PHP(2024年4月号)の裏表紙より、

                          『副作用』

                                          加賀海 士郎

 “啓蟄も風の冷たさに身を縮め” 

 寒戻りというのか、三寒四温と言うべきか、それでも陽が差せば六甲の峰の霧が晴れて裾野には春の気配が忍び寄っている。それにしても、この冷気では虫たちも動き出すのを躊躇(ためら)っているかもしれないが、桃の節句も過ぎて着実に季節は移って行く。自然の移ろいには抗いようがないという事だ。

 

 野山は時が経てばお色直しをするように草花たちが咲き揃い緑が一面に広がる、そうすれば鳥たちは唄い出し虫たちは這い出して乱舞する。生きている喜びを全身に漲(みなぎ)らせ自然の営みは子孫繁栄へと繋がって行く。それこそが青春の真っ盛り、生きものはなべて喜びを爆発させるのだろう。

 春は魔法の季節なのだ、などと感心しながら手にしたPHP4月号に目をやれば、そこには標題と共に次のようなメッセージが書かれていました。

 「人間なら誰(だれ)もが時には病になり、病になれば薬を服用する。治癒(ちゆ)の為には薬の服用は最重要だが、その際、悩(なや)ましいことが一つある。副作用である。

 患者(かんじゃ)の心理からすれば、なぜ副作用のない薬が開発できないものかと不満がつのる。

・・・中略・・・

 薬を服用すれば、どうしても全身に回り、ある臓器にはプラスに働いても、別の臓器にはマイナスに働いてしまうことがある。また、ある成分は病の種類によっては作用・副作用が逆転する。

 

 だから、専門家は薬の副作用を絶無にすることより、効能のバランスに配慮(はいりょ)した開発を心がけるのだという。かりに、副作用がない薬があったとしても、飲み方を誤れば、その行為(こうい)そのものが副作用と同じ結果を招く。

 薬に限らず、物事の成り行きにおいて、副作用らしきことはたびたび経験する。毛嫌(けぎら)いせずに、少々の副作用は異(い)なもの、味なものと考え、大人のふるまいで対処したい。」

 なるほどそうかもしれん、私たちはつい、手っ取り早く痛みや不快さを除去するために頭痛薬や解熱剤を求めてしまうが、病の原因がどこに在るのかよく分りもせず、ひょっとすると気の迷いであって薬など必要としない時でも楽になりたい一心で薬に手を出そうとする人もいる。

 “酒は百薬の長”と言って依存症になる人もいるが最近の研究では、心疾患や脳梗塞には少量飲酒はJカーブ効果が認められるが、高血圧や脂質異常の持病、肝機能の低下した人などの場合は少量飲酒でもリスクは高まると言われており、必ずしも百薬の長ではないとの事だ。

 

 それどころか物騒な世の中は全く別の目的で薬の効能を悪用して良からぬことを企む者さえ後を絶たないのだから、できれば薬に頼らず自らの免疫力や治癒力を高める方が賢明と言うものだ。やはり酒は程々に自重するに越したことはないようだ。

 本当は患部や病の原因をピンポイントで狙い撃ちする西洋医学よりも怪しげな症状をぼんやりと把握し、時間を掛けてやんわりと快方に向かわせる東洋医学の方が副作用が少ないし、行き過ぎた効能があっても速やかに切り替えが利く経験的アプローチの方が賢明なのかもしれない。

 

 もっともそれとても大麻や阿片のように気が付いたときは中毒症状に陥る危険がないとは言えないが・・・やはりできれば薬には頼るなという事なのだろう。と、言いながら今宵も百薬の長に我が身を委ねて床に就こうとしているのは如何なものか?  (完)