学水舎 代表の語録(R031228)

『徒然なるままに~コロナ戦争はいつまで続くのか?』

加賀海 士郎

 このところ、オミクロン、オミクロンとやたら騒がしくなり、毎日のように各地の首長(知事や市町村長等)さんが記者会見し、あたかも侵略者の先兵を捕捉したかのような仰々しい発表が後を絶たない。どうやら新たなコロナウィルス(変異株)は極めて感染力が強く、これまでにワクチン接種などで免疫を獲得していたと思われた人々も感染し、短時日で爆発的に拡散するという由々しき事態とのことらしい。

 

 それがたまたまワクチンの免疫力が低下する時限と重なったからなのか、従来のワクチンでは効き目がないということなのか、いまだに判じかねているらしい。一説には、伝染力は強いがそれと反比例するように毒性は弱く、重症化するリスクは低いのだとの声も聞かれる。

 医療従事者等は、まだ確たる情報が少なく、安易に毒性が低いなどと判断せずに、これまで以上の注意が必要だと警戒を呼び掛けているが、経済を回したいと考える人たちは何とかして封じ込めたいと躍起になっているようにも見える。

 

 要するに、実のところは、いまだ判っていないことが多いのだから兎に角、用心に越したことはないということらしい。

 政府は新たな侵略者の侵入を許してはならないと、まるで鎖国でもするような勢いで、いち早く水際対策として空港での検疫や入管での滞留期間を厳格にし、陽性者が一人でも見つかれば同一便の乗客全員を濃厚接触者として施設に隔離するような対応を始めたが、それでは受け入れ側の自治体でたちまち対応に困るとして、空港所轄の首長さんから悲鳴が上がり、陽性者の座席近傍とその家族などに対象者を限定する従来通りの措置に戻したとのことだ。

 正体不明の侵入者とはいえ、如何にもドタバタ感が拭えない。

 

 それ以前に不思議なのは、あれだけ慎重に手際よく水際対策を展開したにも拘らず、これまでに海外渡航歴もなく、これといった濃厚接触者に近づいた心当たりのない人たちが、各地でポツリぽつりとオミクロン株の陽性者として発見され、いわゆる市中感染者とされるのはなぜだろうか?

 

 余り嬉しくない情報ではあるが、トロイの木馬ならぬ招かれざる侵入者が想像以上に秘かな拡がりを見せている現実を認める覚悟が必要なのではないかなどと思いを巡らしながら一年前のエッセイ「徒然なるままに~ウイルスに意思はあるか?」を読み返してみた。

 

 何とそこには「そもそもウイルスとは?」に始まり、「私たちにできること」そして、「ウイルスに意思はあるのか?」と続き、「ウイルスの侵入を如何にして防ぐのか?」までを、かなり丁寧に解説している。

 医者でも科学者でもない一介の暇人が?と、我ながら感心するが、いま読んでも決して無益な戯言(ざれごと)ではなく、十分役に立ちそうと思うので是非、ご一読をお勧めしたい。

『徒然なるままに~ウイルスに意思はあるか?』 | 加賀海士郎の部屋❝学水舎❞ (ameblo.jp)

 

 残念ながら、新たなコロナウイルス(変異株)が出現する都度ワクチンの効能を評価し、場合によっては新たなワクチンの開発を急がなければならない状況が続くようだ。

 ウイルス自体を死滅させる抗ウイルス薬を手に入れるには少し時間がかかり、いまはまだ、重症化を防ぐための効能が認められる飲み薬をあれこれ試行錯誤している状況らしい。

 

 ともあれ、いまはワクチンの免疫力低下を補うために3回目(ブースター)接種を早めに済ませることや感染した場合の重症化を阻止することが喫緊の課題なのだが、まずは、これまで以上にコロナウイルス対策の基本としてきたことを改めて徹底することだろう。

 

 つまりはオミクロン株という新参者が現れたために、一年前の年の瀬に右往左往したのと同様、あるいはそれ以上の緊張感をもってコロナウイルスと向き合わなければならないということなのだろう。

 

 因みに一年前のエッセイの末尾は「私たちに出来るのはウイルスの性質(特徴)をよく知って、これまで通り、ウイルスを遠ざけること(距離をとる)。ウイルスの飛散を極力抑制すること(マスク等で遮断)。環境を清浄に保つこと(密閉回避と換気)という地道な活動を続けることと肝に銘記すべきだろう」と強調して締めくくっている。

 

 要はウイルス性感染症が何であれ、そのウイルスの正体を正しく理解し、過度に恐れず、基本的な対応を徹底してみずからの身を守ることしかないのだろう。

 人間の厄介なところは、噂や風説に惑わされて過度に反応したり、正常性バイアスが働いて、自分に都合の良い解釈をし、適切な処置を講じないなど身勝手な行動をすることだろう。

 

 そう考えてくると素人の筆者があたかも物知り顔に、このような説を唱えるのはいささか問題かもしれないが、筆者が力説したいのは、巷間、溢れている様々なフェイクニュースや風説に惑わされることなく、何が正しい情報なのか見極めて、正しく理解し、適切に振る舞うことが大切だというその一点に尽きる。

 

 そのためには、何が正しい情報と言えるのか見極める力が必要だ。

つまりは情報リテラシーを高めること、ネットやSNSの情報は懐疑的に読むべきであり、情報源の怪しいものは信用しないことだろう。随分、厭な世の中になったものだと思う。

(完)