PHP(2023年9月号)の裏表紙より、

                       『マジック』

                                          加賀海 士郎

 “原爆忌 高校野球の熱沸騰” 

 

 広島では78回目の原爆忌、ヨーロッパではいつ終りを告げるのか、今日もウクライナの戦火が

燃えているのだろう。頭を冷やせば勝者が見当たらない戦争だという事が理解できるだろうに・・・。

 

 もし万が一、あの侵攻が我が国に起こったのだったら、果たして冷静になれるだろうか?そんな

「もし」はあってはならないのだが、78年間平和が続いてきたのは不戦の誓いがあったからこそ、

悲惨な敗戦の経験があったからこそではないか。

 

 折しも、今日から夏の甲子園が開幕した。何と平和なことか、平和は理屈抜きで有難いことだ、

努力して生み出すべき事なのかもしれないなどと思いながら朝の散策から戻って手にしたPHP

9月号の裏表紙には標題とともに次のようなメッセージが書いてありました。

 「人間が瞬間(しゅんかん)移動したり、破った紙幣(しへい)が復元されたりと、マジックは年々

技術が向上し、幻想(げんそう)の世界が創(つく)出(だ)される。

 

 その感動があるから、人はさらに不可能な奇跡(きせき)を望み、また新たなマジシャンが期待

を超(こ)えるマジックを実現、進化をとげる。

 

 一方、奇想天外(きそうてんがい)なマジックが実演されても、これまで本物の魔術(まじゅつ)

を披露(ひろう)した人はいない。つまり、そこに超能力者(ちょうのうりょくしゃ)がいるのではなく、

当然ながら、マジックは数々の技術の組み合わせから、人間の思(おも)い込(こ)みを誘(さそ)

って巧(たく)みに演出される芸術だと納得(なっとく)するのである。

 

 社会には、同様にマジシャンと呼ばれるカリスマがたくさんいる。

・・・中略・・・

 

 ただ、誰(だれ)でもできる修練も、誰にもできないレベルまで熟練してこそマジックは成る。

そのためには、やりぬく熱意とたゆまぬ努力が必要なのは言うまでもない。」

 

 近頃の世情は、その雲行きは過熱しそうなくらい危なっかしい空気が漂っている。本当にウク

ライナの継戦能力を下支えすることが平和を保持することになるのか、本当に自由と民主主義

を守ることになるのか、たとえ権威主義の専制であったとしても戦争のない平和を望むべきかも

しれない、ふと、そんな疑問が湧いてくる。

 勿論、プーチンの如き核兵器を使って不都合な相手を恫喝し自分の欲求を押し通そうとする

輩をのさばらせていて良いと言うつもりはないが、不毛の戦争を続けるより、歪んでいても平和が

良いのではないか、ふとそんな風に考えてしまう。

 

 だからまるで正義の味方のように圧倒的な軍事力で侵略を仕掛けるロシアに対抗するウクラ

イナを応援することは結局、忌み嫌うべき戦争を長引かせて多くの犠牲を強いることになるの

ではないか。果たしてそれが正義と言えるのだろうか?

 

 彼のベンジャミンフランクリンは良い戦争、悪い戦争などあったためしがないと言っている。

けだし名言だと思う。しかるに今、我が国は安全保障だ、自国防衛のためだと国防予算を

増額し軍事力増強を図っている。

 

 同じ論法で兵員を増大し、必要とあらば徴兵制を導入し兵役を義務化する恐れはないの

だろうか?民主主義の成熟した現代日本では、そんなことが起こるはずがないと考えている

かもしれないが、先の大戦に一丸となって突き進んだ時のように反戦を叫べないような状況

にならないと誰が保証できるのだろうか?                          (完)