久々に広島の友人と会い、つい話し込んでしまった時のこと。一番白熱したのは、「謝るタイミング」についてだった。
明らかに自分に非がある場合、
彼女:「申し訳なくて、自分がごめんとい言わずにはいられない。相手に構わずとにかく謝る」
私:「気にせず話しかける。少し時間がたったら、ぽそっと謝る」
自分が悪くない場合、
彼女:「ずっと話さない。謝ってくれるまで、待つ」
私:「すぐ忘れる。しつこく謝られると、余計に腹が立つ」
結構意見が食い違ったけど、彼女曰く「彼氏が○○○(私の名前)と同じ感じなので、わかる」と。加えて「B型やろ?」と言われてしまった。そう?確かに「自由人」とは言われるけど、私はそうは思っていない。しっかりはしてないにしろ、全てにおいて目的があるから動いているわけで、常に先をみているから、過去は引きずらないのである。気持ちの切り替えの早さは「振り返らない」事から来ているといえるかもしれない。逆を言えば、反省しないのかもしれないけれど。
とにかく、「ごめんね」なんて言いたくない。「終わったことは、しょうがない」と思うから。強い罪悪感から謝る場合もあるが、その時はすばやく行動に出る。「今の、ごめんね」と言うんです。後々言うのは、えらく照れるものだし。だから、けんかが続かない続かない。誰だったか「君とは、けんかできない」と言っていたっけ。私が気にせず話しかけてくるから、無視できなくなり、つい口を開いてしまうんだと。
どうしてこんな風になったのかには、ひとつの思い出が関係している。むか~し昔、まだとても幼かった頃のこと。同じ部活の子と気まずい感じになり、お互いが謝るタイミングを逃していたことがあった。話したいのに話せない。向こうが同じ思いでいることは、何気に交わす目線や態度でわかっていた。こんなに傍にいるのに、どうして口を聞こうとできないのだろう?こんな自分に隋分情けなさを感じた。結局目を見て話せたのは卒業式の前の日。何だったか、提出するプリントをその子が回収しているときだった。
「まだ書けてなくて…」
「いいよ」
たったこれだけ。
目も、わずかに合わせただけだった。でも、この時の感動はいまだに忘れられない。「言葉を交わせた」という喜びを、お互いが強く感じていた。それは、なんだかわからないけど回りの人間が気付いているはずもないほど小さな、でも自分たちにはわかりすぎるほどわかっている大きな喜びだった。その人の背中が、わずかに見せる笑顔が、聞こえる声が、喜びを感じさせずにはいられなかったのである。もちろん、私も満たされた気持ちでいた。何かにしがみついて、嬉しさをかみ締めたい衝動にさえ駆られたものだった。
ごく単純だけど、これは私の中でずっと行き続けるだろう淡い思い出なのである。もしかしたら「卒業」という行事が気持ちを揺らしたのかもしれないが、たとえそうであっても、思い出は強く残る。それ以来、私は自分が悪いと思ったらなるべく早く「ごめん」というようにしているし、気にせず話しかけるようにも努めている。…努めてはないか。とにかく、そうしてる。
あの日の短すぎる会話が今の自分を創っていると思うと、過去も捨てたものじゃないとは考えるが、あんまりすがっていてもねぇ~。
ほかの人とも、忘れられない短い会話があったっけ。それも、卒業式の前日だった。
「同じクラスになって初めて話した言葉。
『体操服、取ってくれる~?』『いいよ』
覚えてますか?僕は、覚えています。」
と卒業アルバムにメッセージ
「うん、覚えてる~云々」
と返事を書いた私。
うぅ~、青春だ~!!初めて言葉を交わした日の天気とか場所とか覚えてるからねぇ。
そういえば、この人とはかつて同じ大学に通ってたんだ。忘れてた。
随分脱線したけれど、「ごめんね」と言うのは早目が良いね。後は、言い方だ。
明らかに自分に非がある場合、
彼女:「申し訳なくて、自分がごめんとい言わずにはいられない。相手に構わずとにかく謝る」
私:「気にせず話しかける。少し時間がたったら、ぽそっと謝る」
自分が悪くない場合、
彼女:「ずっと話さない。謝ってくれるまで、待つ」
私:「すぐ忘れる。しつこく謝られると、余計に腹が立つ」
結構意見が食い違ったけど、彼女曰く「彼氏が○○○(私の名前)と同じ感じなので、わかる」と。加えて「B型やろ?」と言われてしまった。そう?確かに「自由人」とは言われるけど、私はそうは思っていない。しっかりはしてないにしろ、全てにおいて目的があるから動いているわけで、常に先をみているから、過去は引きずらないのである。気持ちの切り替えの早さは「振り返らない」事から来ているといえるかもしれない。逆を言えば、反省しないのかもしれないけれど。
とにかく、「ごめんね」なんて言いたくない。「終わったことは、しょうがない」と思うから。強い罪悪感から謝る場合もあるが、その時はすばやく行動に出る。「今の、ごめんね」と言うんです。後々言うのは、えらく照れるものだし。だから、けんかが続かない続かない。誰だったか「君とは、けんかできない」と言っていたっけ。私が気にせず話しかけてくるから、無視できなくなり、つい口を開いてしまうんだと。
どうしてこんな風になったのかには、ひとつの思い出が関係している。むか~し昔、まだとても幼かった頃のこと。同じ部活の子と気まずい感じになり、お互いが謝るタイミングを逃していたことがあった。話したいのに話せない。向こうが同じ思いでいることは、何気に交わす目線や態度でわかっていた。こんなに傍にいるのに、どうして口を聞こうとできないのだろう?こんな自分に隋分情けなさを感じた。結局目を見て話せたのは卒業式の前の日。何だったか、提出するプリントをその子が回収しているときだった。
「まだ書けてなくて…」
「いいよ」
たったこれだけ。
目も、わずかに合わせただけだった。でも、この時の感動はいまだに忘れられない。「言葉を交わせた」という喜びを、お互いが強く感じていた。それは、なんだかわからないけど回りの人間が気付いているはずもないほど小さな、でも自分たちにはわかりすぎるほどわかっている大きな喜びだった。その人の背中が、わずかに見せる笑顔が、聞こえる声が、喜びを感じさせずにはいられなかったのである。もちろん、私も満たされた気持ちでいた。何かにしがみついて、嬉しさをかみ締めたい衝動にさえ駆られたものだった。
ごく単純だけど、これは私の中でずっと行き続けるだろう淡い思い出なのである。もしかしたら「卒業」という行事が気持ちを揺らしたのかもしれないが、たとえそうであっても、思い出は強く残る。それ以来、私は自分が悪いと思ったらなるべく早く「ごめん」というようにしているし、気にせず話しかけるようにも努めている。…努めてはないか。とにかく、そうしてる。
あの日の短すぎる会話が今の自分を創っていると思うと、過去も捨てたものじゃないとは考えるが、あんまりすがっていてもねぇ~。
ほかの人とも、忘れられない短い会話があったっけ。それも、卒業式の前日だった。
「同じクラスになって初めて話した言葉。
『体操服、取ってくれる~?』『いいよ』
覚えてますか?僕は、覚えています。」
と卒業アルバムにメッセージ
「うん、覚えてる~云々」
と返事を書いた私。
うぅ~、青春だ~!!初めて言葉を交わした日の天気とか場所とか覚えてるからねぇ。
そういえば、この人とはかつて同じ大学に通ってたんだ。忘れてた。
随分脱線したけれど、「ごめんね」と言うのは早目が良いね。後は、言い方だ。