否といった姿勢だ。

そして、「そんなのって、やってないのよ」と再び言うと、

「労咳」

はっきり言った。

「労咳?」

聞き慣れぬ言葉に私は我れと我が身を疑ったが、「何、労咳?」。そう言って、皆なの前で自分を指差し、目を丸くして、とうてい合点が行かぬという顔をしてみせた。

「労咳って、何?」

「労咳って、労咳よ。今どき、そんな病気があるのかって思ったけど、この間、そこの篠原病院から患者さんが来て、そしたら、今度はアンタよ」。

そう言うと、女将は私の全身を上から下まで眺め下ろすようにする。

私は笑った。芯から笑った。なるほど、私の恰好は労咳と思われても仕方がない、確かに。

私はヨレた浴衣にヘゴ帯を締め、下駄を履いていた。そしてご丁寧なことにも、蓬髪に髭面だった。百六十七センチに五十一キロの私は長身痩躯とは言えぬけれども、かなりの貧弱な痩躯とは言える。おまけに蓬髪にして髭面である。芥川龍之介もかくやと思われる風情である。

「こないだの患者さんも、そんなふうだったわ。篠原病院も考えてくれなくっちゃ」

どうやら、私は篠原病院の労咳の患者と間違えられたようだ。

ところが、私は一瞬、苦笑する一方で、このようなことを愉しんでやれといった奇妙な悪戯(いたずら)心が起きて、思わず、ゴホン、ゴホンと咳をした。

「ほら、ごらんなさい」

女将がさもありなんという顔をして、眉根をつり上げる。

「他のお客さんにうつらないうちに、帰った、帰った。さあ、さあ」

そう言うと、他の客も三人、まるで串刺しにされたメザシみたいに見事に顔を揃えて、こちらを見る。

「ゴホン、ゴホン」

私は面白くて、やめられなくて、いよいよ演技も本番、奇妙にリアリティーも兼ね備えて、労咳の患者をやってみせる。

「さあ、さあ」

女将が言うと同時に、

「あっ、血!」

私は弱々しく屈み込むようにして、口を押さえていたその掌を放して、女将の方へ手の甲を向け、自分はその掌の中を覗き込むようにして驚いてみせた。

「マアーッ」

女将は口を抑えて、目をまん丸く見開き、もう、見事に労咳の患者を目の前に見、怖ろしくてしようがないといった按配だ。他の客もいっせいになびくようにあちらへ躯を寄せて、メザシの兄弟が仲良く水路を変えるように、私を避ける。

私は面白くて、仕方がない。

「女将さん、ハンカチ。早く!」

私はそう言うと、女将さんの方へ手を伸ばして、虚ろな、ほとんど瞳孔の開かぬような眼をしてみせた。

「ハアーッ」

女将さんは背後の酒棚へのけ反るようにほとんど躯をあずけて、私を獣をでも見るような眼で見る。私はゆっくりと、ほんとうにゆっくりと、愉しむように掌を開いて見せた。その掌の中にもちろん、血はない。

女将さんはハッ、ハッ、ハーッと、声ともつぶやきとも呻きともつかないような声を上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。

私はそのあと、どうしたのだか、さっぱり憶えていない。