時は経ちました、更新です。
時は、人類最後の戦争直後のクリスマス。両親が互いの浮気で家を飛び出してしまい、ふたりっきりで生活していている兄弟を中心に進みます。35歳と39歳のいい大人の兄弟のね。弟を溺愛する兄と、時々記憶が曖昧になる弟。そこに2階に下宿を頼みに来た女や、よく何かにつまずいてこける医者、まずい水と壊れたガスコンロを修理に来たメガネの男を交えながら、物語は淡々と進む。
オープニングの映像でシナプスや月、コンピューターの回線なんかが出てくるから「一体なんだろう」と思ったが、それぞれの人物に欠けている部分が見えてくると、全てがリンクするから不思議だった。

ナイロンの芝居は病気持ちが多く、よく目にするのは犬山さんが重症のパターンなのだが、今回はみのすけさんと解釈してよいのか?いや、むしろ彼が一番正常だったのか?
「兄ちゃんががっかりするといけないだろう?」
弟が愛しているだろう女性に渡すプレゼントを、わざわざ兄が探してくれたことは、決して兄には言わないよう彼女に口止めする弟。そう、彼が愛しているのは彼女以上に兄なのだ。きっと異常な兄弟愛が、異常に見えない理由は私にはわからない。わからないけど、よくわかる話だった。

とても大事な人が、たとえ目の前から消えてしまったとしても、それはただ自分が隠しているだけで、ずっとそこにいるのかもしれない。死体を見えなくしたダンボール、映し出された3人の影。
「これがその人にとって大事じゃないなんて、一体どこで判断するんだ!」
チャズ、スワンレイク、ドーネンにとって大切だったスタンは、同じように3人を大事に思っていたに違いない。それが、植えつけられた記憶だとしても。




今回は、作品の解釈云々をあまり言う気になれません。というか、出来ません。
ただ、今この時期にこの作品に出会えたことは、とても幸せなことだと思う。いつものナイロンとは違っていたけど、素敵なメンバーで素敵なつくりだった。休憩なしの2時間40分なんて全然平気だ。気が付いたら前のめりになっていて、思いっきりストーリーに入り込んでいたもの。
人によっては「期待してたのに笑いが少なかった」と不満そうにしていたが、
ダメか?このテイストは。
私は好きだよ。めちゃくちゃ好きだよ。
大事にしたいじゃない、家族は。愛されるからほっとけないんじゃない、自分のあの人をさ。
ダメなんて言わないでよ、この愛をさ。

結構吠えてます、私。
ここしばらく「ナイロンはいいや」と思っていたが、またナイロン観たい病が再発しました。「消失」観劇後の副作用は、時間が経つにつれてひどくなる一方です。どうしよう、この衝動を。


(愚痴:半数のお客さんはやっしーを見に来ていたのかな。彼は、ナイロン色にどっぷり染まらなないことで、彼なりの味があった。しかし、ナイロンを観に来たあたいと他の客様とは、笑いどころがかなり違っていた。できれば、私以上にナイロンへ反応が良い人々の集まる我が故郷、福岡で観たかったな。土地によって、ここまで反応が違うとはしらなんだ。なんてね。嘘だけど、ほんと。)