徒然なるままに“フィルターバブル”

加賀海 士郎

 “目を覚ませ 芽吹きの時の引き籠り”

 毎朝、新聞を広げ、一面から順次拾い読みして行き、世の中の動きを大雑把に感じ取るのが日課になっている。最終ページは大抵、TVの番組表だ。翌日が休刊日などの場合は、中程で2日分の番組表がまとめて紹介される為、最終ページは紙面全体がキャンペーンや広告掲載など占められる日もあるが、とにかく最後に番組表をチェックし、面白そうな海外ドラマや映画を見つけたら録画予約をして置くのだ。

 

 その日、外出予定が有ろうが無かろうが、空いた時間が出来た時やパソコンに向き合うことに疲れた際の気分転換、と言うよりもリフレッシュ狙いなのだが、頭の中を空っぽにして没頭できる西部劇や活劇ものに目がないのだ。

 或る日、この所、いつの間にかNHKの番組表が様変わりしているのに気が付いた、と言うか、何かが変わったなと思い付いたのだが、そう言えば、NHK第一とBS放送が一本化されて圧縮されたみたいで、番組表にゆとりが無くなったようだ。

 

 ひょっとすると、他の民放に比べて電波の割り当てが優遇されていたのを、民営圧迫で不公平だなどと横槍が入ったのかしらと思っていたが、はて、真相はどうだろう?筆者としては好みの番組が見つけ難くなったと、いささか不満だったのだが、悪いことばかりとは言えないようだ。と、言うのは、朝食を摂りながら観ているニュース番組が、随分、様変わりしたように思う。

 

 筆者は海外旅行の経験が多いとは言えないが、その少ない経験の中で感じた不自由さに、ホテルで暇つぶしに観る現地のニュース番組、当然のことながら、外国語で字幕も殆ど読めない文字ばかり、画像は見ればそれなりに想像できるがニュースキャスターの表情やおしゃべりはさっぱり解らない。だからこそ、海外に出てきているんだと実感し、妙に納得していたものだが、この所のNHKには、いきなりフランスの女性キャスターが画面中央で話しかけている。

 

 勿論、フランス語のはずだが、筆者の耳に入るのは流暢な日本語で、あたかも画面の女性がしゃべっているように見える。

 口の動きが違うので、彼女が日本語でしゃべっていないことは一目瞭然なのだが、以前の海外旅行を思い出して、いま、眼にするような親切なニュース番組だったら、退屈せずに観ていられたのにとNHKの演出に感謝している。もう一つ気が付いたのは、世界各地のニュースを矢継早に同様な手法で紹介してくれることだ。

 

 まるでシャワーを浴びるように各国各様のニュースが紹介されるから短時間とは言え異なる視点や考え方に基づく主張が見て取れるのだ。なるほどこれは好いことだと思い直したが、さてそうなると受け手側がそれなりの読取る力、(デジタルリテラシー)を保持していない事には誤魔化されてしまうことになりそうだ。

 最近は誰もがスマートホンを携行し、大抵の情報はネット検索すれば何がしか見つけられる便利な世の中になっている。しかし、厄介なことにネットで入手した情報の真偽のほどは俄かには判らない。

 

 総務省の「令和5年版情報通信白書」を読んでみると、実に興味深い。と言っても、「白書」を隅から隅まで精査するなんて芸当は筆者にはとても叶わないので、たまたま新聞記事の中で、総務省が行ったSNSなどのプラットフォームサービスの利用行動や特性の理解度などの実態を把握するため、日本、米国ドイツ及び中国の消費者アンケート調査結果が紹介されていた。

 それによると、近年のインターネット上において、偽・誤情報が流通拡散することの弊害が問題視されるようになり、注意喚起がなされるようになっているが、例えば、日本人の一般的な行動特性として、インターネット上の情報に触れた時、その真偽のほどを確かめる行動として情報の出処について調べてみると言う行動をとらない割合は、他の3か国に比べて日本人が圧倒的に低いとのことだ。

 

 インターネット上の真偽不確かな偽・誤情報に対抗するためには、ファクトチェックを推奨することが重要である。各国でのファクトチェックの認知度についてアンケート調査した結果、「知っている」と回答した人の割合は、日本(46.5%)が対象国の中で最も低かった。(欧米は70~90%台)日本でも徐々にその取り組みは進められているが諸外国に比べるとまだまだ低いという事だ。

 何よりもまず、オンラインで最新のニュースを知りたいときに実際にどのような行動をとるかと言うと、対象国全体では、①ニュースサイトアプリから自分へお勧めとされる情報をみる、②SNSの情報をみる、③検索結果の上位に表示されている情報をみるとなったが、日本では①のニュースサイトアプリからのお勧め情報が圧倒的多数で、他国に比べて「複数の情報源の情報を比較する」と回答する割合が低かったとのことだ。

 なお、日本について年代別にみると、複数の情報源の情報を比較すると回答した人は、年代が高くなるほど割合が高くなったという。

 さらに、SNSなどのプラットフォームサービスの幾つかの特性について質問した所、検索結果やSNSなどで表示される情報が利用者自身に最適化(パーソナライズ)されていることを認識しているかを聞いた所、「知っている」と回答した割合(44.7%)が他の対象国(80~90%)と比べて低かった。

 また、お勧めされるアカウントやコンテンツは、サービスの提供側が見て欲しいアカウントやコンテンツが提示される場合があることを「知っている」と答えた割合が4割弱(38.1%)で他の対象国に比べて低く、SNSなどでは自分に近い意見や考え方に近い情報が表示されることについても「知っている」と回答した割合が日本では4割弱であったのに対し、他の3ヶ国では7~8割であった。

 

 ところで、なぜ筆者が総務省の「情報通信白書」を引っ張り出して読んでみる気になったかと言うと、実は、このアンケート調査報告の中で日頃、聞き慣れていない言葉として「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」の三つの用語の認知度に関する警鐘が鳴らされていたことだ。

 

 筆者自身、ほとんどその概念を理解していなかったのだが、この三つの概念を理解するだけでもネット上の情報に触れる場合の心構えを喚起してくれると反省させられた。確かに、情報過多の時代、供給される情報量に対して我々が支払えるアテンションないし消費時間が希少となるため、それらが経済的価値をもって市場で流通するようになる。こうした経済モデルを一般に「アテンション・エコノミー」と呼ぶと言うことだ。

 平たく言えば、忙しい人間が有効な情報にたどり着けるようになればその分経済的価値に繋がるという事だろう。情報提供サイド(プラットフォーマー)は可能な限り多くのアテンションを獲得するため、データを駆使してその利用者が「最も強く反応するもの」を予測しており、インターネット上でもアテンション・エコノミーが拡大している。その結果、膨大な情報が流通する中で、利用者からより多くのクリックをしてもらうためにプラットフォーム上では過激なタイトルや、内容、憶測だけで作成された事実に基づかない記事などが生み出されることがある。そのことを理解し注意する必要があるという事だ。

 また、人は「自ら見たいもの、信じたいものを信じる」と言う心理的特性を持っている。これは「確証バイアス」と呼ばれる。プラットフォーム事業者はクリック履歴などの情報を組み合わせて分析(プロファイリング)し、利用者が関心を持ちそうな情報を優先的に配信している。

 

 ユーザーは、自身の膨大な情報の中から自分が求める情報を得ることができる。一方、自身の興味のある情報だけにしか触れなくなり、あたかも情報の膜に包まれたかのような「フィルターバブル」と呼ばれる状態となる傾向にある。このバブルの中では自身と似た考え・意見が多く集まり、反対のものは排除されるため、排除されたものの存在そのものに気付き難い。

 また、SNSなどで、自分と似た興味・関心を持つユーザーが集まる場でコミニュケーションする結果、自分が発信した意見に似た意見が返って来て、特定の意見や思想が増幅していく状態は「エコーチェンバー」と呼ばれ、何度も同じような意見を聞くことで、それが正しく、間違いのないものとより強く信じ込んでしまう傾向にある。

 

 フィルターバブルやエコーチェンバーにより、インターネット上で集団分極化が発生しているとの指摘がある。意見や思想を極端化させた人々は考えが異なる他者を受け容れられず、話し合うことを拒否する傾向にある。社会の分断化を誘引し、民主主義を危険にさらす可能性もある。つまり、米国でMAGA(メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン)と言われる選挙スローガンがその象徴的なものだ。それは正に狂信的宗教集団を形成しているようなものだ。

 そのように理解すると、米国のトランプ氏の岩盤支持層などが何故あれほどまでに強固なのか理解できるというものだ。これでは聞く耳持たぬという状況になり、その時点で話し合う余地はなくなり、民主主義は崩壊せざるを得ないのだ。逆に言えば、その様な特殊な状態に陥らないように、自分自身が厄介な感染症に冒されないように情報に触れる際、十分注意する必要があるという事だ。

 

 しかし、技術の進歩は凄まじい、生成AIやCG技術、模写複製技術等々、今やありとあらゆる分野で得体の知れないゴーストやアバターを次から次へと生み出し進化を続けている。恐らくもはや止めることは不可能なのではないかとさえ思われる。世界のあらゆる場所や場面であたかも真実の様な捏造されたフェイクニュースが発信されているかもしれない。僅かな手間と時間で本物にも劣らない優れた偽の画像や音声が生成できるようになってきている。つまり、技術の進歩発展は押し留めることはできないのだ。問題はそれを使う側、利用する人間をどうやって統御するかという事になるのだろう。

 

 実に心許ない話だ、だからどうすれば良いのか?騙されないようにするには何をすれば良いのか?という事になるのだろうか?・・・AIはまだまだ進化が始まったばかりだが、どのように育っていくのかは五里霧中を航海するようなものだろう。つまり騙されないようにするのは至難の業かもしれないが、これまでは「ファクトチェック」を主眼に事実確認を強化しようとしてきたが、雨後の筍状態で湧いてくる偽・誤情報を潰しきれなくなる。そのことを自覚して、自ら自衛する事が必要になってくるとのことだ。

 その点において日本はまだまだ公的な報道機関(NHKや新聞、その他公共放送)は、悪質なフェイクニュースを発信することは少なく、信頼されているようだ。今朝の読売新聞朝刊に「生成AIの登場によって、回答に多様性が減少する」という記事が掲載されたが、実に興味深い。と言うのは、先に述べたようにネット検索すると回答を求める人の志向や行動特性が既にプロファイリングされていて、自分好みの情報に絞り込んだ回答がいとも簡単に素早く入手できるようになる、益々その傾向は強くなり自分自身がフィルターバブルに包み込まれていることを自覚しないまま、提示される選択肢は偏向し、多様性を失うため、エコーチェンバーに晒され、正に洗脳されたようになって行くのだ。自らがその悪循環に気付きバブルから抜け出さなければ、「正しい判断」などできなくなるのだ。

 

 しかし、多量のミサイルを同時に発射し迎撃をし難くすれば迎撃網をかいくぐって目標に到達する確率は高くなる。同じことが情報爆弾でも言えるのだ、即ち、ファクトチェックの能力を超える大量のデマやフェイクニュースを流通させれば的確な判断をし難くし相手を混乱させることができるという事だ。

 

 そこで対抗手段として考えられているのが、予め想定される偽情報やデマを自ら流布し、偽・誤情報に馴れさせる手法だという。

 花粉症対策やウィルス感染症に対する予防ワクチンの発想そのものだろう。要は情報リテラシーを高めるための予防訓練、予行演習という事だ。

 

 結局、偽物を見分ける特徴的なポイントを予め学習し総力戦で対抗するしかないのかもしれない。そのためには日頃から多様な情報に触れ悪意ある虚偽や偽物を見抜く力をつけることだろう。つい手軽なスマートホンに手を伸ばし人づてのデマやフェイクを軽々に信用しない事、物事に懐疑的になるのはある意味悲しいことかもしれないが、自分の身の回りには感染力の強い多様なウィルスが忍び寄っていることを強く自覚して、対抗措置を講じて行くしかない。マスクをしたり手洗いを励行したり、時に予防接種をすることも必要なのだろう。

 問題は悪貨を駆逐する良貨を誰が造って流通させるのか、目下の所、わが国では、NHKや新聞がその機能役割を自覚し、日々努力していると個人的には評価しているが、コマーシャリズムに毒されずにいつまで献身的にその使命を理解し、承継して行けるのか、過去、幾たびか、時の権力者や巨大資本に翻弄されたことがあったのではないか?

 

 そのことを想えば、我々一人一人がフィルターバブルのような状況に陥らないように自らを戒め気を付けなければなるまい。

(完)