後日が来たので、追加です。

私はよっぽど気に入らない限り原作は読まないたちなので、今回の芝居も本を開いていないのだけど、原作に近いのはAbyss versionの方だと思う。過酷な状況下で生きることさえもままならないのに、「あの人に逢いたい」なんて愛情を優先させるのは困難だったはずだ。親や兄弟とも離れた環境。その中で唯一家族と同じかそれ以上の人がいたことは、例え顔を見ることが出来なくても、囚人マルタにとっては大きな支えだったに違いない。メダリオンで相手の生存を確認し、涙していたことからもわかると思う。タデウシュの「愛には生活が必要」という言葉は「恋愛を維持するためには、共に生活する必要がある」みたいな馬鹿なものではなく

「生きることが満たされていないと、愛情どころではない」

という解釈をしたのだが、間違ってはいないだろう。(私がいま似た様な状態だから、よくわかる)
彼らには、愛情以上に優先させるべき「命」とそして「地下組織」というものがあった。それはマルタがベルリンの壁が出来た以降も戦犯の追求をしていることから伺える。もしかしたらこの作品、マルタの視点から創ったらまったく違うストーリーになっていたのはないだろうか?サスペンスみたいな。でも、それではこの題材を扱う意味が無い。「パサジェルカ」はリーザの視点で描かれてこそ、背負った痛みを表現できるというものだ。本来ならリーザの態度にいらついていた私かもしれないが、役者の力量か、はたまた脚本の意図か、それは感じなかった。
このストーリーに「かわいそう」という言葉はナンセンスだと思う。観終わった後、私は何の言葉にも出来なかった。言葉に表現する以上に、感じるものがあった。人によってはチープな話にしたと思うかもしれない。(演出方法も、暗転嫌いの私としては一番好きではないものだった。音も必要以上に多いし。似てるんだよな、私の知ってる演出家の方法と。)それでも、私の心に「何か考えさせるもの」を与えてくれた。

2度と同じものがない舞台。だからこそ、1回1回を「充実した時間だった」と思いたい私である。



極余談
気分を害しますので、読まないで下さい。って、その前に書かなきゃいいのか。
でも言っておきたいのでここは我慢です、あなた。

Cliff versionの勇輔さん。先にAbyss versionを観たからかもしれないが、少し物足りなかった。「あえて抑えてました?」と聞きたくなるほど、感情の表現が内々な雰囲気(以前観た芝居でもそんな感じだった。もっと感情を発散できる人なんじゃないのかしら?優しいんだよなぁ、どことなく。凛々しさはあっても、強さがもう少し欲しいところだ)。特に現代のシーンでなのだけど、マルタを見かけて怯えた時の声や表情が。今回は私の座席が舞台に近かったから余計にそう感じたのかもしれないが、もっと感情爆発タイプが好き。でもそうしてしまうと、曽世リーザと同じになってしまうしなぁ。そうか、そうなのか。