孤高の人、川端康成

 

昭和四十七年、四月十六日、川端康成は岡本かの子全集に寄せる跋文を書くうち、ふっと立って、死へ赴き、逝った。

彼は万年筆のキャップも締めず、ふっと立って、誘われるようにタクシーを拾い、仕事部屋にしている逗子のマンションでガス管をくわえたのだった。

私はその報を聞いたとき、最初は意外な感がしたが、やがて自然死であるように思われた。事実上は自殺に違いないが、しかし、何かひどく自然で、たおやかで、納得できる自殺のように思われた。

しかし、それは川端さんの虚無を私が理解できるからであった。その虚無の重さを川端さんがその華奢な体では支えきれぬほどに圧し、凌駕していると思われるからであった。

この、生まれてきたことがそもそも間違っていたと思われる生得の虚無主義者はとうとうその虚無主義を克服できぬまま、逝った。

生まれつきの虚無主義者は虚無主義と言えぬかも知れぬ。虚無主義者にしかなれぬ者は結局、虚無主義者ではないのだ。これは言葉の遊びではない。生得の虚無は虚無としか言えぬ。ただ、それだけのことである。つまり、彼は生まれてから死ぬまで、とうとう虚無をしか知らなかったということである。

しかし、川端さんの虚無は虚無をしか知らぬから、その虚無の底から光を帯びた美しい、哀しいまでに美しい叙情を帯びた孤独を奏でた。その孤独は孤高であって、「幽明の境を生きた人」(安岡章太郎)と言われるまでになった。その幽明から、川端さんは生きとし生ける者を凝視(みつ)めるだけあって、生きとし生ける者は徒労と呼ばれ、「がらんどうの眼」(小林秀雄)に映る透明な、無垢な、純真な、ガラス玉のような、見事な珠玉のような作品を生み出し続けた。

「自己放棄がそのまま自己表現となる稀有な作品群」(三島由紀夫)と呼ばれた戦後の「千羽鶴」「山の音」は川端さんの孤独をいよいよ印象づけた。冷えた塊りのような覚めたその眼差しは動かぬまま、事象を描写し続けた。眼差しは動かぬから、事象は残酷なまでにその美しさの核を顕わし続けた。剥がれ、はだけられた現実は美を抽出するための餌とされた。

人々はその美を見出し得ず、美しい物語りにのみ驚嘆して、彼を花鳥風月の作家、手弱女ぶりの書き手、日本的情趣を巧みに描く達人と評した。

さすがに安岡や三島や立原正秋「魅入られると、地獄のように身動きがとれない小説世界」や吉行淳之介「信吾(山の音の主人公)の深い孤独は癒すすべのない致命的な何かがある」はそれだけではないことを見抜いていたが、終生、彼はその孤独のほどには孤独を理解されない作家であった。

太宰も三島も、川端の孤独の深さとニヒリズムの境地においては遠く及ばない。彼らがいかにニヒリズムを我が物としたかのように思っても、それは気取りであった。気取りに過ぎなかった。もしくは赤ん坊のたわ言であった。川端の孤独はそれほどに深く、宿阿のように彼の心の奥深く、巣食うていた。

葬式の名人であった。

とうとう、彼も葬式をして、逝った。

彼は異国へ旅立った。否、自国へ旅立った。

それから、四十年になる。

彼の孤独は癒されたか? 知らない。彼の孤高は未だにあるか? 知らない。

何故なら、彼はいないからである。

 

作家の川上弘美さんは小説「山の音」について、「十行くらい読んで、もういちど戻って同じところを読む。しばらく頁を繰って、ふたたびさっきの十行に戻る。(中略)。気持ちよくて、何回でも読んでしまう。寝床の頭の上に置いて、毎晩読むようになった」と書いている。同じ病の人がいるものだなと思う。私もかつて、聖書のように「山の音」を読んだ。途中から読み、溜め息をつき、放り出し、また、手元に置いて、また読んだ。「自己放棄がそのまま自己表現となる稀有な作品」と三島由紀夫が言っているのは主に「山の音」のことだと思う。さりげなく書かれながら、彫刻のようである。水のように流れながら、奥行きが深い。放り出すように書かれながら、あたたかく、せつない。それは三島が言っているように「自己放棄がそのまま自己表現となっている」からだと思う。

 

「電車の窓にふと曼珠沙華が映って、秋だった」。

 

ひと筆書きで、さらっと払ったような文章である。といって、草書のようでありながら、楷書のようでもある。その訳はさりげなく書かれながら、実は奥行きが深くて、彫刻のような立体感がある。誰かが言っていた。「俳句の散文化である」と。なるほど、俳句と言われれば、そうかと思う。電車の窓、曼珠沙華、秋を一気につなげて、一つの文章にした。と、すると、電車の窓と曼珠沙華と秋とが読者の脳裏で炸裂して、鮮烈なイメージとなる。「解剖台の上で、ミシンと蝙蝠傘が遭遇したように美しく」。ロートレアモンまで想起してしまう。

 

主人公の尾形信吾と嫁の菊子が新宿御苑で出会う場面を或る外国の評論家は「デリカシーの極致。胸がせつなく、痛くなる」と語った。

しかし、この作家の素晴らしさは文章ではない。少なくとも文章そのものではない。文章の奥に潜む、言いようのない、救いようのない孤独の核である。この孤独の核は吉行淳之介が言うように「癒すすべのない致命的な何か」である。読者はこの何かに触れたとき、魔の虜となる。立原正秋が「魅入られると、地獄のように身動きがとれない小説世界」と言っているのはこのことなのである。

主人公の尾形信吾は座敷わらしのようなものだ。自分の家族を眺めやりながら、自分は家族のようではない。その眼差しは過去、現在、未来と、時間軸の上を生きねばならぬ我々と違って、永遠に逃れながら、永遠から我々を見やっているようである。

 

「雪国」から、川端は生活を生きる我々を、生活の外から眺めやる術を覚えた。

「この指だけがこれから会いに行く女を生々しく覚えている。はっきり思い出そうと焦れば焦るほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。(中略)。鏡の中の男の顔色は、ただもう娘の胸のあたりを見ているゆえに安らかだというふうに落ち着いていた。弱い体力が弱いながらに甘い調和を漂わせていた。(中略)。これらがまことに自然であった。このようにして距離というものを忘れながら、二人は果てしなく遠くへ行くものの姿のように思われたほどだった。それゆえ島村は悲しみを見ているという辛さはなくて、夢のからくりを眺めているような思いだった」

徹底して突き放された事象は過度な感情移入がないだけに小林の言う「がらんどうの眼」という()過器(●●)を通って純化され、薄い、澄み通った美の化身となる。読者はこの鍛錬を徹底的に施され、「千羽鶴」「古都」で鍛え上げられ、「山の音」で、とうとう川端の術中にはまる。川端教の完成である。「気持ちよくて、何回でも読んでしまう。寝床の頭の上に置いて、毎晩読むようになった」(川上弘美)であり、「魅入られると、地獄のように身動きがとれない小説世界」(立原正秋)なのである。

生まれてすみませんという言葉は太宰治の専売特許だと私は思っていたが、川端作品に長く触れ、しばらく経つうちに、これは川端の作品のテーマだと思うようになった。冒頭に「生まれてきたことがそもそも間違っていた」と書いたが、この作家は「自らを生へ追いやった何ものかを仮想敵」と呼び、自らの人生と作品について「偽りの夢に遊んで、死に行く」と語った。まるで、確かに「生まれてきたことがそもそも間違っていた」と言わんばかりである。私が川端の死を「異国へ旅立った。否、自国へ旅立った」と書いたのはその故だ。言ってみれば、川端の死はやはり、自然死だったのである。

 

哀しいほど美しいとは?

 

小説「雪国」(川端康成)の冒頭から間もなく「哀しいほど美しい声であった」という文章が出て来ます。この文章は少なくとも私の周りの文学好きな方々にはあまり好まれません。大仰な叙情、或いはセンチメンタルに過ぎるというのが大方の評のようです。哀しいほど、という言葉が特に理論的なことを好むタイプの文学好きには抵抗があるようです。「哀しいほど美しい、とはあり得ない」とか、「美しいことが哀しいことに直結して行くことが理解できない」とか、そういったことが理由のようです。また、特に文学好きでもない方がこういう文章を読むと、「美しいことはいいことなのに、何故、哀しいのか?」ということにもなります。

しかし、私の娘が中二のときだったと思いますが、あるとき、音楽を聴いていて、「きれい過ぎて、悲しい」と言ったのを覚えています。あんまりきれいだと、それが哀しいという感情に行き着いて行くという感情の成り行きは決してないことではないのではないでしょうか?

例えばどこかの国の貧しい子供らが生きて行くのにまったく最低限の生活を強いられ、その中で、しかし、素朴にたくましく生きて行くのを見たとき、そのとき、私たちがたまさかに流す涙は同情でしょうか?同情もあるかも知れませんが、人間の或るピュアな精神に対する感動というものがあるのではないのでしょうか?その無垢なものに対する感動というものが先の「哀しいほど美しい」と言う文章にも表れていると思います。

これは生きている者の美しさと、それに対する感動の表現なのです。人がその雑駁な感情から洗いさられ、拭われ、まっさらな感情になるときに現れる感動の叫びなのです。

美しい、とは形状のことです。目に見えるもののことです。しかし、その向こうに人間が何かの作用のように普通でない、何か普通と思われない、無垢な清浄な、或る無窮の意識空間に行き逢うとき、人は哀しみに満ちたその人間存在の在り方に感動を覚えるのです。それが「哀しいほど美しい」という人間の美しさの原型です。こういう感性は宗教的感情に行き逢うものです。川端康成は仏典に精通した作家ですが、その資質はもとより、宗教的感情へと高められた行く性質を持っていました。いずれ、この項で書いて行くつもりですが、彼が仏教にもキリスト教にも行き着いて行く性格を持った作家だということだけを述べて、今回は終わりたいと思います。