甘えベタで、本当は誰かに頼りたいと思って居ても頼るのが苦手で、一人でなんとかしてしまおうとする幼子でした。
年の離れた弟で、母親が病弱で、そして母が早くに亡くなって、結局弟の世話やら父親の世話やらを担ってしまう少女時代でした。
甘える事が苦手な娘は、父の後添えにしても「可愛げの無い娘」に思えたのでしょう。義母に懐いた弟とは別に義母との間には大きな壁がありました。そして、そんな「可愛げの無い娘」を制圧下にするには、スピリチュアルを騙る事が彼女にはとっては最善に効果的な事だったのでしょう。
唯一甘える事の出来た祖母とは、距離的になかなか会えず、私が社会人になった年に亡くなりました。
結婚すれば、トラブルメーカー(姑)の存在。何もかもを依存されて、舅の介護看取り、その後のトラブルメーカー本人の介護。逃げる事が出来ない性分で、結局担ってしまいました。
先輩には、甘えたくても甘えられない可愛げの無い後輩の位置であったと思います。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と、気が付けば後輩にわちゃわちゃと囲まれておりましたし、その後輩のやりっ放しの後始末を好む好まざるは別に引き受けてしまう人でした。
割りと貧乏くじを引く人なのです。
そうですね。
確かに、この表彰状は当たっております。
その貧乏くじを逃げずに頑張って引き受けた自分を、素直に誉めようと今では思えます。
最近では、ブツブツと文句を言いながらも面倒をみてくれる主人や娘に甘える事を覚えて来て、「楽ぅ~」と思って暮らせております。
昨今の穏やかな日々は、貧乏くじを引き受けて来た後の福なのかも…と、表彰状を貰って思うので御座います。