ちよちゃんの五歳年上の次姉の長男の嫁…が、亡くなった。62歳。

大腸がん、だったらしい。

六年前に発症。手術、放射線治療、抗がん剤治療を得て、その後は割りと元気で過ごせたらしい。

昨年、がんが再発。治療むなしく亡くなった事を、喪主挨拶で語られた。


次姉長男夫婦には二人の子供が居て、ちよちゃんの内孫であるちよちゃん長男夫婦の子供と同世代である。

次姉長男夫婦の長子がちよちゃんの内孫と一つ年上で、次姉長男夫婦の次子がちよちゃんの内孫と一つ年下。

本当に幼い頃は、三人でまるで兄妹(きょうだい)の様にわちゃわちゃとあっちの家こっちの家を行き来して遊んで居た。

多分、ちよちゃんやちよちゃん次姉のお互いのマウントの取り合いや依存体質が無ければ、三人は今でも再従兄妹(はとこ)同士で仲良く付き合えて居たのでは無いかとちよちゃん長男夫婦は考えて居る。


再従兄妹(はとこ)同士三人で小学校へ登校して居たが、小学生三年生になったちよちゃんの内孫がだんだん学校へ行きたがらなくなった。ちよちゃん長男の嫁がよくよく我が子から聞き出せば、再従兄妹(はとこ)から内孫へのいじめが発覚した。 本人は「祖母ちゃんの姉ちゃんの家の子供だから、いじめられてると言っては行けないと思っとった」と、長く我慢をして居たらしい。

結局、三人登校は止める事になった。が、その辺りの事が発端となり、段々再従兄妹(はとこ)同士は疎遠になって行ったし、両家も距離を取る様になって行った。

その再従兄妹(はとこ)同士のいじめ問題の原因になるいざこざが、実は両家に起こって居たのだがそれは長くなるのでこの話の中では割愛する。


ちよちゃん次姉の子供は三人で、長男の上に二人の姉が居る。

長女には二人の娘、次女には三人の子(娘二人と息子一人)。すべて同世代であるが、盆正月に帰省すれば従兄弟再従兄弟(いとこはとこ)で、それこそ大にぎわいになって居た。その中で、他の子供達と祖母が違う形になるちよちゃん内孫は、酷く疎外感を抱いて居たらしい。一人だけ除け者にされる小さないじめの種の様な物は、すでに仲良く遊んで居た幼い頃にも存在して居た。


両家の子供達は同隣組に住んで居るにも関わらず、中学・高校・大学・社会人へ育って行ったが、言葉を交わすどころか全く付き合わなくなり現在に至って居る。

両家の長男夫婦同士も、隣組の常会や一斉清掃等で顔を合わせれば、その他の御近所さんと同じ様に笑顔で挨拶はするものの、全く親戚付き合いを絶った状態であったのだ。


訃報が入った時、通夜や告別式への出席にちよちゃん長男夫婦には戸惑いがあった。上記の軋轢だけではなくて、家族葬と言えども、ちよちゃん次姉の長子次子の親族だけでもものすごい数になるし、故人の親族も多い。

姑に当たるちよちゃん次姉や、小姑に当たる次姉の長子次子が、故人をいびって居た事も顕著であったし、そんな骨肉の争いに巻き込まれるのは御免だと思ったのだ。


弔電だけにするか、とか。香典だけ送るか、とか。色々と頭を悩ませた後に、通夜に間に合う様に生花を送って、おとき等の飲食の席には着かず、告別式だけ列席して出棺を見送って帰ろうと言う話に落ち着いた。


ちよちゃんの長男夫婦が式場に着いた時に、夫婦を見つけた故人家族が走り寄って来た。そして、式に参席する事にとても喜んで居る風だった。

その様を、二人は不自然に思った。

特に故人の子供達は、ちよちゃん内孫との軋轢があるだけに、こちら家族を良くは思ってない筈なのだ。

その疑問は、式が始まって判る事となる。


骨肉の争いは無かった。が、ここまでに至るにとんでもない骨肉の争いがあった事を知るには充分だった。


式のボイコット。だと、思われる。

ちよちゃん次姉が高齢な為に出席出来なかった…と、言うのは誰でも理解するだろう。

事実、ちよちゃん自身が高齢の為に出席出来て居ないのだから。ちよちゃんより五歳年上の次姉が参席は難しいのは、誰でも理解出来るしゆるされる事であろう。

しかしながら、実弟嫁の葬儀に姉親族が誰一人も出席して居ないのは如何なものか。

帰省する度に、好き勝手させて貰って居た姉親族である。その持て成しに、故人は何時も奔走して居た。

欠席どころか、弔電も、生花さえ送って居ない。もしかしたら、香典だけは送り付けて居るかも知れないが。それはうかがい知れない。

葬儀に携わった故人家族(夫と子供達)意外の故人の伴侶側親族が、ちよちゃん長男夫婦だけだと言う異様な光景。

弔電は、故人実子二人の職場から、喪主満期前職場から、故人友人から。故人親族もあったかも知れない。が、喪主の姉二人の親族の存在は何も感じられない。

生花は、親族一同(これは故人家族だと思われる)、故人親族、喪主の満期退職前の職場、故人の実子二人の職場。後は、ちよちゃんとちよちゃん長男。

ちよちゃんは現在要介護5認定で実子嫁孫も認識出来て居ない状態であるが、頭がしっかりして居たら絶対花を送ったと思うので(確かにそう言ったけじめをつける人ではある)、ちよちゃんの名前と長男の名前で一対ずつ花を送らせた貰ったとちよちゃん長男が話すと、故人家族は相好を崩した。そう、故人伴侶側親族の生花はちよちゃんとちよちゃん長男からだけだったのだ。


何故彼女らがボイコットに至ったのかも、透けて見えた。

ちよちゃん長男夫婦は、故人を不憫だと思って居た。散々、姑小姑からいじめられて居たからだ。あれだけ露骨にいびるのだから、故人が勝ち気になるのも致し方の無い事かも知れなかった。多分何時も、嫁ではなくて母親や実姉側に着いて発言して居る様に見受けられた故人の伴侶だったのだ。子育てが終わり、伴侶が満期退職して夫婦と向き合ってからの時間が短いかった故人を、「良い事あったのかな。なんだかとても辛い人生だったみたいで切ないね」と、ちよちゃん長男家族は思って居たのだ。

だが。喪主挨拶で垣間見えたのは、大病をした妻を大切にして、その二人の人生を妨害するのものと決別したであろう夫の姿だった。

最初の手術治療後に、出来る限りの思い出作りの為、二人は旅に出掛ける様になったらしい。日本全国津々浦々。全都道府県制覇を目指して居たとの事。後東北地方の数県を残して、故人は旅立ったのだ。告別式で流された写真の二人は、観光地でにこやかだった。

4年或いは5年。短くも凝縮した幸せな時を彼女は過ごしたのだ。それを惜しみもなくサポートしたのは二人の子供達だった。同じく告別式で流れた写真の中の、故人と伴侶と長男と長女夫婦の笑顔を見ればそれは一目瞭然だった。

おそらく月一かそれ以上の回数で出掛けた旅だっただろう。それを決してゆるす様なちよちゃん次姉では無い。ちよちゃんであっても、それをゆるすまい。息子嫁孫は自分に隷属するものと認識する類い人なのである。どんな時にも、自分ファーストを周囲に強要する人物なのだ。

ちよちゃんは自分の伴侶が末期癌であった時、ちよちゃんの長男家族・次男家族が伴侶ファーストで動く事に激しく嫉妬した。そして、末期癌の伴侶を罵った。多分、ちよちゃん次姉も同じであったのだろう。自分を蔑ろにすると、次姉長男家族を、そして当人(故人)を激しく罵ったに違いない。

それを次姉の二人の娘もゆるさなかっただろう。きっと、母親であるちよちゃん次姉と共に実弟家族を罵った事は想像に難くない。次女が母親を引き取り面倒を見て居るのは、弟家族を慮っての事では無かった筈だ。何故なら、それならば義妹の葬儀には参列するであろうから。この葬儀ボイコット状態が、親族間の決裂を何よりも深く物語って居る。


「村八分」は何故「村十分」では無いのか。

それは、どんなにつまはじきの存在であっても、火事と葬式は手伝わなければならないと言う暗黙の了解があったからだそうだ。

完璧な「村十分」を発動したちよちゃん次姉とその娘達である。


ちよちゃん長男家族のコンセンサスに、「○○家(ちよちゃん実家の姓)の血筋、特に○○家の女の血筋はおろいい(恐ろしい)」と言うものがある。ちよちゃん内孫は女なので、本人もその血筋を疎ましく思って居るし、内孫の両親であるちよちゃん長男夫婦は「何時も己を省みて、行動が血筋に支配されない様に気を付けなさい」と、言い含めて来た。

ちよちゃん次男の二人の娘も勿論その血筋であるが、悲しいかな血筋に支配された人生を送って居る様子である。

故人の娘も当然その血筋で、ちよちゃん内孫を兄をそそのかしていじめて来たが(内孫へのいじめのイニシアティブは妹だった)、その頃の気の強い底意地の悪い顔が柔和になって居たのは、祖母であるちよちゃん次姉や伯母である次姉の娘達の、大病をした後の実母への仕打ちや実母ファーストの自分に対する三人の態度等で、思う所があったのではなかろうか。結婚してまだ子供が居る様子は無いが、人の良さそうな御主人の存在も彼女の顔を柔和にする要因なのかも知れない。

故人の長男はいまだ独身の様である。


結局、法要だけでおときが無かった事は、ちよちゃん長男夫婦に取って有難い事だった。

告別式からの初七日の法要を済ませて出棺を見送り、二人は帰宅。喪主の実姉関係者が誰も居ない中、喪主の従兄弟夫婦が骨上げまで居るのも僭越な気がしたので、当初の予定通りに帰宅した。


ちよちゃん長男夫婦は、○○家の女の恐ろしさを改めて感じ入った。そして、故人に幸せな一時があった事に安堵した。

二人は早めの夕食にして、しこたま呑んだ。

呑まずには居られなかった。

故人への献杯として。

「お疲れ様でした。安らかに」

本当は、ちよちゃんやちよちゃんの次姉の存在がなかったなら、もっと違った縁があったのかも知れない。