瞑想日記 「空間と今」 | かっふんのブログ

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日々、思うことを書いてみたい

家の隣に、割と車の通りが多い県道がある。

 

車が近づくとタイヤの音でわかる。同じように遠ざかるのも聞こえる。

 

しばらくすると、何も車が通っていない静かなときが流れる。

 

また車が来る、そして去る。これを、耳を澄まして聞いている。

 

 

 

 

音符と休符で表現される音楽があれば、それらが乗っている五線紙がある。

 

絵画なら鮮やかな色の絵具や白の絵具が乗る、土台としてのカンバスがある。

 

この、五線紙やカンバスに相当する、

 

"タイヤの音がする" と "タイヤの音がしない"

 

の、2つの状態が乗る「空間」がある。

 

感覚がその空間を掴み始めると、静けさがやってくる。

 

すると、森林の中に居るかのように、清々しい空気が胸を流れていることに気がづく。

 

やがて周囲との一体感がやってくる。

 

 

 

 

 

よく本を読んでいると、「過去も未来もない、今しかない」

 

と書いてあって、最初は何のことだかさっぱり分からなかった。

 

時間を軸にとって、過去と今と未来を一直線に繋げて考えていたから、それは当然そうだった。

 

何回も見た、『バックトゥザフューチャー』や、『時をかける少女』で時間を飛び回るように時間を一繋がりのものと考えていた。

 

思考の中では、確かにそういう解釈をされるのが自然だと思う。今がないと言われても、それなら、ないと言う今の範囲は?1秒後?0.1秒後?と次々に疑問が湧いてきてしまう。

 

 

 

 

 

瞑想やマインドフルネスで表現される「今」は、思考の"今"とはなんら関係性がない。

 

静かな空間に触れているときに現れる、「世界」や「現象」に近い言葉だということが最近少しずつ分かってきた。