PHP(2023年5月号)の裏表紙より、

                     『醍醐味(だいごみ)』

                                                    加賀海 士郎

 気にすれば衰えを知る四月かな”  

 花まつりが近づけば自分の誕生日が近いことを思い出す。古希を越えてなお元気にしている

などとは、若い頃には思いも寄らなかったが、つくづく不思議なことだと思う。少年の頃には60歳

を過ぎても生きてるなんてほとんど考えられなかった。

 家が貧しく、その日暮しをしていたこともあるが、当時は還暦を過ぎると正に隠居の身で、そんな

歳まで生きていたくはないと子ども心に思っていたのかもしれない。それが今では、傘寿近くになって

もすぐにお迎えが来るとは思えないし、まだ5年や10年は大丈夫だと思うのだから不思議だ。

 

 それだけ健康だということかもしれないが、胃を3分の2切除したり、前立腺がんを患って放射線

治療を経験したというのに却って元気になったみたいで、高尿酸血症も退散し、なんとも不思議だ。

やはりお迎えが来るのは、その時機が来ないとやって来ない定めと言うのがあるのかもしれない。

 正に、運命(さだめ)というやつだなどと考えながら朝刊とともに届いたPHP5月号の裏表紙には

標題とともに次のようなメッセージが書いてありました。

 「時を経て価値がわかることがある。たとえば、学生時代のある授業の思い出。クラスメートの誰

(だれ)かが叱(しか)られ、先生の諭(さと)す言葉にクラス全員が耳をかたむけたこと。そのときの

友達のさまざまな表情が記憶(きおく)の片隅(かたすみ)に残る。

・・・中略・・・

 

 たくさんの苦楽を経験したあと旧友と昔をふり返るとき、大したドラマがあったわけでもないあのころ

が、自分の想像を超(こ)えて懐(なつ)かしくよみがえってくる。友の横顔に、同じ時間をともに過ごし

てくれた感謝の気持ちすら湧(わ)いてくる。

 それは必ずそうなるわけではなく、お互(たが)いがそれぞれの人生をひたむきに生き、まずまず納得

できる人生を共有できるようになったからであろう。

 成功したとか、誰かに勝ったとかがなくても、真摯(しんし)な人の人生には幸せの麹(こうじ)が

まぶされ、発酵(はっこう)して風味豊かな酒がたたえられている。

 だから、ときには一献(いっこん)ゆっくり味わってもよいのではないか。それが人生の醍醐味なのだから。」

 確かに時間の経過というものが、いつの間にかそこに在るものに絶妙の変化をもたらすことがあると

思う。物事のすべてに共通する自然の摂理ということなのだろう。諸行無常、何ごとも何ものも変わ

らずにそのままの姿で在り続けるということは許されない。

 時にそれは望まない変化かもしれないが、逆に思いもかけない望ましい形に姿を変えることもある。

どのような変化を遂げるかは容易に想像できるものでもない。もっとも、予め想定できる変化だとしても、その変化を押し留め自分の意のままに統御することは容易ではない。

 

 老いる、病むなどの好ましからざる変化については、心がけ次第で変化を遅らすことができるかも

しれないが、自然の摂理に逆らうことは思わぬしっぺ返しを喰らうことがあるから注意が必要だ。

 

 若く見えることは望ましいからと言って無理をすると、仮に変化の抑制に成功したとしても、そのこと

自体が異常な若さであり、異様な姿に他から浮き上がり周囲から疎んじられたり、嫌悪されることに

なるかもしれない。

 

 自然の摂理を受け容れて味わい深い変化に浴することが素直で、悔いのない生き方なのではあるまいか。    

                         (完)