PHP(2024年8月号)の裏表紙より、

                      『夏の流れに』

                                           加賀海 士郎

 “空蝉や声なき声の夏到来” 

 

 近頃は随分暑い日が続くようになってきたので朝の散策は早めに出かけようと、家内に急かされ

大急ぎで仕度して外へ出た。遅い梅雨入りで雨模様の朝も少なくなかったが、今朝は雨雲が

見当たらず清々しい空が広がって午後には暑くなりそうな気配が漂っていた。

 

 淀川べりの運河の畔、桜並木の散策コースは濃い緑に覆われて水辺の草も活き活きと輝いて

いる。水鳥や草魚などの生き物の動きを探りながら歩いている目に、思いがけない空蝉の姿が飛び

込んで来た。灌木の緑にまごう事なき抜け殻、まだ梅雨の盛りだというのにもう蝉が出始めたか?

 

 耳を澄ませても声は聞こえないが、入梅が遅かったから今年の梅雨は短いのかもしれない。きっと

暑い夏がそこまで来ているのだろう。

 

 以前見かけなかったものの中に、最近は大型の鯰が時折ゆったりと泳ぐのに出会う。50cmは優に

あろうか、長い髭も見える奴を二尾ほど時々見かけるようになったが彼等にも仁義があるのか大型

の草魚の縄張りを遠慮がちに泳いでいる様だなどと思いながら帰宅して届いたばかりのPHP8月号

の裏表紙に目をやるとそこには標題とともに次のメッセージがありました。

 

 「夏の清流。川面(かわも)がキラキラと光を反射しながら、ゆっくりと流れる水の様相は悠久(ゆう

きゅう)そのものだ。しかしながら、一見静かな佇(たたず)まいのその流れも、何百年もの時を短時間

で早回しで見ると、とてつもない変化の連続である。

 

 山深く雨水を集めた源流が谷を彫(ほ)り、砂を押(お)し流(なが)して蛇行(だこう)する。急流は

生きもののように、左右の両岸をうがち、うねりを深め、いつか大雨で決壊(けっかい)すれば、もはや

蛇行は絶たれて三日月形の池が残り、新たな本流が出来ている。

・・・中略・・・

 

 思えば、万物は流転(るてん)するの言葉どおり、人の営みや私たちが創(つく)るさまざまな物や

しくみも、大自然と同じであろう。自然の摂理(せつり)に従い、日に新たに移ろいゆく。長い長い時

を経て生まれたこの流れ。万物の共同作業によりこれからも、見えざる彫刻家(ちょうこくか)の手で

創作が続けられることだろう。」

 

 成る程その通りだ。ゆったりとした川の流れはいつまでも変わらず続くように見えるが、見上げる空の

雲の流れは刻一刻と変化し、諸行無常を感じさせてくれる。それでも、一日の変化は小さく、つい

昨日と同じような今日がやって来てまた明日も同じように続くと錯覚してしまう。

 雲の流れは時の流れを実感させてくれるが、いつの間にか夕陽が沈むと何事も無かったように朝には

きっと同じような日が昇ると思ってしまう。まるで一日の変化を帳消しにするように安堵して眠りに就く。

確かにそうなのだ、川の流れにしてもゆったりと流れる水は次々と下流に消えていくと同時に絶え間なく

流れ続けて、木の葉でも流れてこないと先程の水とは違う事に思い至らない。

 

 気が付いたときには先ほど見た水は遥か彼方に行き着いている。今夜もゆったりとした夜が更けて

安らかな眠りに落ち平和な一日が明日(あした)へと誘う。そんなときの流れを我が身の老いが容赦なく

気付かせてくれる。

 

 誰一人として不老不死のものはいない、万物は流転するという自然の摂理を思い知らされるのだ。

だからこそ、今日とは違う朝(あした)を迎える事が出来るのを有難いと思わねばなるまい。  

 (完)