利己主義のペシミストは、大抵悩みます。
自分の褒めたものが、誰かにけなされる時に。

普段褒める事をしないから。
けなすことが、日常茶飯事だから。

やっと自分が認めたものに対しては、異常なまでの愛情があるのです。

それは、先日のことです。
心底感動した舞台の、小さな欠点を言われ。
フォローはしていたけれど、悔しかった。

言おうと思えば、私だっていくつか指摘は出来ます。
『あの空間を歩く動作は、それぞれの人間が意味を抱いていなかったので、つまらなかった』とかね。

簡単でしょ?ダメを言うの。
簡単なんです。
簡単なんですよ。

良い所がいっぱいあるのに
『そこ言うか?』
というとこを、突く。
だからねぇ、余計に悔しいの。

言わなくてもいい、言う必要のない所を、
知ってる人で、ちょっとできるだけの人間が、
もっともらしく言うから。

私には、とても印象深い芝居だったのさ。
私にとっても、ターニングポイントだったのさ。

だのに、
指摘をさらに指摘だ。

これだからいけないよ、
利己主義ペシミストの、『私』って奴はさ。