いくら話しても、自分の言わんとすることを理解してもらえなかったとき。
「なんて言葉は不便なんだろう」と思ったことがある。同じ日本人として同じ日本語を共有しているのに、何故わかってもらえないのだろうかと、ひどく悩んだ。すると、ある人が言った。「同じ言葉を使っていても、人間は育ってきた環境が違えば、持ってる意味もどうしても違うものだ。誰かの言う“木”が、君の言う“木”と同じということは有り得ない。木=TREEということも、本当は違うかもしれないんだ。お互いを理解しあうなんて、結局は出来ないものさ。だから人は、実のところ孤独な生き物なんだよ」
私は落胆なんかしなかった。むしろ、肩の荷が下りた気さえした。目の動き、音の抑揚、醸し出す雰囲気。動物のごとくコミュニケーションを図れずに相互理解が困難になった結果、言葉は生まれた。つまり、孤独を感じることの出来た「人間」だからこそ言語を作り出したのであって、それはもっとも便利なものであるが、もっとも不便ゆえ存在できたのだ。
人は、孤独だ。誰にも私を理解できないように、誰もあなたを理解できない。「その気持ち、わかる」と言いながら、本当にわかっているかをどうかを誰が判断できる?あなたの主観でしかないんじゃないのか?共感は出来ても理解は出来ないように、群れることは出来ても一つになることは難しい。だから「結局は自分ひとりなのだという」諦めが、私はある種の開放感を与えてくれた。それ以来、人間関係などに悩むことは少なくなってきている。これは私にとっての一つの成長といえるかもしれない。
ただ、以前にも増して言葉を大切にするようにもなった。あなたの使うその言葉の裏に、一体なにが隠れているのか?そう思いながら人と話すのは、面白い。特に、芝居や映画において、言葉のプロたちが何を意図しているのかと考えながら観るのも一興だ。
「なんて言葉は不便なんだろう」と思ったことがある。同じ日本人として同じ日本語を共有しているのに、何故わかってもらえないのだろうかと、ひどく悩んだ。すると、ある人が言った。「同じ言葉を使っていても、人間は育ってきた環境が違えば、持ってる意味もどうしても違うものだ。誰かの言う“木”が、君の言う“木”と同じということは有り得ない。木=TREEということも、本当は違うかもしれないんだ。お互いを理解しあうなんて、結局は出来ないものさ。だから人は、実のところ孤独な生き物なんだよ」
私は落胆なんかしなかった。むしろ、肩の荷が下りた気さえした。目の動き、音の抑揚、醸し出す雰囲気。動物のごとくコミュニケーションを図れずに相互理解が困難になった結果、言葉は生まれた。つまり、孤独を感じることの出来た「人間」だからこそ言語を作り出したのであって、それはもっとも便利なものであるが、もっとも不便ゆえ存在できたのだ。
人は、孤独だ。誰にも私を理解できないように、誰もあなたを理解できない。「その気持ち、わかる」と言いながら、本当にわかっているかをどうかを誰が判断できる?あなたの主観でしかないんじゃないのか?共感は出来ても理解は出来ないように、群れることは出来ても一つになることは難しい。だから「結局は自分ひとりなのだという」諦めが、私はある種の開放感を与えてくれた。それ以来、人間関係などに悩むことは少なくなってきている。これは私にとっての一つの成長といえるかもしれない。
ただ、以前にも増して言葉を大切にするようにもなった。あなたの使うその言葉の裏に、一体なにが隠れているのか?そう思いながら人と話すのは、面白い。特に、芝居や映画において、言葉のプロたちが何を意図しているのかと考えながら観るのも一興だ。