また、別の人から指摘があったので
追記しようと思う

説明する為のたとえ話に疑問を呈しても
「とにかく」とか「いまのはわかりにくかった」
とか「素直になれよ」と言った返事ばっかりで
正確に理解出来た自信がないので結論だけ
記載すると

「飲食」の概念は「栄養摂取」である

というのは文章としておかしい。
という話だそうだ。


正確な表現は忘れたが
 「飲食」の概念の名辞は「食べる事、飲む事」
  もしくは「栄養摂取」である。
  
  という文章ならいいらしい。


前記の文章が間違っている理由は
概念と名辞を分けて理解していない
概念と内包と外延を理解していない
これらを理解すると間違いだとわかるよ

ということであった。
概念と名辞がごっちゃだから間違った文章で
内包と外延を理解してないから
食べる事、飲む事が概念として捉える事が
出来る事を理解できないのだ
という事だろう。

先に言っておくが
僕の認識ではどのような場合であれ
飲食の概念を表現するうえで「食べる事、飲む事」
というのはありえない!
という立場である。

だがまー、
僕は国語辞典に載っている全ての言語を
知っているわけでも無いし、今まで
概念に関する論文を漁ったこともないので
おかしいのならおかしいでいいのだが
こちらが呈した疑問に
「とにかく俺が正しいから素直になった方が
 いいよ」
と答えるような人間の言うことは大体
間違っているのでもう一度考えてみる。


まず概念と名辞の点で考えてみよう

山がある

僕たちは山を境界線の曖昧な
「 おおむねこのあたり 」とくくって
捉えている。
その括り、を概念と呼ぶのだと思うが
僕たちは「それ」を山と呼んでいるのである。

呼ぶ事、表現する事それらを「名辞」と
呼ぶわけだろう思う。
まー間違ってるかもしれないが、僕の認識では
そういう感覚である。
少なくとも分けて理解できるし、まー良いだろう。

さて、上記の「 僕の認識 」に当てはめて
先ほどの文書を見てみよう

「 飲食の概念は栄養摂取だ 」

僕が飲食というモノを概ねで括って認識しところ、
それが何か?と聞かれれば栄養摂取と表現した

全然言い方として間違えてなくない?

日本人なので、ついどうしても主語を
抜いてしまうが、そのせいで理解できない
ってことなのかな?

根本的に概念とは個々人にその括りが
委ねられていることは確かであるから
この場合の主語は

(僕にとっての)飲食の概念は~
となる。
主語がわかってもまだ間違ってるのだろうか?
んー僕にはどうしても
文章的間違いを見つける事が出来ない



次に概念と内包と外延の点で考えてみよう

ここでは哲学的な話になっているのだが、
これを言い出した本人が単純に「 内包 」
「 外延 」ていう認識でいいよ
というので、それに従う


まー僕自身はそれぞれの単語自体は理解している
つもりではある。
彼は専門的に学んだのか理解出来ているそう
なので彼から見れば間違いもあるのだろうが、

とりあえず
毎回の事だが今回も誤解を恐れず簡単に言えば

概念とは、概ねの括り
内包とは、それに含まれる範囲、もしくは含む事
外延とは、それを形作る素材

という事だろう


山で例える

〇山を概念で捉える時、個々人で括っている範囲、
  括り、括って認識する事が概念

〇山に内包されているのは

 エベレストみたいな山も田舎の近所の裏山も
 山と呼ばれる全てのモノ
 ある場合には、ある道で大きな偉業を残した
 人物なども「 山 」の概念に含まれるだろう

〇山の外延とは
 盛り上がった大地、川、木、神社、山道
 などなどであろう。


彼が飲食の概念の名辞として「食べる事、飲む事」
が文章として成立すると述べているのは
外延としてみれば成立してる。と言いたいのだろうか?

また、これらの理解がどうさっきの文章の
間違いに結び付くのか…
とにかくこのあたりは全くわからない


飲食はまー当然「 行動 」である
その飲食という行動には、確かに食べる事
飲む事という行動が入っている。

しかし、それによって「飲食」ということを
理解する為の輪郭が浮かんできます?
浮かんでこないでしょ?
「飲食」と「食べる事、飲む事」の関係は
全く同じもので、飲み食いを熟語にしたのが
飲食なのである。
飲み食いと飲食は=の関係なのである