PHP(20201月号)の裏表紙より、

『壁があるなら』

                                     加賀海 士郎

 “故里も初雪の報 想い馳せ”

  

今年は暖冬かと思っていたら北海道は大雪、金沢や鳥取にも初雪が舞ったとのこと、テレビにほんの少し故里の映像が映し出されると懐かしさが胸を打つ。

雪国育ちは一面が真っ白い雪に覆われないと冬のような気がしない、こんな気持ちはなかなかそうでない人には理解し難いかもしれない。

近頃は北陸も降雪量が少なく、降っても直ぐに融けてしまい根雪にはならないようだ、本格的な寒さはこれからだが、雪景色を見ると寒さを気にせず雪の中を走り回って遊んだ少年期を懐かしく想い起す。

 

大人にとっては厄介な雪だが子供たちには恰好の遊び場を提供してくれる。昔はスマホやゲーム機などが無かったから竹スキーや竹ぼこ(孟宗だけを縦に割って鼻緒を付けた下駄状のスケート)、大勢集まれば雪合戦などに興じたものだ。

しかし近頃の子供たちがそんな遊びをしている話は余り聞かない。昭和の風景は今はないのかもしれないなどと思いながら手にしたPHP1月号の裏表紙には標題とともに次のようなメッセージが書かれていました。

 

「事に当たって、壁にぶち当たるたびに表情を曇(くも)らせ、落ち込(こ)む人がいる。その一方で、壁が立ちはだかっても動じず、乗り越(こ)えようと闘志(とうし)を燃やす人もいる。

考えてみると、自身が何がしかの夢の実現のために行動すれば、一度や二度、壁に阻(はば)まれることは当然であろう。むしろ、もし何の障害もなく夢が成るのであれば、それは元来、夢に値(あたい)しない、一つの願望にすぎなかったのではないだろうか。

・・・中略・・・

 

これから遭遇(そうぐう)するたくさんの壁。高いものもあれば、分厚いものもあろう。絶望を感じることもあるかもしれない。けれども、それらはいずれも、人生の価値を高める演出の数々だと考えればよいのである。

なぜなら、壁を超えるたびに、自分の可能性は劇的に広がるのだから。

壁があるなら、それもまたよし。じっくり見定めて、とにかく越えてみようという気概(きがい)を大切にしたい。」

そうだね、物心ついてから半世紀以上、考えてみれば幾多の壁を乗り越えて来て今日があるのだ。誰しも、急流に翻弄され激流に悪戦苦闘した大河の流れのような人生があるはずだ。

 

ようやくゆったりした流れに身を委ね周囲の景色を眺められるような域に達したら行き着く大海は近いのだろうがまだ先は見えない。川なら海に注ぐだけだが、人生は先が見えないから面白いし生きて行けるのだろう。まだまだ大地を潤し、ひと花咲かせてやろうとの夢をもっても良いんじゃないの、やりたいことはまだあるだろう。

 

確かに往年の体力はないし、何かに執着するような欲もないが、時間と智慧ならまだ底をついたわけではない。

第一そんなに早くお迎えが来るとも思えないし、疲れ切った病葉(わくらば)のようにただ漫然と大海の藻屑となるのを待つなんてことはまっぴらだ。

 

元号も新しくなった年の瀬に今一度、一念発起してじっくりと取り組めるものを考えてみよう。それこそ、道半ばで終えることになっても悔いの残らないライフワークに取り掛かりたいものだ。      

(完)