徒然なるままに
「良い戦争と悪い平和は本当にないのか?」
加賀海 士郎
ちょうど二年前の今頃、筆者は同じテーマを掲げてエッセイを発信していた。あれから既に二年間という歳月が流れて、その後、、戦火はどう推移し、世界はどう反応したのか?
悲しいかな、戦火は収まるどころか今また新たな中東の火が燃え盛っている。
「汝の隣人を愛せよ」との言葉が空しく響き、古代の掟「目には目を、歯には歯を」との声が響き止むことのない戦火に新たな火種を増やしたに過ぎない。
当事者は自己の正当性を主張し、周囲は大所高所からではなく、それぞれに複雑に絡み合う利害得失を自分の物差しで測りながら「良い戦争」を続けようとしているのか?中には、「悪い平和」と否定されることを半ば想定しながら体裁を繕うように、仲を取り持つ振りをするか又は「触らぬ神に祟りなし」を決め込んで沈黙するのか、何故、そうなってしまうのか?乳飲み子を抱えて、ただ逃げ惑うか祈るしかない難民に何故、誰も救いの手を差し伸べないのか?
すべては神の御はからいなのか?どんなに考えても、堂々巡りをするばかりだ。
「良い戦争と悪い平和は本当にないのか?」一体、誰がその答えを示してくれるのか?
もう理屈抜きで泥沼の争いには関わらないと一切の手を引くことさえ簡単には結論を出せなくなってしまったのではないか。
アメブロも粋な計らいをするものだ、今日はどんな状況かと自分のブログをチェックしてみたら、二年前の投稿記事を示して「思う所を発信して見ませんか?」と働きかけてきた。
二年前の記事と言うのは、「良い戦争と悪い平和は?」と言うテーマで、勃発して間がないロシアのウクライナ侵攻を考察したものだった。その趣旨は、彼のベンジャミン・フランクリンの言葉を捉えて、誰が考えても人が殺し合う戦争は即刻、止めるべきで、例えそれが理不尽な平和であったとしても、無益な殺し合いは即刻、止めるべきと解っているのに何故かくも世界中、至る所で理不尽な暴挙が繰り広げられるのか?誰が考えても平和が良いに決まっているじゃないか?
そこには神ならぬ身の「人」と言う生きものの隠された罪・エゴイズムが「ひと」としての素直な行動を妨げているとの警鐘を鳴らすように厳しい問いかけが並べられていると同時に冷徹に「人」という生きものの性(さが)を認めざるを得ない諦めが交錯している。
金縛りにあったみたいに現状維持を貫かなければならなくなってしまった「ヤジロベー」が動きが取れず「フリーズ」したのだろうか?
誰が最後の駒をひとつ動かせるのか?興味深い。
この「人」という愚かしい生きものに引導を渡すのは、一体、何者だろうか?
一見、単純に見える最後の駒を見極める行司役を誰も引き請けることができないこの状況は、この世に在るものの意識の赴く方向(ベクトル)の総和がもたらす結果なのだろうか?
一つひとつはそれぞれの事情やエゴイズムの結果として定められる方向なのだが、全てのベクトルの総和となるとどこかが僅かに変化しても結果がどう動くかは俄かには見えないのだ。結果として動かないように見えるだけで、いつか目に見えた結果として動き出したときに後悔と言う嘆きが聞こえてくるのかもしれない・・・
とすれば、ひょっとすると今がチャンスかもしれない。一見、非力な「田螺のぼやき」が大きな働きをする、その絶好の機会なのかもしれない。そう考えれば、このブログのほんの小さなぼやきが、後になって「バタフライ効果」のように大きな波紋を惹き起こす発端となったと言われないとも限らない。
いや、勿論、そんなことは有り得ない話なのだが、ひょっとするとひょっとするかもしれないから、心して口にしなければなるまい。
今燃え盛る戦火というものは、巨大な火災に似ている。火災、即ち燃焼とは如何なる現象か?それを鎮静化させるにはどうすれば良いのかを考えてみればよい。
ご存知の通り、物が燃えるためには、三大要素があると教えられたはずだ。俗に言う①燃える物、②酸素、③熱源、最近ではこれに加えて、④燃焼の継続、つまり、連続して酸化反応が続くこと。この4つを燃焼の4要素と言い、その内の一つ以上を取り除けば燃焼は沈静化すると言うことだ。
原理は単純明快だが、例えば、ウクライナで今も燃え盛っている戦火について考えるとどうなるだろうか?
①の燃える物に該当するのは、差し詰め領土だろうか?ウクライナの東部4州やクリミヤ半島が該当するかもしれない。だが、これらを両者から取り上げることは容易ではない、第三者が共同統治というスタイルもほとんど不可能だろう。
②の酸素に該当するものは何だろうか?兵員や武器弾薬の類だろうか?或いはそれらを調達する資金だろうか?確かに、米議会でウクライナ支援のための予算審議が停滞し、ウクライナは弾薬やミサイルなどが涸渇しそうでこのままでは戦争に負けると悲壮な訴えをしている。ロシアはその点、継戦能力は十分かもしれない。
③の熱源に該当するのは何だろうか?愛国心?征服欲?激しく燃える当事者の熱意なのかもしれない。それを覚ますのは厭戦機運や反戦運動なのだろうか?しかし、権威主義のロシアにしても悲壮なウクライナの防衛にしろ、恐らく両国民には何を信じたら良いのか確かな情報さえ届かない戦時戒厳令下は昔の大本営発表の様なプロパガンダで暗闇状態では、盲目的に信じて突き進むしかないのかもしれない。
④の燃焼の継続に該当するものは何なんだろうか?・・・逆に、これまで2年間の長きに亘って一体何が戦争を継続させる力になってきたのだろうか?ひょっとすると、それは周囲の支援、後押しなのではないか?
誤解を恐れずに言うならば、“悪い平和”という事になるのかもしれないが、周囲がすべて手を引けば、結局は落ち着く所に落着くことになるのかもしれない。勿論、人道支援は続けなければなるまい、難民保護も忘れてはならない。だが、兵器やミサイルを供給し続けることが果たして“良い戦争”と言うに値する行動なのだろうか?
大量の兵器や弾薬は軍需産業にとって美味しい話かもしれない、覇権主義のロシアを押し留めるためにウクライナの後押しをするのは直接の戦火を免れて自国を防衛する賢い手段なのかもしれない。いずれ戦火は沈静化する、その時のために今はどの様に動くのが得策か?結局はそれぞれの国家的エゴイズム、それがどの様に働くかが大きな要素になっているのではないか?
現実問題としてそのような事が出来るかどうか俄かには結論が出せないが、少なくとも、前の大戦で悲惨な敗戦を経験し、死の兵器と言われる核爆弾の洗礼を受けた我々日本国民はこれからどう関わっていくかを真剣にまじめに考え行動しなければなるまい。一人一人のベクトルがどの様な向きを示すのか分からないが、乱暴な言い方をすれば、・・・
田螺が言うには「悪い平和などない、戦争を長引かせるベクトルに加担することは止めよう、それがたとい悪い平和をもたらしたと非難されたとしても!」
何⁈…そんなことをすれば、ロシアが北から南下してくるのを誰が防ぐのかだって?
中国が台湾&沖縄を蹂躙して北上するのをどうやって阻止するのだ?との声も聞こえるが、そんなことは“杞憂”に過ぎない!なぜならそれは身の破滅だからだ。
そうなれば、第三次大戦勃発でありこの地球と言う美しい星は消滅するに違いない。
流石に人類はそこまで馬鹿ではあるまい‼・・・あなたはどう思う?
(完)