I've translated President Bill Clinton's Oklahoma Bombing Memorial Prayer Service Addressメモ

 

1995年におきたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件後に行われたクリントン米大統領の演説を訳しました。

これも素晴らしい演説だと思いました。


クリントン米大統領 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件演説 日本語訳
 

クリントン大統領:キーティング知事ご夫妻と、レバーン・グラハムと、亡くなられたり負傷した方のご家族の皆さん、とても多くを耐えてきたオクラホマシティの人たち、そしてこの素晴らしい州の人たち、我らが同胞たるアメリカ人としてここにいるすべての皆さん、どうもありがとうございます。


私は本日アメリカ国民を代表してこの場にいることを光栄に思います。しかしヒラリーと私がまた親として、夫と妻として、そして生涯最良の年にいる皆さんの隣人として来ていることも、皆さんにお伝えしておかなくてはなりません。


今日我が国家は皆さんとともに悲しんでいます。我々は皆さんとともに哀悼しています。我々はまだ、いくらかの人が生きている万一の希望を皆さんと共有しています。我々は命を救うために、この犯罪を解決するために、とても勇敢に取り組んできた人たちすべてに――ここオクラホマの人、この素晴らしい国すべての人、そして自分の生活を置いてここに来て、皆さんと手に手を取って働いた多くの人に感謝しています。我々は全力を尽くして、皆さんが負傷者を治療し、この都市を再生し、この悪をなしたものを裁判にかけるのを支援することを誓います。


この恐ろしい罪は我々アメリカの家族の命を奪いました。その親が優れた労働者であるだけでなく、優れた親になろうとしたばかりにあのビルにいた、罪のない子供たちを(注:ビルに託児所があった)、ビルで日常業務をしていた市民たちを、そしてそこで私たちに奉仕していた多くの人たちを。彼らは年配者や障害者を支援するために働いていたり、農家や退役軍人を支援するために働いていたり、法律を施行したり私たちを守るために働いていたりしていました。はっきりいいましょう、彼らは私たちによく奉仕してくれていました、そして私たちは感謝しています。


また大変多くの皆さんにとって、彼らは隣人や友人でもありました。皆さんは彼らを教会やPTA会合や、市民クラブや野球場で見てきて、他のアメリカ国民ができないかたちで彼らを知っています。そして今ここにいる、喪失で苦しんでいるすべてのご家族へ、我々は皆さんの悲しみを分かち合ってもその苦しみは想像できません、それは承知しております。私たちはそれを元に戻すことはできません。それは神の働きなのです。


私たちの言葉は皆さんが耐えている喪失と比べれば小さく見えます。しかし私は今日分け合いたいものを少し見つけました。私はこうした最近の恐ろしい日々の中でたくさんの手紙をいただいてきました。ある手紙が目立っておりまして、それは若い未亡人で三人の子供をもつ母親からもらったものでありまして、彼女はパンナム103便が撃墜されたときに、200人以上のアメリカ国民とともに夫を亡くされました。これがその女性がいった、私が今日皆さんに伝えるべきことです。


皆さんが感じている怒りは当然ですが、自分たちをそれに消耗させてはなりません。皆さんが感じている痛みを憎しみに向けさせてはいけません、そうではなく正義の追求に向けさせなくてはなりません。皆さんが感じている喪失に自分たちの生活を麻痺させてはなりません。そうではなく、皆さんの最愛の人がやり残した様々なことを引き続き行うことによって、彼らに敬意を捧げようとしなくてはなりません、そのようにして、彼らが無駄に死んだのではなかったことを確実にするのです。


同じく体験者からの知恵ある言葉です。


皆さんは本当に多くを失いましたが、すべてを失ってはいません。というのは確実にアメリカを失ってはいないからです、私たちは明日が続く限り皆さんとともにいます。


もしその証拠が必要だとしたら、私はキーティング夫妻の言葉を思い出せるだけでしょう。「アメリカ人のほとんどが卑しく利己的だと思う人がいるなら、オクラホマに来るべきです。アメリカ人が愛や配慮や勇気の力を失ったと思う人がいるなら、オクラホマに来るべきです。」


このホールの向こう側にいるすべての我が同胞たるアメリカ人にいいます、私たちは犠牲を受けた人たちに、この悪を生じさせた暗い力を自分たちから排除する義務を負っています。それは我々共通の平和、我々の自由、我々の生き方を脅かす力です。我々の子供たちに、慰める神はまた義の神であり、自分の家族を煩わせる者は風を相続する、正義は勝つ、と教えましょう。


自分の子供たちに我々が恐怖の力に対抗することを知らせましょう。憎しみの話があれば、立ち上がって非難しましょう。暴力の話があれば、立ち上がって非難しましょう。死に臨んでも、生命を称えましょう。聖パウロが我々に説いたように、我々は「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ち」ましょう。


昨日、ヒラリーと私は他の連邦職員の幾人かの子供たちと話をさせてもらう恩恵を受けました――ここで失われたような子供たちです。そしてある小さな女の子が私たちに決して忘れられないことをいいました。彼女はいいました、「私たち全員、子供たちをしのんで木を植えるべきです」。そういうわけで我々は今朝、飛行機に乗ってここに来る前にホワイトハウスに、オクラホマの子供たちに哀悼の意を表して木を植えました。素晴らしい春の花と深くて良い根を持つハナミズキです。それは聖書の詩編の一節を表しています――良き人の人生は葉が枯れない木のようだというものです。


我が同胞たるアメリカ人よ、木は長い時間をかけて成長し、傷は長い時間をかけて癒されます。しかし我々は始めなくてはなりません。失われた人は今、神の所有するものです。いつか我々は彼らと一緒になるでしょう。しかしそのときまで、彼らの遺産が我々の生活であるようにしなくてはなりません。


ありがとう皆さん、皆さんに神のご加護がありますように。




 

参考記事:

http://www.americanrhetoric.com/speeches/wjcoklahomabombingspeech.htm