Studio Life「パサジェルカ」 @theatre1010 (12/9:ソワレ)

原作:ゾフィア・ポスムイシ
脚本・演出:倉田淳
Cliff version:林勇輔、及川健、笠原浩夫、山本芳樹 ほか

story:やっぱり後日書きます

通常この劇団(スタジオライフ)は2versionに分けて上演することが多く、人によっては何度も足を運ぶらしい。いつもは(例え観たくても)同じ公演を2回も観たりはしないのだけれど、今回は私もバーションごとに1回ずつ観劇してみました。(というか、メインで観たかったのはこっちのチームだった)

感想は、我が尊敬のひと「林勇輔」さん中心になってしまうので、あしからず。
 
Abyss versionの曽世リーザが、先がわかっていても行動に出てしまうのに対して、林リーザは全てを言葉どおり受け取ってしまった純粋な人間だったように思う。ナチの「きれいにする」という言葉を文字通り信じて親衛隊に入った彼女なのだが、それがとてもよく伝わってくる。時代の翻弄されてしまい、過去の過ちが時間と共に見えなくなっても、大きな傷となってリーザの心を支配していたのかもしれないと。山本タデウシュと及川マルタが互いに逢おうとしない態度に「何故?」と素直に疑問を抱き、それが言葉だけの拒否だったことを知ると、たまらなくなるほど苛立ちと嫉妬を感じ、苦し紛れに出た言葉が「同情するわ」。「この言葉しか出なかった」というモノローグが入るのは蛇足な気がするけど、本当にこの言葉しか出なかったんだなと感じた。彼女には「マルタを支配しよう」などという思いは小さかったのかもしれない。この人を何故だかわからないけど、大切にしようという優しさ、それも上流階級にいた人間にありがちな憐憫という偽善。それが、マルタには邪魔臭かったんじゃないのだろうか?完璧にマルタに無視・視野に入っていない状態に置かれていたと思う。だから、ラストのマルタの微笑は「あなたは、何も知らなかったんだものね」という『哀れみ』に見えた。黙過もいいとこだ。

追加で書いておくと、アメリカ人のブラッドレイについても解釈が違っていたのは興味深かった。内山ブラッドレイが強い正義感で私を苛立たせたのに対して、牧島ブラッドレイは単にナチについて本気で話せる友人を欲していたような印象を受けた。本人のもって生まれた性格なのかもしれないが、優しさがあったな。好みは牧島ブラッドレイだが、ストーリー的には内山ブラッドレイのほうが正しいだろう。山本タデウシュに関しては、男性囚人の音楽会のときにこっそりマルタに逢いに来るが、岩崎タデウシュよりも生々しさがあった。こう書くと変に思うかもしれないが、「実は逢いたかったんだよ」感がにじみ出ていた。リーザが「ドイツの女だったら、こんな状況に耐えられないわ」とお互いが逢わないことを非難するが、この2人も「本当は耐えられなかったんだな」と思わせてくれた。途中まであまりそう感じさせないので、このくらいの表現をしてくれていた方が好みだ。

しかし、「嫉妬」を演らせると、やっぱり絶妙だわ、彼(林勇輔さん)は。特に、リーザの思いと行動は矛盾している部分が多いから、女の微妙な心理を男性が演るのにはかなり頭を悩ませただろうと思う。私は、自分の性格と似ている部分があるから林リーザには共感するところが多かった(曽世リーザも似た部分があったことは否めない。女って、こんなもんなのか?)この話はリーザ寄りの描き方がされているので多少考え方が偏ってしまうところがある。それでも、私はこういう人間もいたのだと心に留めておきたい。人は、いろいろなのだと。

こうして両チームを1回ずつ観劇したのだけど、結構これも面白い方法だ。ストーリーも互いが違った解釈をしているので、2度楽しめた。テーマは深いわりに、ストーリーも演出も台詞もごくごくわかりやすくしてあるので、頭を抱え込むことはなく観られる。ただそれが吉とでたか凶と出たかは、あくまで別問題。個人的には、科白は無用だったように思う。無くても、十分わかるものだったから。(もしかしたら、創っていく過程で練りに練った結果、役者の表現だけでわかりやすいものになったのかもしれないが、そこまでは追求しない)。

(くだらない話を一つ。この日の観劇は5列目の下手で、リーザの表情がよく見えたのだが、一番表情の変化がある収容所時代の話の時は上手よりだったので、惜しかった。しかし彼は苦悩より笑顔が似合う人だね。あなたには、笑っていて欲しい。あと、ワルターに一番言われたくない言葉を言われた時の悲しい笑いは、あなたの弱さを感じました。人は、悲惨な状況になったり究極的に追い詰められると、笑ってしまうものだから。痛みが嫌というほどわかったわ。)

もう少し言いたいことがあったのだけど、忘れたので後日改めて書きます。