桜満開の3月30日に多摩川・阿蘇神社から桜並木が続く多摩川堤防を拝島橋へと

歩き、さらに拝島橋から滝山城跡に向かい、城跡を散策、帰路は昭島駅に戻るコースをウォーキングしました。下記マップにおいて、行程は阿蘇神社~羽村大橋~永田橋~多摩橋~五日市線~睦橋~拝島橋~滝山城跡~拝島橋~昭島駅。

朝9時10分に阿蘇神社大鳥居をくぐり、

阿蘇神社にお参りしてスタート。

参道の桜は満開。

 

宮の下運動公園沿いの桜並木

多摩川

羽村取水堰

玉川上水取水口

玉川上水起点

 

羽村堰~羽村大橋間の桜

 

 

羽村大橋

振り返って羽村大橋を見る。

羽村大橋~永田橋間の桜並木

 

 

永田橋

振り返って永田橋を見る。

永田橋~多摩橋間の桜並木

多摩橋

多摩橋を過ぎたところの桜

 

桜の隣にある河童像

右手堤防下は多摩川中央公園

 

多摩川中央公園

桜並木とチューリップ園

右手桜並木

左手桜並木

遠くに五日市線の鉄橋が見えます。

五日市線手前の桜

睦橋手前の桜並木

熱心に桜を撮る人

 

桜並木はまだ続く

 

睦橋

睦橋を過ぎたところにある多摩川緑地福生南公園

菜の花全開

公園内桜並木

 

多摩川と秋川の合流点

赤いアーチの橋は多摩川横断水道橋

拝島橋が見えてきました。

拝島橋を渡ります。

時刻は11時35分、これから拝島橋を渡って滝山城跡に向かいます。

拝島橋から多摩川上流を眺める。

拝島橋を渡りました。

滝山公園(滝山城跡)多摩川側入口

滝山城跡へ

滝山城地図

滝山城は北条氏照が1559年~1567年頃に築城したとされ、河岸段丘の地形を見事に活かした関東屈指の城といわれる。滝山城は、八王子方面(南側)から順に三の丸、千畳敷、二の丸、中の丸、本丸と続き、さらに中の丸~本丸の先(北側)は急峻な崖となって多摩川に落ち込むようになっています。

北側の本丸から中の丸、二の丸、千畳敷、三の丸へと歩きます。

 

本丸への階段

本丸。本丸は上段、下段の二段になっている。

滝山城跡の石碑

本丸上段にある金比羅社

本丸上段から多摩川方面を眺める。右手に多摩川・秋川合流点が見えます。

本丸下段。ここに館があり、城主・北条氏照が住んでいた。

 

中の丸に向かいます。

中の丸

中の丸は東西70m、南北100mの広さ。ここに政を司る政庁施設がありました。

中の丸から多摩川方面を見る。

中の丸から二の丸に向かいます。

二の丸看板

二の丸は防御性に優れており、敵方を二の丸で防いで中の丸、本丸を守った。

北条氏照は、2万の軍勢で攻め入る武田信玄軍をこの二の丸で防いだといわれる。

 

二の丸空堀

二の丸から家臣屋敷跡に向かいます。

信濃屋敷跡

家臣屋敷跡から千畳敷に向かいます。

千畳敷には城下の民が年貢を納めたり、陳情に来る役場的な施設があった。

千畳敷から三の丸に向かいます。

三の丸は八王子方面から来襲する敵方を最初に迎え撃つ場所であったと考えられる。

 

三の丸から戻り、中の丸から引橋を渡って本丸に向かいます。

先ほど上がってきた階段を下ります。

 

階段を下りて振り返り、さっき渡った引橋を見る。

1567年には大改修を終えた滝山城を北条氏照は2千の兵で守りを固めた。

1569年に甲斐の武田信玄が2万の軍勢で滝山城を攻撃し、三の丸まで攻め込んだが、氏照は二の丸でよく、守り抜き、落城することはなかった。その後、氏照は八王子城の築城に取り掛かり、1587年には八王子城に移ったといわれる。

それに伴い、滝山城も廃城となったようです。

 

午後1時40分に滝山城跡を出発、昭島駅に向かいます。

 

アーチ式の多摩川横断水道橋が見えてきました。

 

拝島橋を渡ります。

拝島橋は結構、長い。

 

右の近道を通り、

 

午後2時半過ぎに昭島駅に着きました。

 

3月30日に多摩川堤防沿いの阿蘇神社から拝島橋、さらに滝山城跡まで歩きました。丁度、桜満開の時期で多摩橋~睦橋間、特に多摩川を横切るJR五日市線から睦橋までの堤防の桜並木は圧巻、見ごたえがありました。

拝島橋から滝山城跡までは約20分程度で行けます。滝山城跡は空堀、土塁などが

しっかり残っており、2万の兵で攻め入る武田信玄の大軍を2千の北条氏照軍が見事、防いだ城として知られます。

滝山城は防御堅固な関東屈指の城であり、防御性の優れた様子を現在でも、十分に

感じ取ることができました。

 

tamatama