二礼四拍一礼の神社:宇佐神宮 | 科学的思考の窓のブログ

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2024年3月20日、神戸港六甲アイランドフェリーターミナル19:00発、大分港フェリーターミナル06:20着のさんふらわあ号で宇佐神宮参拝してきました。

卑弥呼に関係する神社ではないかと思っているからです。

宇佐神宮は三神が祀られています。

向かって左から「一、二、三」と数えるのですが、

以下のように祀られています。

一之御殿:応神天皇

二之御殿:比売大神

三之御殿:神功皇后

当時の天皇は、生前は「大王(おおきみ)」、「日御子(ひみこ)」と称号で呼ばれ、死後に諡号(おくりな)がつけられる。

諡号は、生前の業績を勘案してつけられます。

応神天皇は第15代天皇ですが、「神」という字が入っています。

他に「神」の一字が入っている天皇は、初代の神武天皇と第10代の崇神天皇(すじん)だけです。

この三人に共通するのは、新王朝の「始祖」ということです。

また、「神」の字のある諡号を持つ皇后は、神功皇后だけです。

神功皇后は、天皇ですらできなかった「三韓征伐」を成し遂げたので、「神の功績」にも等しい成果を挙げた皇后ということで、「神功」との諡で呼ばれています。

神功皇后の本名は「オキナガタラシヒメ(息長帯比売)」といいます。

さて、中央が「比売大神」なので、最上位で、応神・神功はそれより下という位置づけになります。

この比売大神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約によって誕生したとされる神で、三人の女神のことです。

ひょっとしたら卑弥呼ではないだろうかと思っています。

卑弥呼の頃は女性上位で、卑弥呼の後継者も「台与(トヨ)」という女性でした。

しかし、天皇家はそのうちに男系優先となった。

その「切り替え」の時期に、子供の頃から女王になるべくして育てられた女性は、深い恨みを抱いて死んだので、その霊は応神と神功を「サブ」として祀られねばならなかった。

比売大神とはそういう存在であったと考えると、卑弥呼だったのではないかと思うのです。

日本の古代史のロマンですね😊