I've translated First Lady Michelle Obama's speech at the 2008 Democratic National Convention
2012年米大統領選最高の演説だったとの声も高い、ミシェル・オバマ米大統領夫人の2008年民主党大会での基調演説を訳しました。
ミシェル・オバマ米大統領夫人 2008年民主党大会 基調演説 日本語訳
ミシェル上院議員夫人:ご想像いただけるかと思いますが、バラクにとって、大統領選に立候補することは私の兄クレイグとの初めてのバスケットボールの試合に比べたら何でもないものです。
今夜クレイグと母にここにきてもらうのがどれほど重大なことかということを、私は皆さんにお伝えすることができません。父がクレイグのように、私たちを見下ろしているのを感じます、私が人生のすべての優雅さに満ちた瞬間にその存在を感じてきたように。
そして私はクレイグが6フィート6(198cm)の高さから、しばしば自分を見下しているようにも感じてきました…文字通りに。けれど本当は、子供の頃も今も両方、兄は私を見下していたのではなく―私を見守ってくれていました。(拍手)
そして兄は道のあらゆる所で私のためにいてくれました―19ヶ月前の二月の晴れの日に、互いへのそこそこの信頼と変革への渇望をもって私の夫、バラク・オバマの仲間になったときから―私たちを今この瞬間に連れてきたありえない旅路において。
けれど私たちそれぞれもまた自分たちのありえない旅路を経て、今夜ここにやって来ました。
私は今夜ここに、助言者であり保護者であり終生の友人である兄の恩恵を受けている妹として来ています。
そして夫を愛し、夫が卓越した大統領になると信じている妻としてここに来ています。(拍手)
そして娘が心の中心であり、世界の中心である母親としてここに来ています―彼女たちが、私が朝起きて最初に考えることですし、夜ベッドに行くときに最後に考えることです。彼女たちの未来が―そしてすべての子供たちの未来が―この選挙での私の支柱です。
そして私は娘として来ています―私はシカゴのサウスサイドで、ブルーカラーの市役所職員だった父と、兄と私と一緒に家にいた専業主婦の母によって育てられました。(拍手)私の母の愛は常に家族を支えてきた力であり、そして私の最大の喜びの一つは母の誠実さや、思いやりや、知性が私の娘たちに表れているのを見ることです。
私の父は私たちの柱でした。そして父は三十代前半に多発性硬化症と診断されましたが、私たち一家の稼ぎ手であり、私たちの擁護者であり、英雄でした。しかし病気にかかったため、歩行が困難になり、朝服を着るのに時間がかかるようになりました。けれどおわかりになるでしょうが、苦しくても決してそれを表に出しませんでした。決して笑顔や笑いを絶やしませんでした、たとえシャツのボタンがけに手間取るときでも、たとえ二本の杖を使って部屋の向こう側に行って母にキスをするときでも。父はただ少し早く起きて、少し熱心に努力しました。
父と母は持っているすべてを私とクレイグに注ぎました。それは子供が受けることのできる最高の贈り物でした。すなわち愛され、大事にされ、この世界に居場所があることを決して一瞬も疑わないということです。そして彼らの誠実さと努力のおかげで、私たちは両方とも大学に行くことができました。そういうわけで私は彼らの生活と―私自身の生活からじかに―アメリカンドリームが続いていることを知っています。(拍手)
そしてバラクに初めて会ったときに印象的だったのは、彼は風変わりな名前ではありましたが、そしてハワイという大陸のはるばる反対側で育ってはいましたが、彼の家族が私の家族ととても似ていたことなんですね。彼はちょうど私の両親のような労働者階級の祖父母と、私たち同様に苦労して生活費を稼ぐシングルマザーによって育てられていました。そして私たちの家族のように、彼らも節約して貯金をして、自分たちが決して持てなかった機会を彼が持てるようにしていたのです。ですからバラクと私はとても多くの同じ価値観をもって育てられたのです。すなわち人生で望むことに一生懸命取り組むこと。約束を守り、すると言ったことをすること。人に品位と敬意をもって接すること、たとえ知らない人でも、たとえ意見が一致していなくても。(拍手)
そしてバラクと私はこうした価値観を指針として人生を築いて、そしてそれを次の世代に引き継ごうと思っています。なぜなら私たちの子供たちに―そしてこの国家の子どもたちすべてに―自分たちが実現できることの高さを制限するのは、夢の大きさとそのために懸命に取り組む気持ちだけだということを知って欲しいからです。(拍手)
そして私たちの友情は育って、やがて私はバラクのことをさらに知るようになりました、彼は大学卒業後にシカゴに引っ越しした当初にしていた仕事を私に紹介してくれました。ご存知でしょう、バラクはウォール街に向かうのではなく、鉄鋼工場が閉鎖されて雇用干が上がっていた、荒廃した地域に働きに行ったのです。。そしてバラク・オバマはそうした地域から、地域社会再生の方法について話すために再度招かれました。
その日そこに集まった人は良い生活を築けるように最善を尽くしている普通の人たちでした。わかりますか、給料ぎりぎりで何とかやっていこうとしている親や、年金収入でともにやっていこうとしている祖父母や、失業して家族を養えなくなって失望した男性たちです。ご存知でしょう、そうした人たちは施しや近道を求めていませんでした。わかりますか、彼らは働く用意ができていました―彼らは貢献したかったのです。彼らは信じていました―皆さんや私が信じているように―アメリカは挑戦すればそれができる場所であるはずだということを。(拍手)
そしてバラクはその日立ち上がって、それ以来ずっと私の心に残っている言葉を話しました。彼は「現状の世界」と「あるべき世界」について話しました。彼はそれを非常によく話しました、私たちがその二つの違いを受け入れて、現状の世界に妥協していることを―それが私たちの価値観や熱意を反映していなくても。しかし彼は私たちがあるべき世界の姿のことも知っていることを教えました。我々が公正や、正義や、機会がどのようなものかを知っているといいました。そして私たちに自分自身を信じて―自分自身の中にある力を見つけて、あるべき世界のために取り組むようによびかけました。これは素晴らしいアメリカンストーリーではないでしょうか?(拍手)
それは教会や集会場や、高校の体育館に集まった男女たちの物語であり―人々が立ち上がって、行進して、自分たちが持っているすべてを賭けて―妥協を拒み、未来を私たちの理想の姿に形成すると決意した物語なのです。
そして今週、私たちが二つの記念日を祝うのは彼らの意志と決意のおかげです。女性が参政権を獲得してからの88周年記念日と―(拍手)―キング牧師が私たちの国家への夢で私たちの見識と心を引き上げてくれた暑い夏の日の45周年記念日です。(拍手)
私は今日ここでその歴史が交差するところに立っていますが―私の分のアメリカンドリームは先人たちによって苦労して得られた恵みであることを私は知っています。彼らすべてが、私の父を毎日一時間早く起こして、仕事のために苦心して服を着させたのと同じ信念によって動かされています、私がこの国中で会った人たちを動かしているのと同じ信念です。
日勤で働いてから、子供におやすみのキスをして、それから夜勤に向かう人たち―彼らは失望せず後悔もしません―そのおやすみのキスが働く理由のすべてを思い出させてくれるからですね。
テーブルの空席に毎晩祈りを捧げる軍人の家族。(拍手)この国をとても愛する男女の兵士たち―(拍手)―彼らは彼らが最も愛している人たちから離れて、国を守っています。
コミュニティに奉仕するアメリカ中の若者たち―毎日子供たちを指導し、地域を清掃して、私たちの中にいる最も弱いものの世話をしています。
ヒラリー・クリントンのような人―(拍手)―ガラスの天井に1800万の割れ目を開けて、私たちの娘や―息子たちが―少し大きな夢を見て、少し高くを目指せるようにする人。
ジョー・バイデンのような人―(拍手)―自分がどこから来たかを決して忘れず、そして長時間労働をしていて見込みがほとんどないことに向き合い、彼らの側に立つ誰かを再び必要としている人々のために戦うのを決してやめない人。
私たち皆、現状の世界は本当にうまくいかず―私たちにはあるべき世界のために戦う義務があるんだという単純な信念によって動かされています。
そしてそれは私たちの心をつなぐ糸です。それが私の旅路とバラクの旅路ととてもたくさんの人たちのありえない旅路を紡いでいる糸であり、それが私たちを歴史の流れが新たな希望の流れと合流する所に、今夜ここに、連れてきました。
そしておわかりのように、だからこそ私はこの国を愛しています。(拍手)
私は自分の人生で、自分なりの小さなやり方で、私にとても多くを与えてくれたこの国に恩返ししようとしてきました。いいですか、だからこそ私は公共奉仕の仕事のために大きな法律事務所の仕事を辞めて、若者のコミュニティでのボランティア活動を地位向上させることに取り組んだのです。なぜなら私たちそれぞれが―年齢や素性や職業に関わらず―私たちそれぞれが、この国家の生命に貢献するものを持っていると私が信じているからです。
そしてそれはバラクも共有している信念であり―彼の生涯の仕事の中心にある信念でもあります。
いいですか、それこそが彼がシカゴでの過ぎ去りし日々にしていたことで、彼は職業訓練を始めて人々を仕事に戻し、放課後プログラムを立ち上げて子供たちを安全にし―1ブロックずつ取り組んで人々が家族を引き上げるのを支援していました。
それこそが彼がイリノイ州上院でしていたことで、人々を生活保護から仕事に向かわせ、努力する勤労家庭のために減税法案を可決させ、女性が確実に同一労働同一賃金を得られるようにしていました。(拍手)
それこそが彼が合衆国上院でしていたことで、この国に奉仕する人が勲章やパレードだけでなく、良質の雇用や給付金や、メンタルヘルスケアを含む医療保険ととともに――国家に歓迎されるのを確実にするために戦ってきていました。(拍手)
わかりますか、だからこそバラクは立候補しているのです―責任を持ってイラク戦争を終結させ―(拍手)―すべての家族を引き上げる経済を築き、医療保険がすべてのアメリカ国民に利用できるよう確実にし、この国のすべての子供が保育園から大学までずっと世界一流の教育を受けるのを確実にするために。それがバラク・オバマがアメリカ合衆国大統領としてすることです。(拍手)
こうした目的を彼はいつもと同じやり方で―私たちを一つにして私たちがどれだけ多くを共有していて、どれだけ本当に同じかということを教えることによって実現するでしょう。ご存知の通りバラクは皆さんがどこ出身かを、どんな素性かを、どんな政党かを―どこかに所属していればですが、気にしません。おわかりでしょう、それは本当に彼の世界の見方ではないのです。彼は私たちをつなぐ糸を―アメリカの約束への私たちの信念や、子供たちの未来への私たちのコミットメントを知っています、彼はその糸が、たとえ私たちの意見が一致していなくても、一つの国家として私たちを団結させるのに十分強いことを知っています。
それはシカゴの地域の人たちに希望を持たらすのにも十分強いものでした。
それは彼が会った、イラクにいる子供を心配する母親に希望をもたらすのに十分強いものでした。失業をして、仕事を探すためのガソリンを買う余裕がない人に希望をもたらすのにも。姉妹の医療保険の支払いのために夜働いて、一日に数時間しか寝ない学生に希望をもたらすのにも。
そしてそれは寒いアイオワの夜にやって来た人たちに希望をもたらすのにも十分強いもので、それは大合唱となって変革のための最初の声になり、この国隅々まで数百万人のアメリカ国民に響き渡りました。(拍手)
バラクが彼らの夢を理解していることを知っている数百万人のアメリカ国民に、バラクが彼らのような人たちのために戦い、バラクが私たちに必要な変革をついにもたらすことを知っている、数百万人のアメリカ国民に響き渡りました。(拍手)
そして最後に、こうした19ヶ月の出来事すべてを経てきた後で、わかりますか、今日私が知っているバラク・オバマは19年前に私が恋したのと同じ人です―(拍手)―彼はこの夏から十年前に、私と新しい赤ん坊の娘を病院から家までドライブして、のろのろのペースでじりじりと進んで、心配そうにバックミラーで私たちを覗きこみながら、自分の手で娘の未来すべての重さを感じて、自分がとても熱心に取り組んできたすべてを与えようと決意し、彼が決して持たなかったもの、すなわちしっかりとした父親の愛の抱擁を与えようと決意した人と同じ人です。(拍手)
そして小さな女の子とその小さな妹を夜ベッドにくるむときに、おわかりでしょう、私は娘たちがいつか、どのような自分の家庭を持つのだろうと考えます。そして娘たちが―それから皆さんの息子や娘さんたちがいつか―どのように自分の子供にこの選挙で私たちが一緒にしたことを話すのだろうかと考えます。(拍手)今回どのように、私たちが恐れではなく希望を聞いたのかを話すでしょう。(拍手)今回どのように、今回どのように、私たちが疑うことをやめて夢を見始めようと決意したのかを話すでしょう。(拍手)今回どのように、この素晴らしい国で―シカゴのサウスサイドの少女が大学や法律学校へ行くことができ、ハワイのシングルマザーの息子がはるばるホワイトハウスにまで行くことができる所で、(拍手)私たちがあるべき世界の構築に取り組んだのかを、私たちが取り組んだのかを、話すでしょう。(拍手)
そういうわけで今夜、私の父の思い出と私の娘たちの未来に敬意を表し―私たちがその勝利を今週記す人たちに感謝し、その毎日の奉仕で私たちをこの瞬間に連れてきてくれた人たちに感謝をして―彼らの取り組みの完成に向けて献身しましょう。協力して彼らの希望を実現しましょう。そしてともに立ち上がり、バラク・オバマをアメリカ合衆国大統領に選びましょう。(拍手)
ありがとう、皆さんに神の祝福を、そしてアメリカに神の祝福がありますように。
参考記事:
http://edition.cnn.com/2008/POLITICS/08/25/michelle.obama.transcript/