つくしんぼ戦火の母の嘆き視る




我が家の庭に、今年も土筆が立ちました。
「有難う」と、土筆に語りかけながら、今年の春はしんどいです。

肩関節の痛みと、三度目のワクチンの副反応の辛さと、花粉症で落ちた免疫機能による不調と…。そして、日々の戦火の報道と…。

心身共に下降ぎみの状態です。

巡って来た311も相まって…。

ちょうど苦手な八月初旬から半ばに感じる不安定さ、此岸彼岸があやふやになる感じがとてもしんどくて。

少し、ニュース等の情報番組から遠ざかった方が良いのかも…と、思ったりします。

土筆の春のエネルギーを受け止め切れなくて、このままの状態で桜が咲いてしまったら、桜のエネルギーに打ちのめされてしまいそうです。

その上、今日は父方祖父の命日で、三つ子の魂百までのあの衝撃がフラッシュバック。

火が怖い。火が怖いのです。

昨年の今日は骨折してしまった日でした。

滅入る滅入る、気持ちが滅入る。

救われたのは、日曜日に刀ミュのライブ配信を視聴出来て幸せになれた事。それでも扱って居るものが重く、一部は泣きっぱなしになりました。頭ががんがんする程に泣きました。
ウクライナ侵攻前に出来上がった脚本に演出である筈ですが、現状に重なり「視野を広く持てば、争う事も少なくなる」…と言う、刀剣男士一振の言葉が重く重くのし掛かって来ます。

春が悲しいとぼやいた時、「え?清々しい季節じゃないですか?桜も咲くし」と言われてしまい…。多分、その方とは絶対に仲良くなれないと思いました。
青空が悲しいと呟いてしまった時、「え?清々しくて気分良くなるじゃないですか?晴れが嫌い?」と言われてしまい…。その方とは近付きたく無いと思いました。

春は再生の季節。
消えて行くもの生まれて来るもの。
循環の入口出口。

やっぱり春はかなしい季節です。