PHP(2022年4月号)の裏表紙より、

                                          『蠢動(しゅんどう)せよ』

                                                     加賀海 士郎

虫たちの出鼻をくじく寒戻り”  

 

 啓蟄(けいちつ)とは、言わずと知れた土中の虫(蟄)が冬眠から覚め(穴を啓き)這い出して来る時候のことだが、暦の上では春でもまだ春雷が鳴り響き温かさが不安定な時期、温かい時期と寒い時期が交互に入れ替わりながら陽春に向かう頃というべきでしょうか?

 

 現実に虫たちが動き出すのは暦の上の日付ではなく最低気温が5℃を下回らなくなり平均気温が10℃以上になってからだそうだ。しかし、春が来るのが待ち遠しくて、早い時期から動き出そうとするのが人の常、一日も早い春の訪れを待ち焦がれて、予想外の寒戻りに見舞われ、思わず首をすくめて、つい愚痴が口をついて出る。

 

 そうでなくてもコロナウイルスという厄介な見えざる敵を相手に、用心深い生活が強いられてい

るのでこの重苦しい空気を一掃して欲しいとの思いが強いのだろう。おまけにウクライナでの信じられない現実を目の当たりにして小心者には何もできない無力感が重くのしかかって来る。

 

 自分に何ができるのだろうかなどと思いを巡らしながら、届いたばかりのPHP4月号の裏表紙に目をやると標題とともに次のようなメッセージが書かれていました。

                                                           

 「零下(れいか)二十度。すべてが冷え切って、生きとし生けるものが氷漬(こおりづ)けになったとしても、春の訪(おとず)れとともに虫たちはぎこちなく足を動かし始め、草木の柔(やわ)らかい芽は秘(ひそ)かに地表への出口をまさぐっている。

 

 生きものたちが陽気とともに、こうした真の生命力を一斉(いっせい)に見せる現象はなんと不思議なことだろう。

 

 人間もまた然(しか)り。春の到来(とうらい)が、人生や生活の区切りとなっているのも自然の理法、新たな躍動(やくどう)の機会が与(あた)えられているからとは言えないか。厳(きび)しい冬を乗りきり、英気に満ちている人びとの姿もまた、生成発展の姿そのものとは見えないか。

・・・中略・・・

 

 不安もあり、逡巡(しゅんじゅん)する気持ちもよくわかる。自然の摂理(せつり)は一方で厳しく、春雷(しゅんらい)とともに雹(ひょう)が降るのもまた春の様相の一つである。

 

 それでもそんななかで、みずからの天分を信じて、前に進むことは貴(とうと)い。まして生命が

最も輝(かがや)く季節には、虫にならって、とにかく蠢動することが何にも増して大切に思えてくる。」

 いま、彼の地では暗闇の中や地下室などで平和の訪れを希求している人たちや果敢に自由や平和をつかみ取ろうと戦っている人たちを何とかしてあげたいと思いながら余りにも想像を絶する映像を見て、この先どのような形で我が身に災厄が降りかかってくるのかと考えると背筋が凍る思いがする。

 

 心のどこかに我が国が平和で自由で良かったと、逃げ惑う人たちを見ながらほっと安堵してしまう思いがあることを否めない。 しかし、いまある平和も万全とはいえまい.。

 何をすれば良いのか俄かには思いつかないが、まずは、ささやかな応援をと思い、早速、人道支援のための寄付に応募することとした。

 

塵も積もれば山となる、ほんの少しでも一歩踏み出せばその先にはきっと春が見えてくる。

(完)