PHP(2023年12月号)の裏表紙より、

                                                      『力よりも心』

                                                        加賀海 士郎

 “立冬や名のみに聞こゆ江戸は夏日” 

 

 流石に浪速の朝は20℃余りでめっきり過ごし易くなったが日中はまだまだ暑さが戻ってくる、

それでも夏日とまでは行かないのに、東京は暫く夏日が続くとか。近畿の明日は雨になりそう

と聞き何故かホッとしている。

 

 それにしても近頃のお天気は地球温暖化のせいとやらでやたら乱高下する。季節の変わり目

は額面通りの衣替えとは行かないようだから厄介だ。冬物を引っ張り出しはしたが汗をかくから

実際は手に持って歩いたりする必要があり、出がけにどうしたものかとひとしきり思案することが

少なくない。

 

 面倒臭いからと、とにかく羽織って出かけるが、案の定、帰りは忘れないようにと気を遣いながら、

それでも千鳥足でまあ良いか、お天道様には逆らえないと自分に言い聞かせる日の多い今日

この頃だ。

 朝の散策から帰って手にしたPHP12月号の裏表紙に目をやればそこには標題とともに次のような

メッセージが書いてありました。

 

 「力の論理というとおり、力を持つことはたしかに大切であろう。国にせよ、個人にせよ、物事を

成すためには力が必須(ひっす)で、実力がともなってこそ、国も組織も変革がなされ、幸福も

築くことができる。

 

 しかしながら、力を持つことで、国も個人も力に勝(まさ)る者により劣(おと)る者が排除(はいじょ)

されたり、貶(おとし)められたりしてしまうことがよくある。力を持つ前には謙虚(けんきょ)でいたのに、

力を持つと気位が高くなり、大切だったものを邪険(じゃけん)に扱(あつか)い、周囲の心を顧(かえり)

みようとしなくなってしまう。

 

力の論理が世界や社会をどれだけ害していることだろう。

・・・中略・・・

 

 力の論理よりも、心に訴える道理が行き届いているかが大切なのではないだろうか。あの人ならば

信頼できる。あの国の方針こそ世界を平和にするという信用を持つこと。

 

 綺麗事(きれいごと)で世の中は動かない。けれども、心が納得(なっとく)して平穏(へいおん)に

物事が動く、普通(ふつう)にそんな世の中でありたい。」

 

 その通りだと思う。しかし何故、力の論理、いや理屈を言う前に有無を言わさず実力行使して

後付けで論理を振りかざす事変が多いのか?事変で済めばまだしも「侵攻」だとか「防衛」だなどと

強弁して一向にみずからの行いを顧みようとしない国や集団が後を絶たないのはどうしたことか?

 

 その背景をよく見通せば、その国や集団の総意(大多数の賛成に基づき)力を行使しているのかと

思えば決してそうではない。大抵は特定の個人やリーダーがみずからの判断を過信して突き進んで

いるように思える。これは一体どいうことなのか?

 

 神ならぬ身の思い上がりの結果なのか?それとも名誉欲か歴史に名を刻みたいからなのか或いは

有り余る富を懐に尚、留まるところを知らない強欲という名の怪物の為せる業か?

 

 温暖化や気候変動がもたらす災害ですら、神や悪魔の所業ではなく自然という摂理が止むに

やまれず愚かな生き物に警告を発しているに過ぎないのではないか。何とか平穏で静寂な秩序の

回復を急げとのシグナルを送ってくれている内に、宇宙の摂理に見放されないように慎ましく生きようと

している非力な民草は何をすれば良いのだろうか、一体、何が出来るのだろうか?

 

 「武器を捨てろ!という叫びが空しく響くばかりではないか。    (完)