教会での違和感について①

 

過ちと向かい合う厳しさについて

 カトリック教会に三十年もいれば、雰囲気として分かってしまうことなのですが、アメリカを始めとする教会のスキャンダラスな出来事に、司祭、シスター、教会幹部、信者、それらの人々が「我れ、関せず」といった(てい)でいることには表現する言葉も見当たりません。いったい、此処は何処(どこ)なのだろうと、心の中で彼方此方(あちらこちら)を見渡しては首を傾げる元気もなく、教会を後にするばかりです。
 歴史の中で犯して来た
(あやま)ちについて司祭や信者と語り合ったことはありませんし、ましてや欧米諸国のカトリック教会でのスキャンダラスな出来事は「とりあえず、私たちには関係のない出来事」という雰囲気がミサ中もミサ後も、お御堂(みどう)の中も外も、お茶室でも感じることです。
 
()しくは、そういうことを口にすると、「お前が考えることではない」と、(ただ)ちに司祭から言われてしまうとでも思っているのでしょうか。
 ともあれ、此処は教会であり、他の何処でもないのです。罪を悔い、祈り、改め、行動を起こす場所なのです。
 私は文学仲間を思い起こすのですが、他人を傷つければ、直ちに謝りますし、暴力沙汰や、かてて加えて(合意のない)性的虐待など聞いたことがありません。彼らはモラル(倫理)を旨としておりますし、何しろ文学を志すということは「知らず知らず、強靭な倫理を身に負う」ということなのですから。・・・・

 
カトリック信徒の責任について

 私たちは今、現在のみ、キリスト教徒(カトリック信徒)であるということではありません。今も現在も過去もカトリック信徒であったということなのです。そして、未来もそうです。 

何故なら、私たちがカトリック信徒にしてしまった(●●●●●●)子供たち(幼児洗礼)はこれからもカトリック信徒であり、過去にカトリック信徒であったという責任を身に負うからです。ですから、私たちは過去も現在も未来もカトリック信徒であった、或いは(ある)という責任を身に負わなければならないのです。

そうでなければ、何のためにイエスは二千年の昔、十字架を身に負わなければならなかったのでしょう。そうして、何のために(はりつけ)にならなければならなかったのでしょう。
 私たちは今も現在も過去もカトリック信徒であるのです。そうして未来永劫、カトリック信徒であるのです。でなければ、復活は何の意味があるのでしょう。キリストは未来永劫、生きているではありませんか。その限りにおいて、我々は子孫に、例え無神論者になったとしても、その心の何処かにイエス・キリストの精神の種を植えつけて
しまっている(●●●●●●)ではありませんか。つまり、影響を与えているではありませんか。カトリック信徒はカトリック信徒になってしまった(●●●●●●)(静謐なる自然という意味において)その点において周りに影響を与えているのです。ですから、私たちには責任があるのです。今、現在のみならず、未来においても……。

ですから、私たちの視点を二千年の昔から、歴史を追って検証しながら、カトリックが犯した罪を悔い、祈り、現在起きている出来事(スキャンダル)も自らの事として心に留め、イエス・キリストの十字架に向かい、祈ることが必要なのです。

そして取りも直さずそのことは「わがはらわた彼のために痛む。われ必ず彼をあわれむべし」 (エレミヤ31:20, 文語訳)から来るスプランクマニツォイ(憐れみ・共感、共苦) の精神を共に共有するということにあるのです。

ミサで司会をする折り、「皆で、心を一つにして祈りましょう」という言葉から始まりますが、その祈りは当然、イエス・キリストに捧げられると同時に私たちも今、現在の悔いも悔いとして、今、現在の歓びも歓びとして祈り、共有するはずです。

そのさい、二千年の歴史と伝統を大事にし、その中に営々と流れているカトリシズムの精神を感じるはずですから、そう考えれば、当然、今、起きている出来事に対しても心が打ち騒ぎ、反応するのは当然ではありませんか?

その心がどうも、教会では感じられないのです。

森一弘(元・司教)が「これからの教会のありようを考える」という著書で、累々とそれらのことを述べておられますが、案件が多く、全ては引用が困難なので、一箇所だけ引用して終わります。

「小さい人々をつまずかせ、その傷みに鈍感な教会は、「大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められるほうがましである」(マタイ18~6)とキリストから言われてしまうに違いない。教会の根本的な浄化が必要である」。「これからの教会のありようを考える・168頁」(森一弘)

 

参考文献=あやまちをおかした時、かくすこともせず、それを背負って生きようとする謙虚さと真実さこそ、神の恵みの中に人間を導くものだと思います。逆に、そうした事実から目をそらし、自分は白であるかのようにふるまう心からは神との出会いは消えていくと思いますし、それは、おっしゃるとおり、偽りです。

教会の中に、臭いものに蓋をするような姿勢が、過去のあやまちに対してみられるとすれば、それは教会そのものが宗教上の生命を失うことにもなりかねない危険なことだと思います。自分のあやまちと向かい合う厳しさこそ、神のあわれみとの真実の出会いを育てていくものだと思いますし、また、そうあってこそ、人々から信頼をがちうることができるのではないでしょうか。「神父が答える身の上相談」(森一弘)より

 

参考文献=カトリック信者とは、「私はすべての人、一人ひとりに自分を与えたものだ。私は、私のいのちを求める権利があるすべての人の負債者なのだ。私は教会なのだから。私の心に境界はない」という意味です。これがカトリックであることなのです」。「日常を神とともに・224頁」。(モーリス・ズンデル神父)

 

参考文献=M・ハイデッガーは、私たちが時間の中で生きるものであることを真剣に考えるように説いた。私たちは生まれてから死ぬまで、いやおうなしに時間の中で生きている。過去と未来にかかわりつつ現時点を生きている。彼によると、この中で私たちは、提供されたものとしてある過去の遺産から、未来の可能性と限界性を受け取り、現在その可能性に向かって決断するものなのである。「私たちにとって聖書とは何なのか・72頁」(和田幹男)。

 

参考文献=どれだけの宗教家が見かけ倒しの舞台衣装を着ていることか!実にそれは喜劇です。そこには神との出会いが決してなかったのです。どれだけの司祭が神との出会いを決して体験せずに神について説教していることか!「日常を神とともに・32頁」(モーリス・ズンデル)。

 

参考文献=教皇ピオ十一世は意味深長な指示を出している。すべてのキリスト教徒は「精神的ユダヤ人である」と。それにもかかわらず、アウシュヴィッツから何年もたつのに、世界にわたって、聖金曜日(復活祭前の金曜日)の礼拝で、ミサに集まったカトリック教徒の集団としての願いは次のようである。「どうか不実なるユダヤ人のためにも祈らせたまえ。」この願いを導入したのは、六〇〇年、教皇大グレゴリウスであった。その後、一九四八年、教皇ピオ十二世は、この願いの文句は「改善する必要がある」と認め、ようやく教皇ヨハネ二三世になって、一九五九年の復活祭にその取りやめに尽力した。

しかし今日にいたるまで、度しがたい「キリスト教徒」によって、あいかわらず「ユダヤ人」は「われらの救世主の殺害者」だとの非難をこうむっている。第二ヴァチカン公会議でやっと公式に「神殺し」という言葉から別れを告げた。「法律家の見たイエスの裁判」(W・フリッケ著・四一五頁)。

 

 参考文献=ヨハネ十三世の死の直前の祈りより抜粋=「わたしたちが不当にもユダヤ人という名にたいして浴びせていた呪いを宥したまえ。わたしたちが、その呪いにおいてあなたを二度も十字架にかけたことを宥したまえ。なぜならば、わたしたちはその為すところを知らなかったからである」「法律家の見たイエスの裁判」(W・フリッケ著・四一六頁)。

 

参考文献=「キリストの抹殺は無神論者でもなく、他宗教者でもなく、キリスト者自身にほかならないということになる。ここ二千年の教会の歴史が何を物語ってきたかを、キリスト者は真剣に反省しなくてはなるまい」(奥村一郎選集3・73頁)。

 

 参考文献=宗教家は多くの場合、あまりにも他を知らない。科学者は常に他から学ぼうとし、哲学者でさえ他の学説に常に注意を払っている。しかるに宗教家は、自己を保つに他を必要としないということから、また他を問題にすることによって自分の信仰がぐらつく恐れからも、他の宗教に対しては無知であるか、また知るとしても、最初から戦闘的護教意識に駆られて、ただアラ探しのための研究になり下がったり、聞きかじりのことから、自分勝手な早急な判断を下して得々としていたりする。このような態度が、およそ非キリスト的であり、非カトリック的であることに気がつくことさえなく、それが根強く我々の中に隠されていることがあるのは嘆くにもあまりある。というのは、日本のような多くの宗教が雑居し、各々その市民権を獲得している社会において、そうした縄張り意識ほど布教を阻害しているものはないからである。「奥村一郎選集2」(奥村一郎)