似非キリスト者の芸術、太宰治

 

私は太宰治が嫌いです。彼の作品が近代日本文学の中で超一級品であることも認めますが、それでも嫌いです。

優れた作品であることと、その作品を好きかどうかは別の話ですから、私ははっきりと太宰作品を嫌いということができます。

太宰は聖書をよく読んだ作家でした。その作品の冒頭にはよく聖書の聖句がエピローグとして掲げられています。

しかし、太宰の作品から聖書の影響らしきものを見つけることはあっても、キリスト教の中核であるイエス・キリストの十字架の最後のメッセージの中身を太宰が完全に感得していたとは私にはどうも思えません。

イエス・キリストによる十字架の死と復活は「自我が砕かれる」という体験を与えられる、或いはそのことに覚醒させられるものだと私は思っていますが、その意味では太宰の作品は、イエス・キリストに限りなく近いと思われながら、結局は最後のところで最も遠くなるという性質を抱えていました。

文芸評論家の小川国夫氏は「太宰は聖書の中に文学者が視てはならぬものを感じ取っていた。そして、文学者であるためには、それから逃げねばならぬことをよく知っていた」という意味合いのことを言っています。

太宰のどの作品を読んでも、そこに太宰そのものの顔があっさりと拍子抜けするほど露骨に無自覚に現れていることに気づきます。それは芸術が自意識の現れ、もしくはむしろ、さらに踏み込んで媚薬の役割を果たすことを考えたとしても、私にはそれが邪魔に思えるのです。つまり、「顔は要らない」のです。つまり、顔は自意識であり、その顔を読者に感じさせぬことが芸術が芸術を超えて、さらに至高のものになる条件なのだと思うのです。イエス・キリストが十字架で私たちに示した「自我の砕きの要求」は太宰には届かなかったのでしょうか?届いていたけれども、気づかなかったのでしょうか?いや、気づかないふりをしていたのでしょうか?

太宰の作品が最後のところで、結局、ナルシズムから逃れ得ぬ性質をどうにも匂わせてしまうことは、彼の作品が、いや彼自身がイエス・キリストを意識していたらしいことからみて、極めて残念なことです。太宰治にとって、ナルシズムとは他のどの作家にも増して自分に巣食う、芸術家としては美質、魂の聖なる求道家としては致命的なマイナスの要素でした。ですから、太宰にごく普通の芸術を求める者はその作品に自意識や自我に伴うナルシズムから来る媚薬の芳しい香りを嗅ぎ、私のような宗教的求道をどうしても求めてしまう者にはどうしても物足りない、いや、人間に最も大切なものを描いてくれるはずなのに描いてくれない、もしくは描けるはずなのに描かない、隔靴掻痒の、どうにも歯がゆい芸術家に思えるのです。

しかし、芸術と宗教とは所詮、そういう差異を持ったものなのでしょう。太宰のテーマはそれを如実に示したのかも知れません。誰も人間を神と仰ぎませんが、太宰だけは自らを神と仰ぐことを周囲に求めました。それはナルシズムの極限で、太宰はそれがなければ生きられず、また、それがなければ死ねなかった作家だと思われます。

いずれにしても、死ぬさいの太宰にはキリストは不要でした。何故なら、自分が似非キリストでしたから。

彼はむしろ、宗教を言うなら、キリスト教よりもよほど日本的な無常観の漂う、いや、観念的であることすらも逃れた見事な仏教者のごとき人でした。何故なら、こんな言葉を遺しているからです。「私がこれまで必死の思いで生きて来て、ただ一つ、真実らしきもの、これだけは信じられると思われるものがありました。それはただ、いっさいは過ぎて行くということです」(人間失格)。

ところで、次の三島由紀夫の言葉は彼が嫌いであった太宰治の実は心に秘めていた文学(小説)というものの本質について、不気味なほどまことに当を得た表現であると思うのですが、どうでしょう。ひょっとすると、太宰はこんなことを知っていて、いや、知っているからこそ、その場所=宗教=から引き返してきたとも思えるのです。引用してみます。

「ほんとうの文学は、人間というものがいかにおそろしい宿命に満ちたものであるかを、何ら歯に衣きせずにズバズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷の見せもののように、人をおどかすおそろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅惑に満ちた描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教えてくれるのである。そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。そして、もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れて行ってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが「よい文学」である」(若きサムライのために・三島由紀夫)。

まことに太宰はそこから逃げた作家なのかも知れません。小川国夫は確かに太宰のことをよく分析していたでしょう。しかし、私は「もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いない」と考え、おそらくキリスト教を選んだのでしょう。いや、キリストに帰依したのでしょう。しかし、その私はあくまで矛盾した人間で、教会が推奨するお行儀の良いキリスト者ではなく、キリスト者であっても、煩悶し、懐疑する、一人の、あくまで文学的人間なのです。

 

 参考文献=「どのように生きなくてはならないか」ということをじゅうぶんに学んだその人々にとっても、「人生とは何であるか?」「わたしとは何であるか?」という自己に対する最も根底的な問いが未解決のまま残されているのである。その人々は、その問題に無知なのではない。否、その問いかけの危険性さえもよく知っているのである。底のないどろ沼のなかに足をすべらすまいという賢明さが、なにか不徹底な自己との妥協を余儀なくさせているということ、これがその人たちの額にかげる寂しさなのである。しばしば彼らは、人生の底深い哀しさをうたう詩人である。「祈り」(奥村一郎)

 

愛され過ぎた男

 

太宰は青春文学だという人がいる。「もう、卒業した」という三十男もいる。お笑いである。太宰は卒業できる作家ではない。むしろ、四十、五十と、熟年に達しなければ、理解出来ない件りもある。「人間失格」の「一切は過ぎて行く」という文句や、「ヴィヨンの妻」の「私たちは生きていさえすればいいのよ」という細君の達観した言葉などは、とてもなまじの人生経験で理解出来るものではない。しかも、これらの文句は観念的な、書物で学んだような文句ではない。作者が世間に身を(さら)して、わざわざ傷口に塩を当てて、夜風に当て、(いた)みに(いた)んだ果てに紡ぎ出したような文句なのだ。
  太宰は世間で言葉を拾った作家だった。チヤホヤされながらも、自分だけはやけに覚めていて、世間を通り過ぎる風を肌身に感じながら、それを言葉にした。
  それだけが太宰の誠実だつた。何故なら、太宰は他の何者かには絶えず演技をしている自分を感じていたから。つまり、百パーセント、一切合切に本気になれる訳ではなかった。どこかで覚めていた。そのことを恥じはしても、自惚(うぬぼ)れる作家ではなかった。

だから、太宰は愛された。愛が太宰を殺した。それを承知で、太宰も死んだ。女に引きずられながら、川に沈んで行くとき、太宰はこう思ったのだ。「俺はまた、生き残るだろう。自殺未遂の名人だから」。しかし、太宰は計算違いをした。女があまりに太宰を愛し過ぎていたのだ。「しまった」と思っても、もう遅かった。太宰は深情けの女に殺された。でも、それは太宰の了承した死だった。太宰は死ぬ折りには微笑んでいただろう。「これは何かの間違いだが、しかし、俺らしい」。

 

贖罪としての死

 

太宰を純粋だという人もいる。しかし、どこかで演技している自分を感じている人間が純粋だろうか。含羞の人と呼ばれている人間が純粋だろうか。
 確かに通常の意味では純粋だろう。しかし、妥協せずに言えば、演技も含羞も純粋ではない。純粋とは真っ白で、邪気がないことだ。
 考えてみれば、純粋であり、邪気のない人間に小説は書けないだろう。ましてや、太宰が生きた時代は戦前から戦後の激動期だった。そんな時代に、生きるに必死な人々を見た太宰は人間の醜さも間近でしっかりと見たはずだ。そしてそんな人間の生き様の愚かさや切なさを描いた。それは矛盾を描くことでもあった。何故なら、それが散文だからだ。散文は詩ではない。醜いなら、醜い人間を描き、美しいなら、美しい人間を描く。それが散文である。
  太宰は矛盾を生きた。それが散文家だからだ。矛盾の塊りである人間と、太宰は運命を共にした。それが太宰の誠実さだった。演技した者はせめて、矛盾の塊りでも、人間と運命を共にしなければならぬ。それが贖罪だからだ。太宰は贖罪を果たして死んだ。その死に様のみっともなさはそれを示していた。「女よ、あまりに俺を愛し過ぎるな。俺はそんなに純情ではない。しかし、お前たちを騙したのは私なのだ。その責任だけはしっかり取る」。太宰はそう思って死んだと、私は思っている。玉川上水に沈んで行くとき、太宰はきっと、「これが俺の運命なのだ」と思っていたのだ。