眠る時間が長くなった。

痛みで目が覚め、治まると寝る。


弟と義妹と私が揃ったときに、ごそごそと身の置き所のないような仕草をする。

背中をさすったり、向きを変えたりし、落ち着いて眠りはじめた。

しばらくして、「もうよかよ。もうよか」としっかりとした口調で言った。

この時はなんのことだかわからずに、「うんうん、もうよかとね」というと

「もうよか。もうよかよ。」と繰り返した。


それから、突然目を開けて「いかんでいいと」と聞いてきた。

仕事のことかなと思い、「夏休みよ。もう、しばらく休みやけんね。ずっとおるよ」と言うと

黙って目を閉じた。


午後から、ご近所歴、40年以上の仲良しが揃ってお見舞いに。

ぐっすり寝ていたにもかかわらず、起きて痛みを訴える。

昨夜、痛み止めの錠剤が喉につかえ苦しそうだったので、ゼリー状のものに替えてもらう。

ゼリーは苦いらしく、なかなか口を閉じない。

メロンの果汁をしぼって飲ませると、「おいしい」と言った。


薬が効いてそれから再び、よく眠った。

だんだん 呼吸の間隔が開いてきた。

7秒おきぐらいに深く呼吸をする。

反応もなくなったので深夜心電図をつけた。

このまま意識がだんだんなくなるかもしれないと言われた。

これが、属に言う「危篤」なんだろうか。

彼岸根と唐胡麻のことを知ったのは波多江伸子先生の「モルヒネはシャーベットで」という本であった。


ネットで調べてみると「唐胡麻と彼岸根による足裏療法 」として、ちゃんと売られているではないか。

早速、ネットでお取り寄せと思ったが、一刻も早く試してみたかったので、近くの漢方薬局へ。

すると、置いていない。

腹水や足のむくみは、肝臓機能の低下にようるものだから、野ぶどうがよいと「野ぶどうはB、C型肝炎にも有効! 」という本を見せられ、野ぶどうの漢方を勧められたが、飲み薬なので丁重にお断りした。

次の薬局でも野ぶどう。次の薬局でも野ぶどう。三軒続けて野ぶどうを勧められたが、どうも今聞いてきた話をおさらいしているように、みんな同じ口調で同じ話をする。

漢方薬学会かなにかで発表があったばかりなんだろうか?


猜疑心の強い私は、売り手のそういうトークをつい疑ってしまう。


4件目の薬局でようやく唐胡麻と彼岸根を手に入れ、店主らしきおばあさんの「よー効くよ」の言葉に励まされ、ついつい酵素まで買ってしまう。


彼岸根についてお尋ねが多いので、ここに写真を載せてみます。


唐胡麻と彼岸根


<用意するもの>

ペンチ、すり鉢、すりこぎ、おろし金、スプーン、リント布(5×10センチ程度二枚)、包帯(足にまける程度二枚)


<作り方(一回分)>

1.唐胡麻20~25個くらい。ペンチで軽く挟んで殻を割り、むく。

2.すりばちでする。

3.彼岸根3個くらい。皮をむいて先を切り落とす。

4.おろし金ですりおろす。

5.唐胡麻と彼岸根を混ぜ合わせる。

6.リント布に塗る。

7.足の土踏まずに貼るって包帯で止める。


※寝る前に貼って、朝にははがします。

※リント布は薬局にありました。ネルのような感じ。ガーゼだと目が粗く吸い込んでしまうらしいです。

※包帯で巻いた上に編みのサポータで止めるとずれません。


彼岸根は毒性が強いらしく、口に入らないように気をつけなきゃダメです。

ちょっとでも傷があるときは使えないらしいです。かぶれたときは止めた方がいいそうです。


母の妹と弟が来る。

色々と込み入った事情があり、弟とは不仲な状態が何年も続いていた。

母が発病してからも何度も知らせたが、会うことはなく今日まできていたので、もっと元気な時に会ってほしかったものだと悔やんでいるのは私だけだろうか。


母は叔父を見ると、無表情のままだが、手を差し出した。

その手を叔父は何事もなかったようにずっと握って昔話をしていた。


白血病から奇跡的に生還した叔母はあれこれと病人の扱いについて教えてくれた。

幼い頃は無口でおとなしかった叔母は今は、大阪のおばちゃんノリの陽気なおばさんに変貌した。

底抜けに明るい叔母だからそこ、こうして元気になったのだろうか。


彼岸根の湿布を7日続けてかなり効果がみられるので、今日は休んでみた。

深夜、母の足がみるみる浮腫んできたので、あわてて湿布をしたら、翌日むくみはとれていた。

やっぱり、効いている。


こんなことが起こると、ガンが消えてしまうという漢方薬も試してみるべきだったのかもしれないと思う。

しかし、西洋医学と東洋医学が対立しているような現代の医学会の中で患者は何をチョイスできるのかさえもかわらない。

外科治療を受けた時点で病院に身を任せるしか考えが及ばないのだろう。


自分が病んだとき、さて、どう思うだろう。


一日の食事量 お粥10口、果汁スプーン3杯、魚の煮物(すり身)2口

今日は来客が多い日だったらしい。

旅行仲間や近所の仲良しが次々に訪れたそうだ。


仕事のために私は帰宅していたが、夜、どうにも気になって息子と夫と共に様子を見に行く。

夜のほんのわずかな時間だったが、やっぱり顔を見るとホッとする。

帰り際、息子の手をにぎってうれしそうにして離さなかった。


義妹が夜の付き添いをする


明け方、息苦しいと言って酸素吸入を導入


夜間の付き添いがなく、心配していた矢先。

トイレに1人で行こうとしてこけて、太ももと唇を打ったらしい。

どちらも内出血。

座り込んで立てなくなったのでナースコール。


ナースを待っていたのでは、もらしてしまうらしい。


夜間、勤務のナース数は極端に少なくなるので手が廻らない。

病院のホームページによると、夜間は患者15人以下に1人の割り当てとなっている。

今後は、夜間の付き添いがだれも出来ないときは、介護を雇うことにしようかな。

朝からシャワーを浴びる。

できることは自分でしたいらしく、髪は自分で洗う。

歩行には体力を使うらしく、4-5mの距離を車椅子で移動。

シャワーの後、一眠り。

カステラを食べたいと言い、二口食べる。

その他、今日はお昼にお粥一口、夜にカステラ二口


昨日、今日と夕食は弟家族と一緒に病室で食べる。

母も食事風景を見ながら、少しは食欲が湧くのだろう。

皆が食べ終わるころには、少しお腹がすいてきたと言う。

それでも、ごく少量だが・・・。


明日から病院に食事をお願いすることにした。

母の食事時間に合わせて、9時14時19時と持ってきてもらう。

メニューも一口ずつアラカルトで用意してくれるらしい。


今夜は付き添いがいないので、少々心配。

調子よくなったり、悪くなったりが繰り返す。

さっきまでニコニコしていたかと思うと、焦点が合わず眉間にシワを寄せていたり・・・。

相変らず食事は進まず、今日一日の食事はキウイ6分の1、三分粥二口、そうめん二口。


夜も付き添う。


母は9時過ぎには眠った。私は洗面所の明かりでレース編みをする。

夜中4-5回トイレに起きる。

点滴をひとつ終え、母はだいぶ気分がよくなったらしい。

妹の話では、目が元に戻ったそうだ。


足の腫れがひいているのでびっくりしたと、看護師Iさんから電話をもらった。

病院でも妹が彼岸花の貼り薬を続けてくれているからだろう。


相変らず食事はスイカのみ。


弟が実家の網戸を直してくれた。そんなに田舎でもないのだが、一軒家は蚊が多いので少しの破れも気になるところ。前々から張り替えようと思っていてなかなか時間がそれずにいたので、よかったよかった。

食事がほとんど取れなくなり、一日中寝てばかりいる日が3日ほど続いた。

先週は、しばらくこのままだといい時間が持てると思っていたが、ここ数日はほんとうに弱っている。


今朝も朝食はおろか、朝の薬ものめないと言う


病院へ行き、病棟の看護師さんに相談すると、すぐに主治医と話す時間を設けてくれた。

胸水が溜まっているせいで、動悸や息切れなどを起こすらしい。

また、腹水が胃を圧迫して食事が入らないのだろうとも言われた。

主治医としては、最後を自宅でと思うなら、自宅看護をしなければならないから、訪問できるドクターを手配した方がいいという考えらしい。

しかし、病院でと思っているなら、入院して欲しいと。

母は今度入院したら最後なんだと思っているので、なかなか入院すると言わない。

「食事ができないんだから衰弱するよ、点滴をするために入院しよう。

元気になれば、帰れるから」と母に話して入院させる。


病院から寝台車が迎えに来た。

今日はストレッチャーで病室まで運ばれ、本人は楽チンだったようだ。


なるべく自分のペースで過ごせるように個室にしてもらった。


父が見舞い、次々に知っているスタッフが顔を見せてくれて、ちょっと元気がでた気がした。


昨日からはじめた彼岸花のこう薬は思ったより、期待できそう。

今朝、包帯を外すと本当に足の腫れが減っていた。

これには、病院のスタッフもびっくり。

入院中も続けるつもりなので楽しみ。


庭には、枯れた鉢がいっぱい。

見ているだけでむなしくなるので、思い切って整理することにした。

バケツをひっくりかえしたように雨が降った翌日、早朝から草取りと庭の整理にとりかかった。

丸々、4時間。ひとりで作業をしてなんとか終わった。


処分した鉢は30個以上

入っていた土をブロックで囲って花壇を作った。


蚊が湧かないように水がたまりそうなモノは温室へ片付け

夏を迎える準備はできた。

明日は花壇に花を植えようかな