
ふ花粉に、黄砂に、
次から次へと、
悩ます何かがやってきます。
マスク生活が一年過ぎ、
私に合う薬も見つかったので、
なんとか、かんとか、やってます。
が、
今日は、
疲労も溜まっている日曜日の夜に、
悩ますそれがやってきたので、
堪忍袋の緒は、
切れました。
現場を知らず、
正論をとうとうと述べたところで、
人は、ひとは、動きません。
ねぎらいの言葉ひとつもないのは、
何も知らないから故でしょう。
目で見たものしか見えないのだから、
目で見て認識したうえで、
発言して欲しいところです。
思いつきで、理由もない、
いや、
説明不足で自分しか理解できていない、
いいや、
自分も理解できていないぼんやりとしか見えないものを、
どれだけ
世間は求めていないと、
説得しても、
たぶん、
自分が言った手前、引けなくなった、
というだけの小さな理由で、
他人に任せて具現化しろっていうのは、
仕事放棄と
同じじゃないかい?
一度だけでなく、
二度もあると、
もう、人は信用しなくなる。
そんな奴が、
正論を言っても、
誰も、信じない。
ため息ついて、
諦めて、
ただただ、
「やりましたよ、でも、だめでしょう?」を用意して。
それにかけた時間は、
もはや仕事ではない。
できないを証明するのに使う時間が、
どれだけ無駄になっているか。
お互い、loseの関係。
だから、
発する言葉には、
いつも重みを感じない。
そして本人は、
信頼はおろか、信用のないことを、
全く知らない。
と、えらそーに書く私も、
その一味かもしれないのだが。