遊園地再生事業団+ニブロール 『トーキョー/不在/ハムレット』 in京都芸術劇場春秋座 ソワレ (1/28)

作・演出:宮沢章夫
出演:大河内浩、伊勢由美子、岩崎正寛、笠木泉、片倉裕介、上村聡、岸建太朗、熊谷知彦、佐藤一晃、柴田雄平、鈴木将一郎、田中夢、南波典子、淵野修平、三坂知絵子、山根祐夫

遊園地再生事業団は一度観ておきたかったので、急遽京都行きを決めた。といっても、神戸からだと1時間程度で着いてしまうのだが。

さて、この作品。タイトルからして、何とも誘う。一番わからないのが『不在』。謎を解明すべく、当日券で2列目を確保するも、実質1列目で少々ドキドキした。もちろん「意味もなく」だ。

内容:埼玉に実在する北川辺町には、牟礼秋人という男がすでに不在。地理的に奇妙なこの街には、忌まわしい空気が漂っていた。奇妙な事件に、不可解な死。いつしか若者達の間で利根川の河川敷に幽霊が出るとの噂が広まる。それにあいまって、牟礼秋人の失踪が、実の父が死んで伯父が母親と結婚したことと深く関係しているのではないか、と彼らは想像した。
ごく当たり前に見える日常の中で、若い女が死んだのは、夏の日。川に流される女は、冬から続く忌まわしさの終焉を意味するのか。あるいは別の物語の始まりに過ぎないのか。

とても、説明しづらいです。ストーリーは、有って無いようなもの。
繰り返される言葉、繰り返される動作、それらを繰り返す人間。一つの言葉や動きが様々な人間によって繰り返されると、先行しているのが人間なのか、はたまた言葉なのか。妙な感覚に襲われる。「あんめいぞうすまれや」。劇中繰り返されるこの言葉の意味はよくわからないが、それがもし何も意味しないものだとしたら。唱えるだけで心の安寧を覚える理由も、少し理解に繋がったのかもしれない。

小さな町の、変わらない日常。24時間変わらないローソンの駐車場で、水のようにまとわりつく時間を、浪費とも思わずにただ群れて過ごす。裏にはエロスも存在する。そして、牟礼秋人の不在もそこにはあった。

「不在がある」という言葉がよく出てくるのだけど、「詩人」と呼ばれている徘徊者が繰り返す言葉の数々と、似ている気がする。彼女の言葉には、誰一人として耳を貸そうとしない。言葉はあるのに、それはあたかも存在しないみたいだ。あぁ、考えれば考えるほどよくわからなくなる。

ラストでそれまで話された言葉の数々が、一気にある男へ降りかかるシーンがある。まるで彼を支配しようとするかのように、言葉が鋭くなるのだ。親切の裏側にあるものが、憎悪に変わるように。
意味のない言葉。意味を失った言葉。

トウキョーに行けばいいのに、行かないのは。
愛してなんかいないこの街を、なぜか離れられないのは。

ハムレットで唯一知っているロズギルが、いつものごとく表しかでないコインの呪縛にとらわれていたが、そんな感じなのか?