「溺れた世界」 in シアタートラム 楽日マチネ
やっと観た、白井晃演出作品。
しかも、お気に入りの三軒茶屋の劇場で、大好きな哲さんの芝居を!
3次元のセットは特になく、板に2つの大きなシミが作ってあって、照明と映像ですべてを表現する。トラムの構造が不思議で、舞台の奥が階段状になっており、そのまま歩いていけば姿はすっぽりと消えてしまう仕組みになっている。ますます興味の湧く劇場だ。
内容は、至って難解だと思う。理解不可能ではなかったけど。
ダイアローグ(会話)以上にモノローグ(独白)が効いた芝居なだけに、役者の力量があからさまに出てしまう作品だった。白井さんが惚れるだけあって、話は面白いんだけど、所々「惜しいな」と感じてしまう部分もあり。独白だと、自分の内面を表現しなければいけないから、会話と違ってテンポが役者それぞれのものになってしまいがち。プロローグの岡田義徳さんの言い回しが少しスローだった為か、その後の上原さくらさんが話し終わるまで退屈だったが、田中哲司さんが少しテンポを速めたおかげで、眠気から脱出。彼がいなかったら、ずっと夢の中だったかもしれない。
構成は複雑ではないんだけど、何せ心のうちまですべて言葉にしてしまうものだから、一言一言が痛いの何の。醜い市民が絶対多数を占める中、美しい非市民を排除してしまおうというお話で、醜い市民のダレン(岡田)とケリー(つみき)が、美しい非市民のジュリアン(田中)とターラ(上原)に魅せられてしまい・・・てな具合に進んでいきます。でも結局は、みんな醜い姿となって生と死を迎えるのだけど。
人間なんて、本当は醜いものなんだと言いたかったのだろうか。
美しいものは醜いものに目を伏せ、醜いものは美しいものに怯える。でも唯一違うのは、醜いものは美しいものにはなれないけれど、美しいものは醜いものになれてしまう事。だとしたら、非市民の排除は市民の仲間にすることを意味する。そう、根本にあるのは、醜さだけ。
深い話だ。話題をかえます。
白井さんの演出は初めて観たけど、少しでもわかりやすくするために「歩く」という手法をとっていた。舞台の上でただ動くのだけど、その動きが人間関係を示している。言葉よりむしろ、そっちを見ているほうが筋の理解をしやすかった。それと、だんだんジュリアンとターラが次第に醜くなっていく過程を、靴を脱ぐことや服の汚れで表現していた点も気に入っている。裸足は良かった。冒頭で彼らが靴を履いていたことに違和感を感じていたんだけど、過程を強調するために履いていたのね。素晴らしい!
単純だけど、しっかり意味のある創りをしている白井さんの美意識の高さが、私は気に入りました。また違う作品も観てみたいなと思ってしまいます。それと、やっぱり哲さんはうまいわ。流石に篠井さんには負けるけどね。力のある役者は大好き。次回の哲さん主演のカフカ作品「城」は、絶対に観に行きます。カフカ好きだし、哲さんだし。もう、楽しみなことばかりだわ!
余談:この日、2004年10月24日。私はシアタートラムの場所をパブリックシアターの建物と勘違いしており、劇場に着いたのが開演5分前。まだ入り口に3人ほどいたので安心した時だった。ん?んん?何か、観たことのある顔がそこにいた。あ、マスター!そう、佐藤隆太さんがそこにいたのだった。うっち~こと岡田さんとは木更津つながりなのか、見に来ていたみたい。この日は世田谷大道芸があっていて、この辺は人でいっぱいだった。よく気付かずにいられたモノだわ。会場内では若い人に話しかけられてたけどね。実は10月8日にチケットを取っていたんだけど、あいにくの台風でいけなかったものだから、もう諦めてた。それでも行くことに決めて良かった。(といっても、8日に行っていれば小栗旬さんがいたらしいわ。いや、別の日だったかな?まあ、良いか)
やっと観た、白井晃演出作品。
しかも、お気に入りの三軒茶屋の劇場で、大好きな哲さんの芝居を!
3次元のセットは特になく、板に2つの大きなシミが作ってあって、照明と映像ですべてを表現する。トラムの構造が不思議で、舞台の奥が階段状になっており、そのまま歩いていけば姿はすっぽりと消えてしまう仕組みになっている。ますます興味の湧く劇場だ。
内容は、至って難解だと思う。理解不可能ではなかったけど。
ダイアローグ(会話)以上にモノローグ(独白)が効いた芝居なだけに、役者の力量があからさまに出てしまう作品だった。白井さんが惚れるだけあって、話は面白いんだけど、所々「惜しいな」と感じてしまう部分もあり。独白だと、自分の内面を表現しなければいけないから、会話と違ってテンポが役者それぞれのものになってしまいがち。プロローグの岡田義徳さんの言い回しが少しスローだった為か、その後の上原さくらさんが話し終わるまで退屈だったが、田中哲司さんが少しテンポを速めたおかげで、眠気から脱出。彼がいなかったら、ずっと夢の中だったかもしれない。
構成は複雑ではないんだけど、何せ心のうちまですべて言葉にしてしまうものだから、一言一言が痛いの何の。醜い市民が絶対多数を占める中、美しい非市民を排除してしまおうというお話で、醜い市民のダレン(岡田)とケリー(つみき)が、美しい非市民のジュリアン(田中)とターラ(上原)に魅せられてしまい・・・てな具合に進んでいきます。でも結局は、みんな醜い姿となって生と死を迎えるのだけど。
人間なんて、本当は醜いものなんだと言いたかったのだろうか。
美しいものは醜いものに目を伏せ、醜いものは美しいものに怯える。でも唯一違うのは、醜いものは美しいものにはなれないけれど、美しいものは醜いものになれてしまう事。だとしたら、非市民の排除は市民の仲間にすることを意味する。そう、根本にあるのは、醜さだけ。
深い話だ。話題をかえます。
白井さんの演出は初めて観たけど、少しでもわかりやすくするために「歩く」という手法をとっていた。舞台の上でただ動くのだけど、その動きが人間関係を示している。言葉よりむしろ、そっちを見ているほうが筋の理解をしやすかった。それと、だんだんジュリアンとターラが次第に醜くなっていく過程を、靴を脱ぐことや服の汚れで表現していた点も気に入っている。裸足は良かった。冒頭で彼らが靴を履いていたことに違和感を感じていたんだけど、過程を強調するために履いていたのね。素晴らしい!
単純だけど、しっかり意味のある創りをしている白井さんの美意識の高さが、私は気に入りました。また違う作品も観てみたいなと思ってしまいます。それと、やっぱり哲さんはうまいわ。流石に篠井さんには負けるけどね。力のある役者は大好き。次回の哲さん主演のカフカ作品「城」は、絶対に観に行きます。カフカ好きだし、哲さんだし。もう、楽しみなことばかりだわ!
余談:この日、2004年10月24日。私はシアタートラムの場所をパブリックシアターの建物と勘違いしており、劇場に着いたのが開演5分前。まだ入り口に3人ほどいたので安心した時だった。ん?んん?何か、観たことのある顔がそこにいた。あ、マスター!そう、佐藤隆太さんがそこにいたのだった。うっち~こと岡田さんとは木更津つながりなのか、見に来ていたみたい。この日は世田谷大道芸があっていて、この辺は人でいっぱいだった。よく気付かずにいられたモノだわ。会場内では若い人に話しかけられてたけどね。実は10月8日にチケットを取っていたんだけど、あいにくの台風でいけなかったものだから、もう諦めてた。それでも行くことに決めて良かった。(といっても、8日に行っていれば小栗旬さんがいたらしいわ。いや、別の日だったかな?まあ、良いか)