私は買う本は、たいていが文庫本。
安くて持ち運びが便利なので、購入しやすいしどこでも本を開けてしまう。だから消費が早いかわりに本棚が一杯になるのも早い。困ったことに、本棚に本がびっしりと埋まっていく過程が面白いものだから、読書意欲以上に購買意欲のエスカレートすること甚だしい。
では、溜まった本の処分をどうするか?
私の場合は、父の元へ行く。「この本、面白いから昼休みにでも読んで」と言って渡すのである。これが意外と良いみたいで、先日母と電話で話していたとき「あなたがあげた本の内容を私に教えてくれるのよ。佐藤藍子の耳はゴルフボールが入る(くらい大きい)とかね…云々」と言われた。
どうやら私の読んできた本たちは、夫婦の会話をくだらなくしているらしい。
確かに、私の読んだ上で薦める本は、おかしい。もちろん面白いという意味で。
いま例を挙げたものは、松尾スズキ氏の「大人は判ってくれない」だったと思う。彼の分より、脚注を担当している宮崎吐夢さんの文の方が読み応えがあって、通常の2倍の集中力が必要なくらいだ。他にも東海林さだお氏の「まるかじりシリーズ」や土屋賢二氏の「われ笑う、ゆえにわれあり」「ソクラテスの口説き方」「紅茶を注文する方法」、さくらももこさんや玖保キリコさんなどを渡した。
その代わりといってはなんだが、私の元には父が昔読んでいた本たちがやって来ようとする。「溜まるの嫌だから」と断っているのだが、時には彼らがいつの間にか部屋にいたりして、現在はロマン・ロランや数学的クイズ本たちが生き残っている。実家にも松本清張やら数種類の三国志・水滸伝、その他文字の小さくて分厚いハードカバー達がその名を見せ付けんばかりに並んでいる。父の実家に行けば、叔母の分も含めてもっと本があるが、それでも昔の10分の1というから、どれだけ本を読んでいたのだろうと想像せずにはいられない。
つくづく「親を超えられないなぁ」と思ってしまう。
いま、私の家には卒論用の賢い本と、ついでに図書館で借りたクダラナイ本たちで溢れかえっている。整理しようにもしようがないよ。
あっ、返却してしまう手が残っていた!
安くて持ち運びが便利なので、購入しやすいしどこでも本を開けてしまう。だから消費が早いかわりに本棚が一杯になるのも早い。困ったことに、本棚に本がびっしりと埋まっていく過程が面白いものだから、読書意欲以上に購買意欲のエスカレートすること甚だしい。
では、溜まった本の処分をどうするか?
私の場合は、父の元へ行く。「この本、面白いから昼休みにでも読んで」と言って渡すのである。これが意外と良いみたいで、先日母と電話で話していたとき「あなたがあげた本の内容を私に教えてくれるのよ。佐藤藍子の耳はゴルフボールが入る(くらい大きい)とかね…云々」と言われた。
どうやら私の読んできた本たちは、夫婦の会話をくだらなくしているらしい。
確かに、私の読んだ上で薦める本は、おかしい。もちろん面白いという意味で。
いま例を挙げたものは、松尾スズキ氏の「大人は判ってくれない」だったと思う。彼の分より、脚注を担当している宮崎吐夢さんの文の方が読み応えがあって、通常の2倍の集中力が必要なくらいだ。他にも東海林さだお氏の「まるかじりシリーズ」や土屋賢二氏の「われ笑う、ゆえにわれあり」「ソクラテスの口説き方」「紅茶を注文する方法」、さくらももこさんや玖保キリコさんなどを渡した。
その代わりといってはなんだが、私の元には父が昔読んでいた本たちがやって来ようとする。「溜まるの嫌だから」と断っているのだが、時には彼らがいつの間にか部屋にいたりして、現在はロマン・ロランや数学的クイズ本たちが生き残っている。実家にも松本清張やら数種類の三国志・水滸伝、その他文字の小さくて分厚いハードカバー達がその名を見せ付けんばかりに並んでいる。父の実家に行けば、叔母の分も含めてもっと本があるが、それでも昔の10分の1というから、どれだけ本を読んでいたのだろうと想像せずにはいられない。
つくづく「親を超えられないなぁ」と思ってしまう。
いま、私の家には卒論用の賢い本と、ついでに図書館で借りたクダラナイ本たちで溢れかえっている。整理しようにもしようがないよ。
あっ、返却してしまう手が残っていた!