PHP(2019年12月号)の裏表紙より、
『志を問う』
加賀海 士郎
“立冬の空澄み渡り月ひとつ”
猛り狂うように、たて続けに日本列島を襲った台風の脅威も去り、ようやく落ち着いた秋がやって来たかと思ったら暦の上ではもう冬。季節の移ろいを映す野山の変化を楽しむ機会も碌に得られないまま秋は終わり、冬将軍が訪れるのだろうか。
久し振りに友と一献傾けてほろ酔い気分で家路を辿る途中、見上げた空は深く濃い。その漆黒の暗闇の中で少し膨らんだ上弦の月が何も言わずに地上を見下ろしている。上空は寒気が強いのだろう、満月でもないのに月はひと際くっきりと見えるが周囲に星は見当たらない。
酔眼のせいでもあるまいが大阪の空は星が少ない、寒空にお月様も独りぽっちでは淋しかろうなどと思いながら帰宅し、手にしたPHP12月号の裏表紙には標題とともに次のようなメッセージが書いてありました。
「中国は三国志の時代、蜀(しょく)の天才軍師諸葛孔明(しょかつこうめい)は、ある一戦に国の興亡をかけて、あらん限りの知略を建てた。それによって、蜀軍は大いに敵軍を打ち破ることができたのである。
味方の諸将が意気揚々(いきようよう)と自分の功を報告する渦中(かちゅう)、名将趙雲(ちょううん)は最後に帰陣(きじん)するなり、ひざまずいて孔明に詫(わ)びた。
“あなたからこれほどの策をいただきながら、肝心(かんじん)の敵の大将を討ちもらしました。”
小さな戦果を誇張(こちょう)する将が多いなか、最も功があった趙雲が孔明の無念を思い、自身も慚愧(ざんき)する様を見て、孔明はあらためてその志の高さに感嘆(かんたん)したという。
・・・中略・・・
そこで、忘れたくないのは志である。小さな業績を評価しないというのではない。ただ、年の瀬(せ)とは一年の総決算、己の志をふり返り、足らざる自分を総括(そうかつ)し、猛省(もうせい)を促(うなが)すべき大切な時節ではないだろうか。
新年の飛躍(ひやく)を期すればこそ、わが志を問い直したい。」
そうだ、今年もそろそろ年末恒例の年賀状の準備をしなければならない。
面倒な年賀状など虚礼廃止だと辞めても良いのだろうが、年に一度のことだから襟を正すように一年を振り返り新たな年を迎える準備をする、せめて賀状くらいは、日頃ご無沙汰している人に自筆の文字を添えて無事息災を伝えたいとの思いが終了宣言をいつまで遅らせることになる。
考えてみれば自らの志を問い直してみることなど、賀状を認ためるときくらいしかない。
この所、一日一日を無事過ごせたことに感謝して床に就くくらいで先のことなどあまり深く考えていない。
老い先短いなどと諦めてはいけない、まだやりたいことは沢山あるはずだ。
例え未完で斃(たお)れたとしてもせめて自分がやりたいと思った事に向かって歩き続けていれば子や孫も何かを感じ取ってくれるだろう。
ゆっくりで良いのだ、前を急ぐこともあるまい。だが、足腰と頭の中は鍛えて置こうと思う。お月さまもきっと見ている。 (完)