◆文学的才能に対する自信
その強さと強さゆえに、
あらゆることに確信を持てなかったカフカだが、
自分の文学的才能にだけは生涯ほんのわずかな疑いも持たなかった。
これは唯一の例外であり、それだけに感動的だ。
「カフカはその生涯の全期間にわたって、
『日記』のなかでも手紙のなかでも、
つねに自分を文学者として扱っている」(モーリス・ブランショ C)
今でこそおかしなことに感じられないが、
生前のカフカは、世間から作家として認められてはおらず、
ただの勤め人にすぎなかったのだ。
しかし、自分を作家あつかいするカフカには、
なんの気負いも、照れも、ためらいもみられない。
彼にとっては、自分が小説家であることは、
人間であることと同じくらい、
自明な事実であったようだ。
力強い発言といったものはカフカにはほとんど皆無だが、
自分の文学的才能について語るときだけは、
そこにわきあがってくる力が感じられる。
「(書きたいという衝動が自分の内部に感じられるときには)
自分が、握りしめると爪が肉に喰い込んでゆく拳になったように
——ほかに言いようがないのだが——感じられる」
(マックス・ブロートへの手紙1911年9月17日 A)