PHP(2024年6月号)の裏表紙より、

                                                      『あいつ』

                                                              加賀海 士郎

 “雨上がり新緑の尾根 雲わたる” 

 

 日課のごみ捨てと朝刊の取り込みのために玄関のドアを押し開くとビルの隙間から六甲の尾根

目に入ってくる。朝日を浴びて横たわる峰は新緑がことさら眩しく雨はすっかり上がったようだから

この分だと淀川べり迄、散策が出来るだろう。

 

 今日の午後は20度を少し上回るらしく暦では夏に入いったが、まといつく空気はまだ少し

冷たい。庭の木々はいずれも若葉が瑞々しい色合いを見せる。サツキツツジは盛りを過ぎ

たのだろう、かなり萎れて色褪せて来たようだ。

 

 ふと浮かぶのは…、花の色はうつりにけりないたづらに…人の世も同じこと、…わが身世に

ふるながめせしまに…だね、マンションの階段を下りながらひとり呟く、六甲を見やり足元に

気を配り、自分に言い聞かせる。

 

 階段を下りるのはよくよく注意が必要だ、流石に傘寿ともなると足腰の衰えは自覚せざる

得ない。こけて頭でも打ったのでは良いお笑い草だなどと思いながら新聞を取り込んで

下りきた階段を引き返す。今朝も百段を途中で休まずに上れたと肩で息をしながら一

安心する。

 

 途中で休まなければならないようなら、隠居かなあ~と思いながら届いたばかりのPHP

6月号の裏表紙に目をやるとそこには標題とともに次のようなメッセージが書かれていました。

 「いつも自分に寄(よ)り添(そ)いながら、いざというときに期待を裏切る。どうしてあいつは

現れるのだろう。

 人と話し合いをしているとき、大事なところで顔を出し、わがままばかりを言うあいつ。お前

さえいなければ、いや、あともう少しだけ大人しくしてくれたなら、事はうまく運んだに違(ちが)

いない。どうして、いつも我慢(がまん)ができないものなのか。

・・・中略・・・

 

 あいつだけは許せない。あいつさえいなければ。

 けれどもよくよく考えてみよう。誰(だれ)より自分を知ってくれていて、あいつこそ、自分の

孤独(こどく)や人知れない優(やさ)しさを芯(しん)から理解してくれる。かけがえのなさは

本物だ。

 

 付き合い方を知ることだ。きらいになっても見捨てない。なぜなら、むこうだってこちらを

見放すはずはないのだから。弱くて、ぶざまで、とらわれて。そう、あいつは悲しくも愛(いと)

しいもう一人の自分。

 気長にともに歩いていこうか。」

 そうだ、このところずっと傍にいる、疲れてるのかな?何からすれば良いのか、吹っ切れない。

やらなきゃならんことはいっぱいあるのに手がつかない、やる気が起こらないんだ。迷ったときは

何も考えずにやれることを黙ってやれば良いというのが口癖だったのに、これまでもいつだって

そうして来たのに、今度は笑って見てるだけか?何も言わずに冷たい奴だな。

 

 優先順位なんか考えなくて良い。どうせできない事はやれっこない、やりたくない事は後回

しで良い、そう言ってたじゃないか、だからお前の言う通り手当たり次第にやれることをただ

黙々とやろうとしているのに、肝心な時に眠気を誘い、邪魔をする。おい!あれを忘れて

いないか?

 

 俺はいつもお前を追いかけてきたのに、いつの間に俺を追うのだ? (完)