青梅線で乗降客が多い御嶽駅の一つ手前に沢井駅があります。沢井と云えば、

小澤酒造所があることで知られていますが、先ごろフランスで行われた日本酒品評会で312酒蔵から出品された全960銘柄のうち小澤酒造の“澤乃井 純米大吟醸”が最高の賞であるプレジデント賞を獲得しました。このこともあってか小澤酒造所の

見学者が増えてきている由で、それに伴い、沢井駅も乗降客が(一時的かも知れませんが)やや増えてきている様子です。

今回、沢井駅周辺のあまり知られていない史跡をたずねました。

沢井駅周辺は縄文時代の竪穴住居跡が複数軒、発掘されたとのことで、この遺構を

大平遺跡といいます。

縄文時代前中期(紀元前4000年~5000年)には沢井駅周辺(特に駅の

隣の公園)に集落が形成され、

遺物として多数の石斧、黒曜石製の鏃、石皿、出火具としての凹み石などが発見・

出土されたそうです。

 

沢井駅から下って楓橋を渡り、寒山寺に向かいます。

(楓橋)

 

寒山寺の鐘楼

明治18年(1885年)に書家の田口米舫が清国(今の中国)の蘇州にある寒山寺を訪れた際、寒山寺の僧侶より木造の釈迦如来像を託された由。

来舫の帰国後、釈迦像を安置する寺を探していたところ、小澤酒造の当主であった

小澤太平より土地提供の申し出があり、昭和5年(1930年)に小澤太平の協力の下、楓橋のたもとに寒山寺が建立されたといわれます。

 

この寒山寺の中に本家蘇州の寒山寺より託された木造釈迦如来像を安置されているようです。

 

寒山寺裏手に見晴らし台があります。

本家の蘇州・寒山寺は、唐の詩人・張継の詩“楓橋夜泊”で広く知られているようで、この詩は都落ちした旅人が蘇州の楓江にかかる楓橋の辺りで船中に泊った際、眠れぬまま寒山寺の寺の鐘を聞いたという様子を詠んだものだそうで、寒山寺といえば寺の鐘と楓橋がすぐ浮かぶほど梵鐘と楓橋が強調されるようです。

 

見晴らし台から見ると、確かに赤い屋根の鐘楼と楓橋が見えます。

このように楓橋と(楓江ならず)多摩川、まことに風情がある景色を見ることができます。

 

寒山寺の上に吉野街道があり、吉野街道を御岳方向に進むと、武蔵御嶽神社の忘れられた旧一の鳥居への山道(旧参道)の入り口があります。

 

道は、冬だからこそ、草が枯れて歩けますが、春~夏は草が生い茂って進むのは大変でしょう。

 

それでも藪だらけの道なき道を進みます。

右側(吉野街道側)は見晴らしがよいのでつい見とれると、

 

小道の右側は道崩壊、危ない危ない。

左側(山側)を歩きます。

それでも横たわる倒木が行く手を阻む。

 

倒木も乗り越えて、どうやら吉野街道の御岳トンネル入り口の真上に到着。

ここからの見晴らしも良好。

 

Google Mapで現在地を確認してみましょう。

 

そのまま御岳トンネルの上を進むと、武蔵御嶽神社の見向きもされず忘れられた

旧一の鳥居があります。

一の鳥居は、1810年に地元の人たちによって寄進され、当時はここより7~8m上にある古参道に建てられていたが、明治19年(1886年)、この参道の開通とともにここに降ろし移された、とのことです。

昔、ここは御岳村の入り口に当たり、御嶽神社参詣者で賑わい、茶店もあったようです。

高さ4.2m、両端の幅4.5mの旧一の鳥居は、現在の一之鳥居(朱色の大鳥居)と比べると、随分小さい。


(一之鳥居・朱色の大鳥居)

 

旧一の鳥居のそばに御嶽山碑があります。 御嶽山碑にはここより御嶽神社まで

約4.2kmの距離とあるようです。

 

旧参道を先に進んでみましょう。

 

行き止まりかな?

 

左方向はフェンス沿いに行けそうです。

 

左の金網フェンス沿いに上ってきました。

 

Google Mapで見ると、御岳トンネルと払沢トンネルの間ポッカリ空いたところの上に居ます。

 

下を見ると吉野街道。手前は御岳トンネル

 

白い鉄柵のフェンス沿いに進みます。

 

白い鉄柵は終わり、鉄柱が見えます。

鉄柱の左側、なんとか行けそう。

 

金網フェンス沿いになんとか進んでいます。

 

再び、白い鉄柵になりました。 先に見えるのは吉野街道。

ここから先は進めそうにありません。 しかし、よく見ると、吉野街道の脇に旧参道らしき小道が見えないでもない。

ここで振り返ると、払沢トンネルを出たところの上です。

 

Google Mapで見ると、以下の通りです。

 

旧参道らしき小道は、滝本ケーブルカー駅前の二の鳥居まで繋がっていたと思われますが、経路は不明。

旧一鳥居から吉野街道沿いに進んで現在の一之鳥居を経て二の鳥居に向かうのか、

途中から山道に入って二の鳥居に向かうのか、不明。

 

ここから先へは進めませんので戻ります。

 

旧参道を通って旧一の鳥居のところまで戻ってきました。

旧参道は明治19年(1886年)から昭和27年(1952年)

まで使用されていましたが、吉野街道や御岳トンネルの開通とともに昭和27年に

廃道となりました。

 

折角、旧一の鳥居の案内板もあることですから、旧一の鳥居をもっとPRしてみたら

いいのでは、と思わないでもない。

でも、見向きもされず忘れられた旧一の鳥居と旧参道も何となく哀愁があり、

今のままでよいのかも知れません。

 

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