新刊『食べることと出すこと』は、ありがたいことに、多くの方が笑いながら読んでくださっています。とても嬉しいことです。
ただ、「病気や障害について語るときには、ユーモアが必要」という主張には、じつは私は反対です。
悲惨さを語らせようとする一方で、「病気や障害についてはユーモアを交えて面白く語らなければ」という圧力もあります。「笑って話さないと人は聞いてくれないよ」と言う人が、当事者にもいますし、周囲にもいます。
私は「泣き言」「暗い愚痴」がとても大切だと思っているので、これに大反対なのです。
病気や障害は、当然のことながら、基本的につらくて悲しいです。落ち込んで暗い気分になります。そんなときに、「笑えるように話せ」だなんて、無理難題だと思います。
「泣きながら笑え」と言われるようなものです。昔、竹中直人にそんな芸があったかもしれませんが、普通の人間には無理です。
泣き言や愚痴はとても大切です!
不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
コルニィエ
悲しみを声に立てなさい。
口に出さない悲しみは
荷の勝ち過ぎた心臓にささやいて
それを破裂させる。
シェイクスピア
病気や障害という苦しい状況で、愚痴や泣き言を封じられては、たまりません。
ただ、暗い愚痴なんか聞きたくないというのも、たしか。
では、どうしたらいいのか?
「もし誰かが『愚痴』の必要性と、その機能について、はっきり知っていたとすれば、それはカフカだ」
カネッティ
カフカの愚痴は不快ではなく、笑えます。
私はそれを本にしました。
「カフカは笑わせようとしたのではないか」とさえ言われますが、そうではありません。
当人は真剣だからこそ、笑えるのです。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇だ」
このチャップリンの言葉に、すべての秘密があると思います。
当事者は、病気や障害を最もクローズアップで見ています。
だからいろんな発見があります。
でも、当人にとってはそれは悲劇です。
ところが、それをロングショットで語るようにすれば、自然と笑える話になるのです。
客観視とか、俯瞰とか、距離をとるとか言い換えてもいいかもしれません。
これは「笑えるように語る」というのとはちがって、当事者にも負担になりません。
思う存分、自分の悲劇を語れて、しかも他人には笑える話として楽しんでもらえます。
愚痴を楽しんで聞いてもらえることで、当事者にも救いとなります。
「笑えるように話す」なんて、無理です。
ぜひ、ロングショットを心がけてみてください。
病気や障害だけでなく、「愚痴を聞いてもらえない」と悩んでいる人は、ぜひ試してみてください。
私の『食べることと出すこと』も、笑えるように書いたわけではありません。ロングショットで書いただけなのです。
https://hanmoto.com/bd/isbn/9784260042888
10ページの試し読み
https://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=108713