詩人の背丈(東京百景)
五月のある日、田舎の友人が勤め先の喫茶店へ訪ねて来た。Tである。Tは詩を書いていて、詩集を出したこともある。
私の目の前のカウンターに腰掛けて、ブレンドのコーヒーを飲みだした。しばらくたって、私はふと思い出し、
「そう言えば、ほら。谷川俊太郎。あの詩人がこの店に来るんだよ」
「谷川俊太郎って、あの谷川俊太郎か?」
Tはやおら、腰を浮かし、目を丸くして、こちらを見た。明らかに驚きの表情だ。
「ああ、谷川俊太郎は一人しかいない」
私がニヤッと笑うと、
「ハアッ」
田舎者のTは谷川俊太郎が来ると聞いて急にソワソワし出した。
「きょうあたり、来るんじゃないかなあ。そろそろ」と私が窓の外へ目をやると、いよいよ腰を浮かし、私に続いて、慌てて窓の外へ目をやった。
「俺はどうしたら、いいんだ」
「どうしたらって?」
「挨拶をするとか、しないとか?」
「挨拶って、お前。お前は無名の田舎詩人だ。挨拶して、どうする」
「そうか」
「相手はお前を知らない」
「そうだなあ」
そんなたわいのない、愚かな、文学を志している二人とも思えない呆れた会話を交わしているうちに、私の「あがり」になった。
Tと一緒に店を出て、横断歩道を繁華街の方へ歩き出した。
大勢の通行人の中に見慣れた小柄な体があった。谷川俊太郎だった。私は思わず、Tの方へ口寄せると、「おい、谷川だぜ」と囁いた。
「えっ、谷川」
Tは驚いて、どこだ、どこだというふうに体を前後左右に振り分けながら、さかんに辺りを見まわしている。
「ほら、向こうに。左側の方から歩いて来る」
私は谷川の方へ指差しながら、しかし、言っている自分も不思議な気がして、何故なら、私の方は普段から見ている顔だけれども、Tがせっかく田舎から上京して来たその日に谷川俊太郎と偶然に会えるなど、確率からいってほとんど低く、まあ、想像だにしないことなのだった。
「ほら、あそこ」
私がふたたび指差すと、Tはやっと谷川俊太郎の姿を認めたらしく、
「あっ、谷川だ。ほんとに谷川だ。谷川俊太郎に違いない」
興奮して、見るからに顔が上気している。私たちは何となく自然に身体も谷川の方へ徐々に徐々に向かうような形になって、向かい側から歩いて来る谷川とすれ違う恰好になった。
すると、すれ違いざま、Tは谷川を見て、
「低い」と言った。
「えっ」
「背が低い」
「そうだ。谷川は背が低いよ。百六十センチ、ちょっとだ」
「俺と同んなじだ」
「えっ」
「背が低いよ。低い、低い」
Tは谷川が詩人であることも忘れて、(いや、詩人だからなのか)、ただ谷川が背が低いことに変に昂揚している。
「なあんだ、谷川は背が低い」
見ると、そう言っているTも背が低くて、中肉中背の私の耳の辺り、やはり百六十センチ、ちょっとしかない。Tは谷川の姿をずっと目で嘗めまわすように追っていたが、やがて通りを渡り切った谷川の姿を見届けると、私の方へ向き直り、
「へえ~っ、谷川って、背が低かったんだ」
ふたたび谷川の背を気にして、相変わらず上気したような顔で自分に言い聞かせるように、納得させるように言った。
「背が低くて、いいんだ」
何が(背が低くていいのだか)私には分からないが、Tは相変わらず上気したような赤ら顔で、「へえっ、背が低くていいんだなあ」と、さかんに繰り返している。
私は道路を渡り切ると、これがTの安堵なんだか歓びなんだか、はたまた哀しみなんだか分からずに、ただただ、Tの全身火照ったような百六十センチちょっとの躯を、体温熱く隣りに感じ、不思議な面持ちでいたのだった。