Studio Life @theatre1010(北千住) マチネ(12/8)
「パサジェルカ~女船客 秘した過去が手招く旅路」
原作:ゾフィア ポスムイシ
脚本・演出:倉田淳
出演:曽世海児、舟見和利、石飛幸治、岩崎大 他
story:後で書きます
率直な感想は「思ったよりもいい作品だった」ということ。演出方法はあまり好きではないが、ホリゾントの部分に映し出されていた背景の中で煙突から噴出す白い煙に、胸が痛かった。
さて、今回のこのversionにおいては主要メンバーを見直すほどの出来だった。ドイツ側の視点で描かれているから囚人マルタの思いはストレートに表現されないが、リーザの複雑な心境は手に取るようにわかる。マルタの表立って見せない芯のある様子に、リーザは「よくしてあげよう」という思いに駆られていたのだろう。でも、素直に心を開かないマルタにリーザは苛立ちを覚えていく。加えてタデウシュとマルタの恋仲を持ってあげようとするのに、言葉では拒み続ける二人に対して、ある種の嫉妬も感じているリーザ。自分が何かしてあげようとしたって、結局「無用です」という態度をとられて、それに対して自分が嫉妬することがわかっていても、何かしらのアクションを起こそうとする女心を、見事に表現していた。『結果がわかっていてやっている』感が滲み出ている曽世リーザだった。
一方の舟見マルタは、「実はしたたかな女」だという印象がある。「あの人が会わないというのなら」と恋人と会おうとしない態度と、(リーザにばれないように)実は密かに会いに来てくれた時の愛に溢れた態度のギャップ。わかりやすく創ってはあったが、岩崎タデウシュが政治犯とわかって銃殺されたときのシャウトには、純粋に込み上げるものがあった(あちこちですすり泣く声が聞こえていた。あちしはすすり泣きなんかしねぇ。人前では絶対に泣かない。ただ、頬に涙が流れるだけ、ふんっ!)。それと、廊下で見つかった手紙(とりあえずは他人の恋文)を読まされるときのいとおしそうなところも、死んだタデウシュを思っているのかもしれないと考えたら、揺り動かされるものがあった(極余談で、このとき囚人役の一人がとてもいい表情をしている。いいわ、あなた。せっかくだから名前を挙げておこう、荒木健太郎さんです)。この文書にも秘密事項が記されていたことが後日明らかになるのだが、それを気にせずにあの読み方が出来ていたのならば、どれだけ狡猾だったのだろう。(「狡猾」という表現がマルタに使っていい言葉か迷ったが、あくまでリーザの視点で見た限りです)それでも、タデウシュと再会した時に短く切った髪を恥ずかしそうにしている姿は、純粋にマルタの持つ優しさだったのかもしれない。こんな状況でなければ、きっとあの優しさが狡さになんて変わることはなかっただろうに。(岩崎タデウシュがおでこをくっつけたり、山本タデウシュが頭を撫でたり。あれは受け入れだったんだな、いま考えると)
とにかく、最初の場面からグサッと来る言葉の多かったこと。リーザがマルタへ特別に食事を与えようとするところで「これも命令ですか?」と尋ねた場面や、現在の客船の中でアメリカ人ブラッドレイの事実を知らずにドイツ人の態度を責め立てるときの言葉の数々。とくに内山ブラッドレイのジャーナリスト的正義感には腹が経つほどだった。女看守のひとりに、めちゃくちゃ歩き方が変で本気でしゃべってるんだろうけど、つい笑ってしまいそうになる人がいて、ある意味この人にもムッとしたが、ムカつかせたくて演ってるのであれば大成功だったよわ、あなた。(ただ不思議なのは、2回も見ると動きに違和感を感じなくなってしまうこと。あのパワーは凄いと思う)
石飛ワルターは、相当苦悩に満ちていた。14年間も一緒にいて、自分の妻が憎き「アウシュビッツ」にいた事実を知ったときの態度。彼はどちらかというとリーザが「事実を話してくれなかった」ことに対して怒っているというよりも、彼女が「そこにいたという事実」自体に怒っていたように思えた。自分の未来にかかわることでもあるし、リーザが「立身出世の為に~」と言い放つことからも、この解釈は間違っていないだろう。しかし、憤りが頂点に達したときの「親衛隊長殿」とリーザに言ったのは、ワルターの一番正直な気持ちだったのかもしれない。
このストーリー中、現在の場面でリーザとマルタは言葉を一つも交わさない。だからこそ、ラストで途中下船するマルタのリーザへの微笑みは、リーザを許す許さない云々以上に、この作品のテーマでもある「罪の黙過」を改めて認識させるものだった。
極余談part2
この日、私は2階中央のセンターに座り全体を見渡す形で観劇していた。ここはとても観やすい造りで、公演中は携帯の電波を遮断する装置が働いているので、客の基本マナーがなっていれば客席側はなんら支障はない劇場である。(というか、素晴らし過ぎる機能だ。1ベルに使う音もかわいいし、舞台も広いし。それでいて客席は席数のわりに引き締まっていて、観やすい。なんて贅沢な劇場なんだ、足立区よ)この日の公演中、私の後方にいたお姉さまのいびきと、私より下手側に座っていたお姉様2人組みの上演中の無駄な解説談義を除けば、有意義な時間だった。特にこの日、最下手側に今回は出演していない劇団員がいて、これまた至福のときだった。
「パサジェルカ~女船客 秘した過去が手招く旅路」
原作:ゾフィア ポスムイシ
脚本・演出:倉田淳
出演:曽世海児、舟見和利、石飛幸治、岩崎大 他
story:後で書きます
率直な感想は「思ったよりもいい作品だった」ということ。演出方法はあまり好きではないが、ホリゾントの部分に映し出されていた背景の中で煙突から噴出す白い煙に、胸が痛かった。
さて、今回のこのversionにおいては主要メンバーを見直すほどの出来だった。ドイツ側の視点で描かれているから囚人マルタの思いはストレートに表現されないが、リーザの複雑な心境は手に取るようにわかる。マルタの表立って見せない芯のある様子に、リーザは「よくしてあげよう」という思いに駆られていたのだろう。でも、素直に心を開かないマルタにリーザは苛立ちを覚えていく。加えてタデウシュとマルタの恋仲を持ってあげようとするのに、言葉では拒み続ける二人に対して、ある種の嫉妬も感じているリーザ。自分が何かしてあげようとしたって、結局「無用です」という態度をとられて、それに対して自分が嫉妬することがわかっていても、何かしらのアクションを起こそうとする女心を、見事に表現していた。『結果がわかっていてやっている』感が滲み出ている曽世リーザだった。
一方の舟見マルタは、「実はしたたかな女」だという印象がある。「あの人が会わないというのなら」と恋人と会おうとしない態度と、(リーザにばれないように)実は密かに会いに来てくれた時の愛に溢れた態度のギャップ。わかりやすく創ってはあったが、岩崎タデウシュが政治犯とわかって銃殺されたときのシャウトには、純粋に込み上げるものがあった(あちこちですすり泣く声が聞こえていた。あちしはすすり泣きなんかしねぇ。人前では絶対に泣かない。ただ、頬に涙が流れるだけ、ふんっ!)。それと、廊下で見つかった手紙(とりあえずは他人の恋文)を読まされるときのいとおしそうなところも、死んだタデウシュを思っているのかもしれないと考えたら、揺り動かされるものがあった(極余談で、このとき囚人役の一人がとてもいい表情をしている。いいわ、あなた。せっかくだから名前を挙げておこう、荒木健太郎さんです)。この文書にも秘密事項が記されていたことが後日明らかになるのだが、それを気にせずにあの読み方が出来ていたのならば、どれだけ狡猾だったのだろう。(「狡猾」という表現がマルタに使っていい言葉か迷ったが、あくまでリーザの視点で見た限りです)それでも、タデウシュと再会した時に短く切った髪を恥ずかしそうにしている姿は、純粋にマルタの持つ優しさだったのかもしれない。こんな状況でなければ、きっとあの優しさが狡さになんて変わることはなかっただろうに。(岩崎タデウシュがおでこをくっつけたり、山本タデウシュが頭を撫でたり。あれは受け入れだったんだな、いま考えると)
とにかく、最初の場面からグサッと来る言葉の多かったこと。リーザがマルタへ特別に食事を与えようとするところで「これも命令ですか?」と尋ねた場面や、現在の客船の中でアメリカ人ブラッドレイの事実を知らずにドイツ人の態度を責め立てるときの言葉の数々。とくに内山ブラッドレイのジャーナリスト的正義感には腹が経つほどだった。女看守のひとりに、めちゃくちゃ歩き方が変で本気でしゃべってるんだろうけど、つい笑ってしまいそうになる人がいて、ある意味この人にもムッとしたが、ムカつかせたくて演ってるのであれば大成功だったよわ、あなた。(ただ不思議なのは、2回も見ると動きに違和感を感じなくなってしまうこと。あのパワーは凄いと思う)
石飛ワルターは、相当苦悩に満ちていた。14年間も一緒にいて、自分の妻が憎き「アウシュビッツ」にいた事実を知ったときの態度。彼はどちらかというとリーザが「事実を話してくれなかった」ことに対して怒っているというよりも、彼女が「そこにいたという事実」自体に怒っていたように思えた。自分の未来にかかわることでもあるし、リーザが「立身出世の為に~」と言い放つことからも、この解釈は間違っていないだろう。しかし、憤りが頂点に達したときの「親衛隊長殿」とリーザに言ったのは、ワルターの一番正直な気持ちだったのかもしれない。
このストーリー中、現在の場面でリーザとマルタは言葉を一つも交わさない。だからこそ、ラストで途中下船するマルタのリーザへの微笑みは、リーザを許す許さない云々以上に、この作品のテーマでもある「罪の黙過」を改めて認識させるものだった。
極余談part2
この日、私は2階中央のセンターに座り全体を見渡す形で観劇していた。ここはとても観やすい造りで、公演中は携帯の電波を遮断する装置が働いているので、客の基本マナーがなっていれば客席側はなんら支障はない劇場である。(というか、素晴らし過ぎる機能だ。1ベルに使う音もかわいいし、舞台も広いし。それでいて客席は席数のわりに引き締まっていて、観やすい。なんて贅沢な劇場なんだ、足立区よ)この日の公演中、私の後方にいたお姉さまのいびきと、私より下手側に座っていたお姉様2人組みの上演中の無駄な解説談義を除けば、有意義な時間だった。特にこの日、最下手側に今回は出演していない劇団員がいて、これまた至福のときだった。