何のために? 生きること、働くこと
会社の向こうに何を見る?(私の願い)
※この作品は平成十一年三月(筆者が五十代半ば)に一旦書き終えた原案を一部加筆修正したものである。従って、時代背景や社会環境などが異なり、一般企業では六十歳定年で年金受給開始も六十歳であり、士郎は定年まで余すところ数年のサラリーマンとしては円熟期にあった。
第二章 新たな価値観を求めて
一、京都国際会館への道
二、基調講演
三、解説
四、パネル・ディスカッション(第一部)
四の一、加藤 尚武氏の質問
四の二、キュンク氏の回答
四の三、立石 信雄氏の質問
四の四、キュンク氏の回答
四の五、中村 桂子氏の質問
JT生命誌研究館副館長。専攻は生命科学・生命誌。
大阪大学大学院客員教授。(当時)
キュンクさんのお話で、宗教間には多くの問題があるが何か繋ぐものがある筈でそれをなんとか見つけ出そうとする態度は好感が持てます。
宗教と科学の対立、対比がありますが、変革の芽が出ていると思います。それを育てれば対立ではなく共通性が見つけ出せると思います。私は人間が生身の体を持った生きものという面から共通性を探したいと思っています。
人間らしくということには二つあると思います。
一つは「ひとり一人が納得してどうやって生きるか?」であり、今一つは「人類が滅びないでどうやって生き続けるか?」ということです。
これまでの科学は「何を(ホワット?」「どのように(ハウ)?」が中心だったと思います。これからは「なぜ?」「だれが?」「どこで?」へも目を向けていかなければならないと思います。
そういう意味で科学も又、変わってきたと思います。
これまでは人間と自然の間に人工のものが在ると考えてきましたが、少しその関係を考え直さなければと思っています。
詰まり、人間は自然の一部であって、自然と人工の間に人間が位置するのだと考える方が、理に叶っていると思うのです。
ヒトと人間の関係を『生命』という面から考えてみたいと思います。
人工の世界には問題が多いと思います。金融制度なども人工のものですが、人間が生きて行くためには人工のものがどう在るべきかを考える必要があります。
食べ物は農業の問題として、健康は医療の問題、心や知は教育の問題、環境の問題など人工のものを見直す必要があると思います。
生命の誕生は五十億年程前といわれています。人類の誕生はたかだか、五百万年前位のものです。現世人類の誕生はそれよりもっと新しい訳ですが、私達の体は生命誕生の頃からの『生きもの感覚』を引きずっていると思うのです。
従って生身の体であることを忘れる訳にはいきません。
生きもの感覚には分をわきまえるということがあります。人間以外の他の動物は全て分をわきまえることを知っています。しかし、人間はどうでしょうか?
現代人には今一つ、文明の誕生がありました。文明は生命システムの学問的、論理的理解をもたらしました。それが知識であり、そこから志が生まれてきました。
この生きもの感覚と知識、即ち、「分をわきまえるということ」と「志」を結び付けるのが人間の知恵だと思うのです。私達は生命の誕生からの長い歴史の全てを体の中に含んでいるのです。精神と身体を分けて論じてはいけないと思います。みんなが生きものの身をひきずっている訳ですから、みんな四十億年を背負っていることを忘れてはならないのです。
司会者
「分をわきまえるということ、志をもつと言うことが人間にとって大切なことだということでしょうが、どうも、他の生きものと異なり、人間だけは分をわきまえずに、より多くを分捕ろうとする性(さが)というものがみられるようです。
ところで、生命システムの論理的理解…志を持つというのは人間だけなのでしょうか?
とすれば、他の生命とは違うのか?違うとすればそれは人間の『分』にどう繋がって来るのでしょうか?」
四の六、キュンク氏の回答
中村さんは、倫理と生命科学の関係をはっきりさせてくれたと思います。
長い間生命の歴史が問われてきた訳ですが、遺伝子工学の分野ではドグマ(宗教の教義)を信じていない人が多いようです。
分子生物学が興味有る分野になって来ています。エトスをバイオロジーの立場から考察している人達がいます。全てのことが遺伝子から説明できるといっています。バイブルはいらないと言う訳です。
モーゼの十戒が生物学とどのように関わってきたのでしょうか?人間の体内に湧き上がってきた教え(天から降ってきて石版に刻まれたと言われていますが)それは遺伝子工学では説明できません。宗教の中で創り上げてきた話、動物が段々に身につけてきた大きな進歩や進化ではないでしょうか?神として「汝 殺すなかれ」といっているのです。
こういった教えを遺伝子の為せる業と言うのはおかしいと思います。
「一マイルを他の人と行くのではなく二マイルを歩みなさい。シャツを与えるのではなく、上着も与えなさい。」といった教えは自分の命が危うくなっても他の人を助けたいとする心の動きであって、遺伝子の働きと言うものだけでは説明できないと思います。
阪神大震災の時のボランティア活動にしても、とにかく何とかしなければならないという自発的な心が働いたということだと思います。
(休憩)
(続く)