何のために? 生きること、働くこと

会社の向こうに何を見る?(私の願い)

※この作品は平成十一年三月(筆者が五十代半ば)に一旦書き終えた原案を一部加筆修正したものである。従って、時代背景や社会環境などが異なり、一般企業では六十歳定年で年金受給開始も六十歳であり、士郎は定年まで余すところ数年のサラリーマンとしては円熟期にあった。

 

第二章 新たな価値観を求めて

     国際フォーラム『二十一世紀へ 新たな価値観を求めて』

     (※聴講メモ:本章は平成十年十月二十九日付朝日新聞朝刊の記事を参考にした。)

 

一、京都国際会館への道

 

  地下鉄を降りて国立京都国際会館へ雨上がりの道をゆっくりと歩く。薄墨色の空に濃い影を落としたようにくっきりとした山並みにもやがかかり、秋色に染まった街路樹や庭園と古代の建築物を思わせる重厚な灰色の建物が静かに私を迎え入れようとしている。

小さな川に架かった橋を渡りながら下を覗き込むと、見事に整地されコンクリートで固められ、人間の頭大の石を埋め込まれた川床や土手の石垣は人工の造形以外の何物でもない。川幅全体の、三分の一位の幅で間断なく水が流れ、深みも幅も変わらない無表情な流れが続いている。

 

『年々歳々川 相似たり、歳々年々人 同じからず。』

 

まるで生き物のように、整然と水が流れる様は、そこから何か囁きが聞こえて来るようにさえ思える。人工の土手や石垣が川の水と周囲の木々の息吹で、あたかも生命が吹き込まれたように思えるのだから不思議なものだ。

 

  私は何故ここへ来たのだろうか。

 

 先日、ふと目にした新聞の朝刊に、「新たな価値観を求めて」といった文字が飛び込んできた。無料の国際フォーラムで、外国の神学者を招聘し著名な企業家も交えたパネルディスカッションもあるようだ。いつもならそんな記事には目もくれない自分が、二十一世紀と価値観と、そして無料といった言葉がキーになったのかもしれない。

 

ともあれ、自分自身の中に生きることへの疑問、生きることのこだわりが芽生えており、折角生きるのなら、より賢く生きたいという想いが強くなって来ているのは、自分でも実感していたし、いつ頃からか、優雅な死を迎えることを願う、漠然とではあるが、そんな想いが少しずつ大きくなって来ていた。

 

  この世に生れたことは自分の意志ではない。正に、偶然の所産といえるかもしれない。不遜な言い方かもしれないが、神という造物主がいるとしたら、何故、私をこの世に送り出したのか、それも何故、今のような境遇を選んで私を配したのか。どんなに問い掛けても答えは見つかる筈も無い。

 この世に在る生は偶然かもしれないが、確かなことが一つだけ有る。それは『死』だ。これだけは全てに共通に例外なく訪れる。いつ自分の前に死神がやって来るのか判らないが、死は確実にやってくる避けようの無い事実だろう。気紛れな死神が忙しくって、自分の所へやって来る暇が無いのかもしれないが、いずれ間違いなくやって来る。今、この京都国際会館の席にいても、ドアを開けるとそこに立っていないとは限らないのだ。

 

 決してそれは、徴兵の赤紙のように、ひょっとするとやって来なかったり、何か上手い手を使って回避できる類のものではない。逃げる努力をすれば、逃げ続けられる訳でもない。だとすれば、何時来ても良いように心の準備をすることしか、できることは無いのではないだろうか。

 

自分は死に憧れている訳でもなければ、死にたい訳でもない。むしろ、その裏返しで、充実して生きたいのだ。少なくとも生きている間は充実した気持ちでいたいのだ。結果がどんなであろうと、自分が希求するものを求めて生き続けたいのであって、求めるものが手に入るか否かは判らないし、手に入れられなくても、それはそれで良いのではないかと思う。

 

  オズの魔法使いの話のように、目的を求めて捜し歩き、苦労して魔法使いの女王様の下に辿り着き、強い体や知恵や勇気を授けて欲しいとお願いした時には「あなた方には既にそれらが備わっている。」と知らされるように、幸せになりたいと懸命に生き続けること、その中に幸せが在るのであって、どこかに楽園(パラダイス)があるのではないということだと思う。

 

優雅な死を迎えるということは、充実した生き方をし、自分は生きたのだという確信に満ちた想いで死を迎えることであって、必ずしも地位や栄誉を手に入れたり、名を上げることではないし、自分にし残したことが無くなった状態でもない。多分、その時にはまだ、したいことがいっぱい有るに違いないが、来し方を振り返った時、充実した生き方だったと確信できればそれで良いのだと思う。

 

どのように生きることが充実した生き方なのか、そのことを自分なりに確かめておかねばならない。これからどのように生きれば善いのか、その判断基準となるものが価値観ではないだろうか。

 

もう人生の、恐らくかなりの部分を費やしてしまった自分に、どれだけの残り時間が有るのか判らないが、とにかく、これからをより善く生きる為に、自分の生き方を確かめておきたい。そんな思いが朝刊の記事を見つけ、京都への道を歩かせたのだと思う。

 不思議なことに、その案内記事が載った新聞は、つい数ヶ月前に長年購読してきた新聞から乗り換えたもので、ひょんなきっかけで新聞を変えなければ、この機会にも巡り会えなかった筈だ。

 

 「求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん。」ということなのかもしれない。

  そのように運命的出逢いと考える方が、自分が自分の力だけで生きているのではなく、生かされているということを強く感じることができると思う。これからの人生をより充実したものにする記念すべきスタートが、今日のフォーラム聴講ということだと銘記しておこうと思う。

平成十年十月二十四日 京都(宝が池)にて

 

「付記」

以下は国際フォーラムを聴講した際のメモを基に整理したものである。

従って、話の内容を充分つかみきっているとは言い難い。出来るだけ当日の講演の順序を変えずに、通訳の言葉を活かす形で纏めたつもりであるが、所々メモの途切れた部分を繋ぎ合せる為に、筆者の言葉を埋め合わせた。

その為、キュンク氏の意図とは細かい点で差違があるかもしれない。又、残念ながらドイツ語を同時通訳を介して纏めざるを得なかったので、講演者の意図を正確に捕らえていない部分があると思うが、全体としてはそんなに外れていないと考える。

 

何故なら、第一章は今回の講演を聴講する以前に纏めたものであり、その内容と比較していただければ筆者のいわんとする所と、以下に記述するハンス・キュンク氏の講演内容に相通ずるものがあることを、ご理解頂けるものと確信するからである。

但し、キュンク氏の名誉の為に、以下は筆者が見聞したものであることを重ねて強調しておきたい。

勿論、その外のパネリストである著名な方々のご意見についても、筆者の見聞であり、筆者の感性でとらまえた耳からの情報であることをご理解いただき、貧しい語彙や表現力によるニュアンスの差違などはご容赦願いたいと思う。

 

 各パネリストの方々のご高説を或いは曲解してご紹介する事になるやもしれないので、全て仮名でご紹介した方が良いのかもしれないが、仮名にすると却って話が分かり難くなるかと思われるので、敢えて実名のまま掲載した。

 

(続く)